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ブッダの教え10 「因果と後悔」

もしもある行為をしたのちに、それを後悔して、顔に涙を流して泣きながら、その報いを受けるならば、その行為をしたことはよくない。
もしもある行為をしたのちに、それを後悔しないで、嬉しく喜んで、その報いを受けるならば、その行為をしたことは善い。

『ダンマパダ』第5章67、68

「因果応報」という言葉があります。つまり、「自分の行動の結果は必ず自分にはねかえってくる」というものですが、これはそう単純なものではありません。例えば、なにか悪事をしたからとって、瞬時に病気になるとか、死んでしまうなどということはないわけです。また、善いと思うことをしても、なんでも自分の望みどおりにはなりませんね。だから、つい人は無謀なことをしてしまいがちです。

ただ、ブッダは、「自分がしたことの報いはゆっくりと、しかし着実にその行動をした者につきまとう」と教えます。これは、スピリチュアルな話に思うかもしれませんが、そうではないと僕は考えています。「一時の欲や感情に流されて行動すると、その時は気持ちよくても、後で必ずやらなきゃよかったと思う時がくる。だから、冷静な行動を心がけるべきだ」という戒めではないかと考えています。
これは特に、依存性があるものに対していえます。例えば、お酒にしろタバコにしろ、最初から依存症になりたいなどという人はいないでしょう。まさに一時の欲だったのかもしれません。しかし、その欲を放置していくと簡単にはコントロールできなくなってしまい、身を滅ぼしてしまうのです。
他にも、ふと感情をあらわにしてしまい、後々後悔するということも考えられます。実際、僕もそういう経験はあります。
仏教では、「諸行無常」というでしょう。つまり、感情にしろ、欲にしろ一時的なものです。特に突発的な怒りのピークは科学的にも6秒ほどだといいます。ただ、これらが「永遠に続く」と考えたり、「永遠に続いてくれ」と願うことが苦しみを生んでしまうのです。本来一時的であるものに、どんどん心が蝕まれていきます。

もちろん、冷静な行動を心がけても、すべてが期待通りにはなりません。しかし、よく考えたうえで行動を決め、「これで失敗してもしょうがない」と結果を引き受ける覚悟ができているなら、どんな結果になっても後悔はしないでしょうし、自分を責めることもなくなるのです。

余談ですが、2チャンネルを創設し、近年ネット上で悩み相談も行っているひろゆきさんが、こんなことを話していました
「僕のことをポジティブ思考におもう人がいるかもしれないけど、本来僕はかなりネガティブ思考です。あらゆる最悪な事態を想定して、それを受け入れることにしているから逆に前向きな気持ちでいたり、リスクあるチャレンジができる」
この言葉が僕は特に印象的です。無理やりポジティブ思考にならなくてよい、むしろ悪いことでも受け入れてしまえばこっちのもの。それに、「想定外」がないのならわざわざ落ち込んだり後悔する理由はありませんね。なぜなら、「自分の望み通りじゃない」ということがないからです。
ひろゆきさんが仏教の影響を受けたのかはわかりませんが、後悔しないように心がけているのは確かだと思います。

ブッダの教えの根本は「どうやったら心の苦しみを手放せるか」ですので、「後悔しないような行動を心がける」というのはそのために欠かせないものなのです。何が「よい行動」で「よくない行動」なのか、それだけを考え続けても答えは見つかりにくいですが、「これなら後々自分で自分を責めないで済むだろう」というように、自分の心を基準にするのなら、それぞれの人が答えを見つけていくと思います。


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