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多様性について

多様性といえば言葉は綺麗だし今風だからパッと使い勝手が良いけど、これを単に「みんな違ってみんないいよね」ってニュアンスで使う言葉になってしまってたら、そんなんと違うわって突っ込みたくなります。

髪の色が違う人とか男の子が女の子の格好してる人とか障害児とか学校行ってない子どもとかに対して、自分の固定観念のみでとらえて偏見や差別でそれらを排除するのではなく、そういう人たちも受け入れていきましょう……ということを多様性と考えるならそれはそれでいいのかもしれないけど、私が今言いたいことはそういうことじゃないです。

それはそれとして、それじゃあその自分の固定観念の外つまり自分の頭の枠から外れたその人の視点では、この世界や今ここで起きている出来事がいったいどんなふうに映っているんだろうと考えなきゃいけないんじゃないか……考え続けていくことが多様性の社会ってものなんじゃないかな、と思います。

「今の時代、自分とは違ういろんな人がいてて良いんだよ」ってそれだけ言うのは、なんかそれって達観して立派なこと言ってそうな雰囲気があるんだけど、実際はそれってめちゃめちゃ簡単で楽チンでインスタントで頭の中パーっとお花畑な感じがしなくもないです。

自分の頭で自分なりの理解で、自分を超えた人のことを「いろんな人がいるんだ」とわかった気になるのではなくて、その人の頭でその人なりの理解で考えようと一生懸命に努めてみないと、何が問題かって例えばもしその人に悩みごととか困りごとがあったとしてもそれに寄り添ってるふりしかできないし、何らかの介入をするとしても全然ズレた介入にしかできません。本人はできている気になってるんでしょうけれど。

とはいえ自分とは違った人たちから見える世界を自分の頭の中で完結しようとするのではなくて、その人には何がどう見えるのかの視点に立つことって、めちゃめちゃ難しくて一生かけても無理かもしれないけど、それでも一生かけてウムムうむむと理解しようと努めることをしていきたいと私は思います。
経験則だけでサッと一瞬でわかった気になっているのは、なんか違う気がするので。

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