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無門関・考察

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無門関の公案の、個人的な考察です。
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2022年6月の記事一覧

無門関第四十八則「乾峰一路」

 無門関第四十八則「乾峰一路」について、綴ります。  公案の現代語訳は、こちら。  最終則です。  無門関のしめくくりに選ばれたテーマは「悟りに至る道の入り口はどこにあるのか」。  道の入り口。くぐるべき関。  第一則に繋がるようなテーマです。  どんな世界でもそうなんだと思いますけど、道の形は、螺旋のような形かも知れないですね。  全然まだまだだ、基本がなっとらん、と、思えるようになるのが一つの進歩、みたいなこと、あるじゃないですか。  結局最初の初歩に戻ったのかと思い

無門関第四十七則「兜率三関」

 無門関第四十七則「兜率三関」について綴ります。  公案の現代語訳は、こちら。  兜率寺の和尚である従悦が出していたという三つの関。  これを即座にくぐれるか。  それが今回のテーマです。  これ、いわゆる悟りの境地から遠い、良くも悪くも普通の状態で出す答えと、いわゆる「悟り」の入り口だけでも覗いたことがある人の答えは、かなり違ってくるんじゃないか、という印象があります。  内容もですが、それ以上に、その答えを出すスピードも。  私は前者なので、うんうん唸って考えてひね

無門関第四十六則「竿頭進歩」⑥

 無門関第四十六則「竿頭進歩」について綴っています。  公案の現代語訳は、こちら。  あの講習会の何がそんなに怖いのか。 「オレは大丈夫だもん」と思う人に、「人間は自分が思うほど頑丈じゃないよ」という話を、してみます。  講習中、受講者は、ぐいぐい会に引きずり込まれる人と、比較的冷静を保つ人に分かれ始めます。  私が読んだ資料には、「喫煙者は、比較的、変化の進行度合が遅かった」ということが書かれていました。  喫煙者は、煙草を吸うために、自発的に喫煙所に集まります。  勢

無門関第四十六則「竿頭進歩」⑤

 無門関第四十六則「竿頭進歩」について綴っています。  公案の現代語訳は、こちら。  ヤバい講習会シリーズ5日目から。  この頃から、受講者に、いろんな変化が表れます。  6日目からは、日常の軽作業を体験しながら、会での暮らしについて教わります。  初日でもサラッとは触れられますが、初日とは、受講者の反応がかなり違ってきます。  詳しい内容は割愛しますが、要は、初日に比べて「話されることが、受講者の頭にダイレクトに染みこんでしまう」ということです。  これ、恐ろしいのは

無門関第四十六則「竿頭進歩」④

 無門関第四十六則「竿頭進歩」について綴っています。  公案の現代語訳は、こちら。  前回の続き。講習会の4日目からです。  この辺りから、少しずつ疲労がたまり始めます。  この講習の間、受講者は大きな広間に幾つも布団を敷き、その布団に二人一組で一緒に寝ることになります。  初めて会ったばかりの他人と同じ布団で寝るんです。  連日、わずかな休憩と、食事、入浴等を除けば、ぶっ通しで考えさせられるのに、質のいい睡眠がとれない。疲労が残り始めます。  講習会4日目。 「あなたは

無門関第四十六則「竿頭進歩」③

 無門関第四十六則「竿頭進歩」について。  公案の現代語訳は、こちら。  「本当に起ったヤバい話」を綴っています。  2日目。講習の進行役が、例えばこんなお題を出します。 「嫌いなものは、なんですか?」  進行役は穏やかに受講者をランダムに指名し、指名された受講者は「嫌いなものはトマトです」「カエルです」「酒が嫌いです」「会社の上司が」などと思い思いに答えます。  事前に各受講者に「必要だから」と聞き取りを行っていたのでしょう。  準備されていた各々の「嫌いなもの」の

無門関第四十六則「竿頭進歩」②

 無門関第四十六則「竿頭進歩」について、綴っています。  公案の現代語訳は、こちら。  今回は、前回の続き。  前回予告した、「とってもヤバい話」を、数回に分けて綴る予定です。  具体的な団体名は、ここでは伏せることにします。 「どこで起ったのか」は、今回のテーマには重要ではないと思うので。  その会は、農業と酪農を基盤としたコミューンの体をしています。  会員はその団体の敷地で集団生活を送り、農業や酪農に従事し、生産物を分配して食し、余剰生産物を近隣の住民に売り、その

無門関第四十六則「竿頭進歩」①

 無門関第四十六則「竿頭進歩」について、綴ります。  公案の現代語訳は、こちら。  今回の公案。  これ、非常にヤバいことが書いてある。  ヤバいものはこれまでも、実はちょいちょいあったんですが、メインテーマを概ね健全に考えられるなら、その考察を優先して綴り、あまり触れずにきました。  しかし、今回は、流石にヤバい。ぶっちぎりでヤバいです。  これ多分、普通に生活したければ、真剣に向き合ってはダメな奴です。  哲学的に思考を楽しむ程度ならいいんですよ。  そういう意味で

無門関第四十五則「他是阿誰」

 無門関第四十五則「他是阿誰」について、綴ります。  公案の現代語訳は、こちら。  そもそも私、釈迦と弥勒、どちらがえらいのかもよく解っていませんでした。  お釈迦さまは元々人間。弥勒は最初から菩薩。  だからどちらかと言えば弥勒の方が偉そうな気がする、なんて勝手に漠然と思っていました。  その程度の状態で、ああだこうだと考え、気がついたら今回を含めてもう残りわずか四則。最後まで解らないままというのも何なので、ざっと調べてみました。  いわゆる仏さまランキングは、上から

無門関第四十四則「芭蕉拄杖」

 無門関第四十四則「芭蕉拄杖」について、綴ります。  公案の現代語訳は、こちら。  とりあえずまずは、拄杖とは何か、という話でしょうけどね。  拄杖。杖です。雲水が行脚する際に使います。  でも、ここでは単にそういうことじゃなくて、何かの見立てだということでしょう。  この話は、私には、こう見えました。 「情けは人の為ならず」  持っていれば、与えることが出来るから、与えてもらえる。  持ってない人は、何かと奪おうとしがちなので、奪われる。  おんなじように、されるので

無門関第四十三則「首山竹篦」

 無門関第四十三則「首山竹篦」について、綴ります。  公案の現代語訳は、こちら。  原文をかなり意訳したら、こんな感じになるのではないかと思います。 首山「これ、竹篦と呼んだら、竹篦だとしか思えなくなる。    竹篦と呼ばなければ、その名に背くことになる。    さあ何と呼ぶ」 無門「言葉でもダメ。沈黙でもダメ。早く言え」  それならもう、その竹篦を奪い取って、首山をひっぱたけばいいんじゃないの?  まあ、そうされても首山は怒らないだろうと思いますけど、万一「お、おま

無門関第四十二則「女子出定」②

 無門関第四十二則「女子出定」について、綴ります。  今回は、本則や評唱、頌の内容に添って考える予定です。  公案の現代語訳は、こちら。  文殊菩薩は、智慧の菩薩です。  この世で、自分ほど智慧や分別のある者は数えるくらいしかいないだろうと、そんな自負も持っていそうです。  確かに、智慧は並外れてあるのだろうと思います。  ただ、問題は、分別のほうでね。  ずっと釈迦の近くで瞑想状態に入っている女性を見て、「私ですらそんな傍には寄れない。皆離れて戻っている。なのにどうして

無門関第四十二則「女子出定」①

 無門関第四十二則「女子出定」について、綴ります。  公案の現代語訳は、こちら。  なぜ、智慧を司ると言われる文殊菩薩は、三昧境の女性を起こすことが出来ず、無知を体現しているとかなんとかの罔明菩薩は、女性を起こすことが出来たのか。  この公案に触れた際「やっぱり女は愚かで無知だからだよ。だから自分に近い罔明菩薩の方に反応するんだろう」などとしたり顔で言う男が、昔はいーーーっぱい、いたかもなあと思うと、少々腹立ちますね。  勝手に想像して勝手に腹立ててりゃ世話ないんですが、

無門関第四十一則「達磨安心」

 無門関第四十一則「達磨安心」について、綴ります。  公案の現代語訳は、こちら。 「人は幸福を知ったときに、己の不幸を知る」という言葉がありまして。  誰の言葉か、といわれたら、まあ私なんですけど。  例えばね、貧乏がつらいわけじゃないんですよ。  こう言うと、「何言ってんだ貧乏はつらいだろ」と思うかも知れませんけどね、「みんな一人残らず一生貧乏のまま」ならば案外気楽に暮らせるものですよ。  貧乏がつらくなるのは、「他人は貧乏じゃないのに、自分は貧乏」である場合です。その