人に何か自慢話っぽい話をされたときにザワザワした嫌な気持ちになるときのこと
ハロウィンのレクレーション。子どもたちと遊んだペタンク。おもしろかったな。
自分の自慢話をたくさんする人がいて、それってどう思う?って、子どもに聞かれたから、「しつこいと嫌だよね。でも自慢話する人って、自慢できることがあるってことで、それ自体はいいね。自慢できる何かは持っておきたいね」とだけは答えた。
人の自慢話は別に聞きたくない。 でもそれは他人事、その人の話、と、そう思って聞いていると、こちらもあんまり感情的にならなくて済むかもしれない。
その人の話を他人事としてじっくり耳を傾けて聴くことで、ああ、この人の自尊心はそういうところにあるんだなと伝わってきて、その人のその人らしさが少しだけ理解できるような気にさえなれることがある。
他人事っていうとどこか冷たいニュアンスがあるかもしれないけど、私にはそんなつもりはなく、ただただその人の話をその人の話として、つまり他人事として聴く姿勢に心を正す、というか心のスイッチの切り替えをすることは10代20代からの私の癖のようだ。
人に何か自慢話っぽい話をされたときにザワザワした嫌な気持ちになるのは、ひとつにはこちらサイドのコンプレックスが影響しているというのはあるのかもしれない。
コンプレックスという言葉は「劣等感」と訳されることもあるけど、心理学でいうコンプレックスは劣等感という意味だけではない。それも含むかもしれないけど、コンプレックスとは様々な感情が無意識の世界の中で複雑に彩られて絡み合ったザワザワ、といった意味だ。
何か自慢話っぽいことを話しされたときに、こちらサイドの様々な感情が無意識の世界の中で複雑に彩られて絡み合ってそれが何だかザワザワする。
言われてみれば確かに心当たりがある笑
「わたし、毎晩かならずコップいっぱいの水を飲んで寝るようにしています」と聞いたところで別に何とも思わなくても、「わたし、朝起きたらまずコップいっぱいの白湯を飲んで1日をスタートするようにしています」と聞くと『なんだよ、意識高い系かよっ』って気持ちになるとしたら、それはこちらサイドの何らかのコンプレックスなのかもしれない。
「うちの子どもが和風ドレッシングにするか胡麻ドレッシングにするか決められなくて困ってるんですよー」と聞かされてもフーンと思えても、「うちの子どもが東大に願書出すか京大に願書出すか決められなくて困ってるんですよー」って聞かされたら『で、あんたは一体なにが言いたいんだよっ』って思うなら、それはこちらサイドの様々な感情が無意識の世界の中で複雑に彩られて絡み合ってザワザワしてるのかもしれない。
だからそういうときの処方箋としては、こちらとしてはいちいち気にせず「他人事、他人事」と思いながらサラッとテキトーに聞いておくか、それかもしくは、他人事は他人事なんだけれど、「なんだろう、うーん、この私自身の中に沸々と湧き上がってきたがっている複雑な感情の複合体は!」と自分の無意識の世界の探究をしてみるかのどちらかなんじゃないだろうかと思う。
そして私は後者が好みだ。
10代20代からの私の癖のようだ。
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