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DJ JIN Interview vol.1

2月21日(日)中野ヘビーシックゼロにて行われた「Soul Matters vol.9」。主宰の島がゲストのDJ JINさん(RHYMESTER / Breakthrough) にインタビューしました。今回はその前編です。90年代のレコード事情やDJカルチャーについて、JINさん主宰のイベント「Breakthrough」のお話、そしてDJプレイの秘訣まで、充実の内容となっています。最後にはあのプロレスラーのテーマ曲も? DJカルチャーになじみのない方にはその入り口として、コアな音楽ファンの方にはDJをさらに楽しむための記事としてお読み頂ければ幸いです。ぜひご覧下さい。(後編はコチラ

(インタビュー・編集:島 晃一、記録・編集:中村悠太)

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――レコードとの出会いや、DJを意識し始めたのはいつ頃ですか?

DJ JIN (以下、J):いろいろなインタビューでDJになるきっかけはよく話してるんだけど。横浜出身で、若かりしころに夜遊びするようになって、当時はユーロビートとかが流行っていたんだよね。マハラジャみたいなディスコにも行ってた。そういう所は普通の遊び場というか、単に夜に遊んで帰る、そういう程度のものだった。だけど、日本でも名だたるサーカスっていう横浜のヒップホップ/R&B系のディスコに友達と行ったら、そこのカルチャーショックがすごすぎた。

あと、うちはクラシック一家で。母親はバイオリンとピアノの先生やってて、父親はオケでコントラバス弾いていて。でも、それがいかにも「幼少期から音楽に触れて……」みたいなDJプロフィールっぽくて、逆に言うのが嫌なんだよね(笑)。まあ確かにその影響はあると思うんだけど。

家の中でかかってたクラシックの音楽の中でも、ガーシュウインとかジャズっぽいのが好きだった。父親のFMエアチェック・カセットテープから、そういうテイストのものを拝借して聴いていたり。で、洋楽を聴くようになり、ビートルズを経由してチャートものをチェックしてるうちにヒップホップとかR&Bと出会いました。

それからやっぱり、サーカスに行って衝撃を受けたあの感覚。特にヒップホップって「なんじゃこりゃあ!」みたいな音楽じゃない?サンプリングやラップっていう手法とか。そういうのにぶっ飛ばされちゃって。それでDJやりたいと。ヒップホップとかR&Bを回すDJになって、そういう音楽をちょっとでも広めたいと思ったんだよね。

でも、高校の時はお金がなくて機材とかも揃えられないから、CDやレコードを買う程度でした。大学に入ってようやく、機材をそろえてDJをやるようになった。RHYMESTERの出会いとかもあって、そこからキャリアが始まったという感じです。

――ディスコにも行っていたんですか?

J:ユーロビート系のディスコは「サーカス」に行ってから行かなくなっちゃったね。そっちのショックの方が強くて人生が狂わされた。でも、当時…1988、89年くらいはヒップホップとかR&B好きな人はめっちゃ少ないから。学年では俺だけ、みたいな感じだったと思う。

そこから数少ない情報をチェックして、どのCDやレコードを買ったらいいかを自分なりにディグって。「サーカス」でDJがかけているレコードを目ん玉ぐるぐる回しながらチェックしてゲットした情報もあるし、あとは雑誌も見ながら。

――『U.S.ブラック・ディスク・ガイド』のヒップホップの欄に宇多丸さんとMummy-Dさんが書いてましたよね。

J:Dと宇多丸がね。つまり、「ヒップホップ脳」の人が書かないと説得力がない。そうでないのは伝わって来ちゃう。例えば、当時の話だけど、いわゆるソウルミュージック専門のライターさんがヒップホップを紹介していると「ズレ」 があるときもあって。ヒップホップの特殊なイズムというかカルチャーがあるから、ヒップホップ脳がある人じゃないと、説得力があるものを書いたり紹介したりできないんじゃないかっていう感覚はあったね。まあ、ウチらに限らず演る側が紹介しないといけないくらい、そういう人口が少なかったということにもなるんだけど(笑)。

それこそ初めてJames Brownを何か買ってみようという時に、どうやら『In The Jungle Groove』を買った方がいいな、みたいな。若いながらそういうのは「ヒップホップ脳」のアンテナで調べてわかりましたね(笑)。その当時の音楽誌のJB特集では、『Please, Please, Please』とか『Live At The Apollo』がマスト!って感じで、確かにそれはまさに王道なんだけど。でもやっぱり、HIPHOP脳的には違和感があって。それで情報をかぎわけて『In The Jungle Groove』を買った。

――そのときに読んでいた雑誌はなんですか?

J:『bmr』、当時の『Black Music Review』、あとはアメリカの雑誌だよね。『The Source』とか、ヒップホップ脳の塊のやつらが編集しているようなNYの雑誌。そういうのって日本に来る数も限られてるから、まずは情報を得るための争奪戦があって。レコードを買うのも「Ultramagnetic MC'sのデッドストックがタワレコにはいったぞー」みたいな感じで競争が。

もう少し時代が経つと、『Rap Pages』とか、『Rap Sheet』っていう新聞っぽいやつとか。これは俺が大学くらいの時だったかな。ヒップホップ脳の人が書いているファンクだったりネタモノの記事があって、それをシステム手帳に書き写して、中古盤屋に買いに行ってた。

――大学生くらいの時に、新譜だけでなくヒップホップ脳にひっかかる旧譜も買っていたということで。その頃はレアグルーヴという意識はありましたか?

J:レアグルーヴはアメリカではなくUKのムーブメントとして捉えてたから、すごくリンクしてるカルチャーとは思いつつも違うものとして見ていた。けどもちろん、そこからいろんな曲だったりネタを知るのはホント多かったね。

――雑誌の話つながりになりますが、JINさんは『bounce』誌で働いていたんですよね?その時のお話を聞かせていただきたいです。

J:そう。学生時代に『bmr』でバイトしていて、卒業後にタワーレコードの『bounce』編集部に入った。ちょうど「Free Soul」主宰の橋本徹さんが編集長で入るのと同じタイミングで。俺とフミヤマウチさんっていう和モノDJの人がいて。その3人で96年4月入社。ライムスターももちろんやっていて。3年ぐらいいたかな。

――その時の渋谷に僕も居たかったですね。

J:あの時は渋谷のレコ村全盛だったからねー。とにかくレコード屋だらけで、いいレコードもいっぱいあったし。稼いだお金が全部レコードに消えていくっていう(笑)。

「いい新譜が入荷した」っていうタイミングでシスコっていうレコ屋にいくと、DJ YANATAKEがスタッフやってて、「おぉ、JINくんー!今日はめっちゃ入ってるよ」って感じで新譜を聴かせてくれるわけ。それでお会計するとレシートが50㎝くらいあって。YANATAKEが「JINくんやっちゃったねー、記念に貼っておこうか」って、シスコのレジに「DJ JINお買い上げ」って貼られた。週に二回くらい入荷があって、一回のタイミングで一気に買うときもあったから、もう月でどれくらい買ったかは考えたくない感じだよね(笑)。

――……新譜でそれは考えられないですね。出たものは片っ端から買うって感じでしたか?新譜も旧譜も当時買ってましたか?

J:そうだね。両方買ってたけど新譜の方が多かったかな。ヒップホップ、R&B。

――そのときは「Free Soul」ってどういう位置づけなんですか?

J:「Free Soul」はスタートの時期的には、俺がタワレコで働き出すちょっと前の1994年ごろからかな。レアグルーヴはもっと前、80年代後半からだし。

その頃、日本では小林径さんとか荏開津広さんとかが、渋谷のDJバー、インクスティックで「routine」っていうレアグルーヴのイベントをやっていて。めちゃくちゃかっこよかったからよく遊びに行っていたんだよね。なかでも荏開津さんが印象に残ってて。けっこう渋いファンクとかプレイしていて、いい感じでお客さんもいっぱい、でもノリは渋くクールな感じだった。そんな中、荏開津さんがDJ中にマイク持って「ありがとうございます!」って挨拶するの。そして挨拶からDJにもう一度戻るときに「燃えよドラゴン」かけたのを聴いて、かっけーな!って。

――そういうのも当時からアリだったんですね。ヒップホップとレアグルーヴ同時に浴びてっていうのは、当時としては珍しいんですか?

J:いや、普通だね。ヒップホップのクラブでも、明け方になるとファンクとかNYダンスクラシックみたいなのを混ぜるのは普通。一晩でいろんなジャンルの曲がかかる。


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――その後、荏開津さんと一緒に青山MIXで「Breakthrough」を?

J:それはしばらく後だけどね。その前は現場で一緒になったり、ライターとして取材してもらったりとか。俺も『bounce』編集部にいたから、荏開津さんにライターとしてお願いしたりとか。あとは、単純にいち荏開津ファン(笑)。そういうことがあって、その後「Breakthrough」でご一緒するようになった、っていう感じです。

――当時から「Breakthrough」はレアグルーヴ、ヒップホップからハウスまでって感じだったんですか?

J:最初は、イベントとしてはヒップホップ&ファンクって感じだね。で、荏開津さんはファンク、レアグルーヴ、ジャマイカみたいな。MIXはダブが強い箱だったから。

「Breakthrough」は青山MIXで2000年に始まって、そこから数ヶ月は俺と荏開津さんだけでやってた。それから、今もいるLadi DadiやMasaya Fantasistaが入ってきてまた幅が広がった。彼らの選曲で、また教えてもらったというか。2000年頃にLadi Dadiが「Hi-Tech Jazz」をかけてて、何回も「この曲、何?」って聞きに行くと、「いい加減覚えてください、売ってます」って言われた(笑)。「あーURか、ヤバいね」って。当時は、ヒップホップ、ハウス、ファンク、ジャズとかを折衷的に扱うマンハッタンスリーっていうレコード店があって。そこで新譜を良く買ってた。16年前かな…。まだ20代の頃です。

――「Breakthrough」はすごく長く続いているパーティですよね。

J:そうだね、今年で16年目。2000年くらいにHIPHOPが世界的にメジャーな音楽となっていく過程で、自分的に何か攻め続けたいという想いがあって始めたのが「Breakthrough」。

ライムスターっていう日本のヒップホップの王道をやりながら、その一方で、音楽的に実験できるものをトライしてみたかったし、それがライムスターにもフィードバックできると思って。そういういわゆるクロスオーバーなスタイルをDJプレイで始めたんだけど、その時からいろいろ世界でシンクロしてたというか。似たようなことを考えているやつがいるなって感じられたのは面白かったね。

――クロスオーバーするイベントって今では結構ありますよね。クロスオーバーする、ジャンルを跨ぐという時に、何かしら基準っていうのはありますか?例えばジャンルでここからここまでとか。それとも「Breakthrough」の雰囲気に合ってればいいという感じですかね?

J:ジャンルの制限はないよね。フォークでもカントリーでもクラシックでも。

ただ、自然とファンクとかジャズとかの匂いに惹かれるというのはあると思うんだよね。音鳴りとか曲調の「うねり」っていうか。ファンクとかジャズをかけても、普通はない感じの音で「びっくりした」みたいな要素にヤラれるというか。 

「Breakthrough」をはじめた当初から、イベントのキャッチにするために、自分たちがやっている音楽を簡単に言葉で表現したいっていう気持ちはあるんだけど、なかなか見つからない。ヒップホップだけどヒップホップだけではないし、ファンク、ジャズのニュアンスはバンバンあるけどそれだけではない。ハウス、テクノもあるし。「こうです!」と言えたら楽だと思うけど、言い切れたら失われるものはあると思う。だけども、なんかそういうふわっとした感じで、ディープでクロスオーバーしている、というように捉えてます。

――どちらかというとソウルよりもジャズとかファンクの要素が強いという感じはありますか?

J:うーん、そういうことはないけど。でも、ソウルはメロディとか歌が最初っていうかさ。それに対して、やっぱりファンクはドラムとベースじゃない?ジャズはコード感のニュアンスだし。もちろんメロディのあるソウルフルなボーカルものもバンバンかかるけれども、「Breakthrough」は多分もうちょっとビート寄りだと思う。リズム重視というか。

――なるほど……しっくりきました。ところで、「Breakthrough」でかけるのとRHYMESTER用のと、そういう頭の使い分けってありますか? レコードを買う時に「Breakthrough」用と制作用に分けるみたいな。

J:それはあまりないと思う。もちろん、これは「Breakthrough」にきたお客さんが一番ひっかかってくれそうな曲だ、みたいな意識はあるけど。そうは言ってもレコードを買う時は俺のセンスで選んでる訳だから、いい曲を集めたいというシンプルな気持ちでいます。そのうえで、それぞれにフィードバックできるかなと。

――RHYMESTERのようなメインストリームでやっているのと、「Breakthrough」みたいな実験的な場は意識として分けているんですか?

J:んー、自分の中の右側をより多くだすか、左側をより多く出すか、みたいなことは場面場面であると思うけれど、そんなに分けてるわけではないね。自分のやることは自分のセンスからしか出ないから。

――僕が「Breakthrough」ってすごいなと思ったのは、RHYMESTERのファンの方もくるじゃないですか。そこでバリバリのレアグルーヴとかがかかって、それでガンガン踊るっていう光景を見た時にすごくいいなって。

J:さっきも言ったけど、こういう音楽を知ってほしいというのはすごくあるから。だから、入り口になれたらいいなというのはあります。RHYMESTERのファンで、DJ JINがなんかレコードで面白い選曲しているというのがきっかけになって、こういう音楽があるというのを知ってくれたらいいし。逆に「Breakthrough」とかの音楽が好きなディープなリスナーで、ライムスターを聞いてみようとかライブに行ってみようと思ってくれたら嬉しいし。そういう架け橋になるというか、あんまり敷居とかハードルとかを作らずに、いい感じの音楽に触れるきっかけになればいいかなと。


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――恐れ多いですけど、JINさんの選曲自体も一回の中でクロスオーバーしている印象を受けます。例えば、原宿UCのイベント「BLACK BOX」とかだと、ヒップホップだけでなくディープファンクもかけて、それでまたヒップホップに戻ったり。一昨年の11月、中野ヘビーシックゼロの若い学生のイベントでは、Q.A.S.B.の「The Mexican」とかCro-Magnon-Jin「QP Funk」を序盤にかけた後、若いヘッズがいるからかCommonの「Be」とかで下げて。そしてまたディスコで上がってRHYMESTERの曲で締める、みたいな。ジャンルの混ぜ具合が絶妙だなと。すごいなーって。教科書のような。

J:ありがとうございます。…いや、俺、島にすげえチェックされてるね(笑)。

――すごく覚えてますね(笑)。野外の「SOUL CAMP」の時も、前のDJ WATARAIさんに合わせてHIPHOPでがっつり受けて、たぶんFirst Choice「Double Cross」とかがきっかけにディスコにいって、ハウスもかかるし、最後に「B-BOYイズム」で後ろからビズマーキー登場!みたいな。JINさんのヒップホップとか期待している感じの人が多かったんですけど、Master Force「Don’t Fight The Feeling」とかかかるとめちゃくちゃ盛り上がって。

J:あの時は、人もめちゃくちゃ集まって来たね……。

じゃあ、秘訣を教えましょうか(笑)。BPMを「コントロールできる」っていうのがDJの基本としてあるんだけれど、その中でもBPMをいい感じに下げることができるのがクロスオーバー選曲するときのコツというか。BPMを上げてくのは簡単だけども、うまいこと下げるのはけっこうセンスとスキルが必要だと思う。

俺がよく意識するのは、まず「横」のセレクション……ジャンルを横断しながらレコ箱に何をつめるかという。それと同時に「縦」の……BPMのセレクションで。このレコードがあればこういう風にBPMをコントロールできる、というのはちゃんとインプットしています。BPMをクロスオーバーしていくのにちょうど交差点になるようなレコードがあるんだよね。それは絶対よくかけるレコードだから、多分島が「JINさんまたあれかけてる……!」って思うのはBPMをコントロールしたいからかけてるというか。上げるというのはできるんだけど、途中で下げてまた上げていくっていうのはまた技術が必要で。それはDJとしてちゃんとできるようになるといい武器になりますよ。

BPMが早いほど、アップリフティングでお客さんも高揚感を煽られる訳だよね。BPM120~125、はやいと130くらいで。そうなると分かりやすいダンスのBPM。だけど、そこから休憩タイムと思わさせずに一気に90くらいに下げる、みたいな。きちんとテンションを保ち続けながら90から100あたりまでBPMを下げる、というところに秘訣があると思います。

――グルーヴとかテンションは落ちないけど……。

J:そう。下げようとして全部下げるんじゃなくて。フロアのテンションはキープしているけれど、BPMだけは下げるというか。それをここぞっていうタイミングできるようになると、クロスオーバー感が増すと思う。それは同じジャンルでやるよりは違うジャンルで跨いで、BPMも上がり下がりジャンルも行ったり来たりすると、縦のBPMと横のジャンルで曲が回転していくから。そういう時はフロアの人は普段あまりない経験ができると思いますよ。

――その橋渡しの選曲が……そのレコードを見つけられるかがポイントなんですね。

J:いわゆるDJテク的な話でいうと、そこが一つの肝です。

――例えば、JINさんがよくTower of Powerの「Only So Much Oil In The Ground」をかける印象があるんですが、あれはテンポを急にあげても全然違和感ないですね。

J:あれはテンポをあげる曲だね、BPM100から120くらいまで持って行けるし、最後はジャーン!っていうかき回しで終わるから、そこからまた下げられるし。上げることも下げることもできる。グルーヴ感も最高だし、いいことづくめだよね。

――もう1つ伺いたいことがあって、それこそ「SOUL CAMP」のときもそうだし、オルガンバーの「Vinyl Junkies Only」にゲストで出られたときもそうですが、前のDJがヒップホップだったらヒップホップなりの、ジャズならジャズなりの流れで受けてから、次のジャンルに行くということをJINさんはよくすると思うんですね。がっぷり四つというのがJINさんの好きなプロレス的だなと(笑)。DJには交代時の一曲で世界観を変える人もいるけど、JINさんは前のDJとがっぷり四つで組み合っている感があると思うんですが、そこにこだわりはありますか?

J:受けて返す、という(笑)。確かにプロレス的だね(笑)。

DJ始めるとき、何から始めて何で終わるというのはすごく意識します。いくつか候補があって、そこをその場の雰囲気で、これがいいかなみたいな感じで探り当てていく。

出演前にイベントの方向性は聞いておくから、そこを軸にして、自分がかけられる曲でどこまで攻められるか、みたいなところを考えて、まず自分のレコ箱を作る。レコードだから、持っていく枚数が限られてる前提で。

「SOUL CAMP」の時には、あのイベントの趣旨として90’s ヒップホップはみんなかけるだろうし期待はされていたと思う。ただ、それだけだと俺の役割じゃないなと思って。そこから出発して、90年代のクラブの明け方みたいなにいろんな心地よい音楽をクロスオーバして行くのもありかなと。野外っていうロケーションもあるし。でも、ヒップホップだけでも回せるような選曲も一応考えてましたね。「Vinyl Junkies Only」とかハードディガー系でジャズ寄りのイベントだと、そこを意識しつつファンクとかみんなが気になるようなものに振っていければいいなと。

前のDJの流れを受けてプレイするというのは、イベントとしての流れは良くなるから、条件的に可能ならそれも選択肢のひとつ。そうじゃなくて一回バンって切って「JINさんお願いします!」みたいなことになるんだったら、「元気ですかー!」ってマイクで煽って「B―BOYイズム」いくぞー!みたいな(笑)。

俺がシャウトしても挨拶してもなんか違うなというときは、そういう雰囲気を感じてすっと入って、自然に「JINさんが回してるんだ」と気づいてもらうみたいなときもあるし。そうでないときは、マイクの挨拶で最初からレペゼンするときもある。

――「元気ですかー!」って言って、猪木ボンバイエが(笑)。

J:そうそう(笑)

――あれは2012年の夏、福島のなまず亭でしたけど、JINさんがアントニオ猪木のテーマというかモハメド・アリの方の、Mandrill「Ali Bom-Ba-Ye」をかけたのを聴いて、ああ、それはアリなんだーと思って。

J:アリはね~、アリですよ(←註・JINさん、すでに酔ってます)。ディスコ、ファンクの熱量みたいなものがあるしね。そういうのも状況に応じてかけます。じゃあ、「Soul Matters」では島が俺の前のDJで、ボンバイエで交代ね(笑)。

(インタビュー後編はコチラです)


島 晃一の執筆仕事一覧はこちらから。
https://note.com/shimasoulmatter/n/nc247a04d89ed

島 晃一(Soul Matters / CHAMP)
Twitter:https://twitter.com/shimasoulmatter

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