公認心理師Sachiのイマココblog

「人は日々進化し、成長し、適応へと向かっている」 心理師の島幸樹です。 自分自身のこと…

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「人は日々進化し、成長し、適応へと向かっている」 心理師の島幸樹です。 自分自身のことを大切にしたい人、 心と向き合いたい人、関心のある人、 そんなあなたと出会いたくてnoteはじめました。 教育と福祉が特に専門。 苦手なことはサプライズと巨大物。

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人生の質とワールド

今月末に、今のお家のすぐ近くにお引越しするのです。 そんなわけで今、合間合間に物を運んだり、DIYリフォームしたりしています。写真は、壁に漆喰塗ってるの図です。 段ボールとか牛乳パックでオモチャ作ったり、オリジナルなスイーツ作ったりするのが好きです。 どうなっても(D)いいから(I)やってみる(Y)、略してDIY笑 とても楽しいです。 あとご存知の方もいらっしゃると思いますが、その過程に入ってこられるのを私は嫌います。 イザナギとイザナミの神話とか、鶴の恩返しにあるような

    • エビデンスベースドの弊害の話

      教育とか福祉とか心理とかの世界では、エビデンスってとても大事。 どうして、なんで、そのことが言えるのか。そこをはっきり裏付けがないまま議論を進めると話がワチャワチャするだけで前に進まない……ことがある。 だけど、エビデンスベースドっていうのは、ある物差しを用意して、その物差し前提で現実の1つを理解しようとする方法論だから、教育とか福祉とか心理とかの世界においてはエビデンスエビデンスしすぎてしまうと、もっと本当は味わいのある現実感を見失ってしまうという危険かつつまらないこと

      • 無理にがんばって気分を変えようとしなくてもいいという話

        春なのに卒業ですか?   ここ最近はラジオを聞いていると新旧の卒業ソングがよく流れる。それもそうだ、3月だから。 その季節になると人はそんな気分になる。   そして外側の季節とは別に、個々人の内面にも季節というものはあるようで、ここ最近同じ曲ばかり頭の中でループしている、同じような雰囲気の音楽ばかりがグルグル回ってるというのはよくある話だ。 どうもこの頃そういう気分らしい、と。   心理学には「気分」と「情動」という言葉がある。 別に心理学でなくても日常的に使う言葉なわけだけ

        • 弱みは弱み、強みは強み

          「苦手科目を克服しよう」 子ども達の勉強の中で、今も言われないわけではもちろんないけれど、昔ほど言われなくなっているようには感じる。私が子どもの頃、苦手科目を無くすことはもっと当たり前のように先生達から植え付けられていた考え方だったように思う。 受験までの1年間、夏休みの40日間。 同じ限られた月日の中で、苦手科目を克服するための努力をすることと、得意科目をもっと得意にするための努力なら、前者より後者の方がよっぽどリスクが少なく効率が良い。 なぜなら苦手なものと向き合う時間

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          ジャッジするのは私の仕事ではない

          人間が人間を裁くことって本来するものじゃない、と子どもの頃に聞いたことがあって、今もそれが心のどこかに刻まれている。 「良い」「悪い」の二極で決めてしまうことによって、世界が一気に狭くなってしまうような、そんな気がするようになったのは、いつ頃だったか。 良いとか悪いとか、好きとか嫌いとか、でもその間には無限の色が本当はあって、それは平面的というよりは立体的で、繊細で、深みがあって、一言で言うのが難しい味わいがある。 一言で言うのが難しいけれど表現しないと伝わらないから言葉

          ジャッジするのは私の仕事ではない

          心の時代

          年が明けてすぐに悲しくなるニュースばかり目にすることになった。 自然災害や大規模な事故。 そして身の回りを振り返ってみる。そうすると確かに決して明るいとは言えない出来事が自分や自分の近くで起きていたことがリンクして思い出されるかもしれない。 誰かに何かメッセージのようなものが投げかけられているような気さえする。 何が求められているんだろう。 どうしろって言うんだろう。 精神科医のフランクルは、それが何なのかを相手に問うのではなくて、こちらが相手に答える側に回るのだと言っ

          反省的実践家という在り方

          プロの品格とは何か。周期的に考える。素敵なプロでありたいから。 私は、反省的実践家という在り方が好きだ。 必ずしも「あー、やってしまった。ごめんなさい」っていうものではない。 別にごめんなさいばっかり感じているわけじゃない。 「あれはあれで良かったのか」 「他にどういう手段があったか 「なぜこういう態度を示したのか」 などなど、自分自身の姿を行動しながら自分でモニタリングする在り方のことを反省的実践家という。 正直ものすごく頭が忙しいけれど、それってプロの品格だと思え

          反省的実践家という在り方

          私らしく、在りたいように、大切に生きよう

          元自衛隊員で芸人の「やす子」が「今の災害に私たちができることはなんですか?」のXでの問いかけに対し「日常を送れる方はいつも通り日常を楽しむことですかね…!」と回答した。 そうだなぁ、ほんとに。グッときた。 「どこへ向かっているんだろう」 血気盛んなことは良いことだ。元気があって何かに対して必死になれることは素敵なことだ。 ただ、それは、自分にとってたどり着きたい素敵な未来のイメージがどこかにあって、そこへ向かおうとしている今現在の私の心が大前提だ。 誰得やねん!の意

          私らしく、在りたいように、大切に生きよう

          自分自身を愛せない人が他人を愛することなんてできない

          「自分自身を愛せない人が他人を愛することなんてできない」 その言葉をはじめて聞いたのは高校生の時。そこから哲学ははじまった。 自分の中にある嫌な部分や認めたくない部分、つまり受け入れることに強い抵抗がある部分というのは確かにあるかもしれない。 当然そこは触れられたくないものだから、暖かいコートで身をまとおうとするし、部屋の隅っこの方に隠そうとしてしまうことがある。 でもそれもこれも含めて、自己。 例えるなら、頭はいいけど走るのは遅い自分も自己だし、走るのが遅いことを克

          自分自身を愛せない人が他人を愛することなんてできない

          小さな成功体験の積み重ねがたいせつの違和感

          高速道路の出口を出損ねてテンパってしまったり、ネットで注文したものの数を間違えて頼んでないつもりの量が届いてパニクったりして、自分にオイオイって突っ込んだり、笑いのネタにできてそれはそれで楽しかったりすることがある。 なんちゃってキレイな言葉が流行りすぎている風潮 何がどうなってそうなったのかわからないけれど、なんちゃって自己啓発とか、なんちゃってキレイな言葉とか、なんちゃって前向きなとらえ方とかで、なんちゃって合理化して、なんとか自分に折り合いを付けて生きる生き方が拡散

          小さな成功体験の積み重ねがたいせつの違和感

          自分が何者かでありたかったり、誰かのことをわかりやすい型や分類に寄せたかったりするのが私たちのサガだけど。

          トマトジュースは好きだけどトマトそのものは絶対に食べられない人がいたり、その逆の人がいたりする。当たり前だけどどっちも好きな人やどっちも嫌いな人がいる。 ところで、もっともっと若い頃なら、自分と感性が同じ人のことを好きになれたり、違っている人のことは別に好きじゃなかったりしていたことはあったかもしれない。 人はみんな人それぞれだけど、自分と同じ感性を持っていて共感できたり、逆に全く共感できなかったりする。 世の中には「◯◯タイプ」とか「数字でいうと何番の人」という性格診断

          自分が何者かでありたかったり、誰かのことをわかりやすい型や分類に寄せたかったりするのが私たちのサガだけど。

          人に何か自慢話っぽい話をされたときにザワザワした嫌な気持ちになるときのこと

          ハロウィンのレクレーション。子どもたちと遊んだペタンク。おもしろかったな。 自分の自慢話をたくさんする人がいて、それってどう思う?って、子どもに聞かれたから、「しつこいと嫌だよね。でも自慢話する人って、自慢できることがあるってことで、それ自体はいいね。自慢できる何かは持っておきたいね」とだけは答えた。 人の自慢話は別に聞きたくない。 でもそれは他人事、その人の話、と、そう思って聞いていると、こちらもあんまり感情的にならなくて済むかもしれない。 その人の話を他人事としてじ

          人に何か自慢話っぽい話をされたときにザワザワした嫌な気持ちになるときのこと

          インスタントなものでも貪欲に欲しくなることがあるのかもしれない

          お腹がすいた。 でも時間もないしとりあえず何でもいい。さっと済ましてすぐ満腹になれるから吉野家でいいや。好きだし。   ざっくりと2つに分けると、人間の感情は快と不快に分けられる。 空腹は不快だ。 胃に空白があって、足りないものがあって、なんとなくスースーする。 私たちはそんな状態から脱したいから何かを食べようとする。早く脱したい。とりあえず何でもいい。インスタントでも何でも。 そしてそれを食べることができれば、空白はなくなり足りないものがなくなり、スースーしなくなる。  

          インスタントなものでも貪欲に欲しくなることがあるのかもしれない

          自分にウソをつくこと

          他人にウソをつくのは社会的に良くないこともあるけど、うまくやればワンチャンうまくだましきれる場合がある。 けど、自分にウソをつくのは、どれだけうまくごまかそうとしても絶対にだましきれない。 2倍も3倍も強い反動でまた自分に返ってくる。 鬼とかオバケとか悪夢とか。 そういうものは自分自身の心の中にあるものの投影なんだろう。 だから私は、自分に対して誠実でいよう。

          多様性について

          多様性といえば言葉は綺麗だし今風だからパッと使い勝手が良いけど、これを単に「みんな違ってみんないいよね」ってニュアンスで使う言葉になってしまってたら、そんなんと違うわって突っ込みたくなります。 髪の色が違う人とか男の子が女の子の格好してる人とか障害児とか学校行ってない子どもとかに対して、自分の固定観念のみでとらえて偏見や差別でそれらを排除するのではなく、そういう人たちも受け入れていきましょう……ということを多様性と考えるならそれはそれでいいのかもしれないけど、私が今言いたい

          価値

          相手の人と近く深い関係でありたいなら、その人が生きる上で何に価値を置いているかを理解しようとする努力が不可欠だ。   心の動きを大切にする人もいれば、物理的なものを充実させたい人もいる。 人間関係を重視する人もいれば、安全や安心を守りたい人、力を求める人、美味しいものが大好きな人、、、など。 その人が生きる上での価値観は、例えばその人の話す言葉遣いから感じられたりする。   そしてその人の大切にしているものを、こちらは真似したり傾倒しようとする必要はないけれど、その人のその価