『論語』学問で寛容な心を
『論語』の学而編第8章に、「学べば則ち固ならず」という言葉があります。この「固」を「堅固」とする解釈もありますが、ここでは「頑固」とする解釈をとり、「学問をし、寛容な態度をとれるようになることが大事だ」と考えてみます。
人間、他人に流されないようになるには、まずは何かを学び、自分なりの価値観を作っていくことが大事です。ここがまず学問の第一段階でしょう。
私たちは、生まれてから、親や先生、また学校の教育、メディア等によってさまざまな情報・価値観に触れます。そして、知らず知らずのうちにそれを自分の価値観にしているはずです。
そして、それは無意識のうちにやっていることが多いはずなので、気付かないうちに自分の判断や行動のパターンができているでしょう。
ただ、そうやって作られた自分の価値観に苦しめられることがあると思います。そんなとき、「どうやったら自分が苦しまない生き方ができるだろうか」と考え、自分に余裕ができたら「他人の苦しみをなくすにはどうしたらよいか」と考える。そのためにはどんな価値観を持つとよいのか、と考えていくことが学問の一番大事な点だと思っています。
そして、そのとき、周囲から与えられる情報全てを取り入れるというわけにはいきませんね。自分や他人が苦しまないような生き方をするにはどうしたらよいか、自分の頭で考える必要があります。もし他人の言う事すべてを聞いていたら、舵がない船のようなもので、どっちに進んでいいかわからなくなります。なので、自分には取り入れない考えがあって当然です。
肝心なのは、自分の価値観がある程度定まってきてからです。こうなると、自分に自信がでてきて自分の価値観とあわない人を見下してしまうことにつながりかねません。僕は、「人生の価値観」といえるほど大げさなものではありませんが、自分の行動にある程度ルールを設けています。そして、そのルールに反している人を見ると、正直「この人は何でこんなことをするんだろう」と思ってしまいます。
人間、自分の考えを貫きたいと思ったり、その考えに自信を持つのは自然なことです。また、自分の価値観と違う考えの人にであった際、違和感をふと覚えるのも仕方ないことだと思います。
ただ、そうした感情にとらわれず、冷静になって、「この人がこういう価値観を持つ背景は何だろう」と考えてみることが大事です。それは、その人の生まれた環境、受けてきた教育、過去の人生など様々なことが考えられます。実際、僕もこの視点を持ったことで相手への怒りが和らいだり、相手とのかかわり方の糸口が見えたこともあります。
自分とは違う価値観の人に出会ったとき、相手の背景を考えてみる。これは、日常レベルの人間関係から、国籍や宗教の違いといった世界レベルのことまでいえます。そして、相手側の背景も考慮したうえで、相手が自分と大きく異なる背景を持っていたとしても、自分の心にしみた考えは自分の人生に取り入れてみる。それが、学問の第二段階であり、自分を一生成長させ、豊かにするコツではないでしょうか。