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夏の思い出

息子と一緒に素麺を食べていて、ふと思い出した。

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小学生の頃、夏休みになると父の実家に泊まりに行っていた。

父の実家は、電車の駅や空港が近くにはない、車だと6−7時間くらいかかる遠い県にあって、頻繁に訪れる事ができなかった。だから、夏休みになると父の車で家族旅行。一週間くらい泊まりに行っていた。

出掛ける時は、確か、夜の10時頃に出発していた。私達子供は、後部座席を倒して寝ながら移動した。まだ暗い内に出発するのが冒険に出発するようで、いつもワクワク楽しかった。

大抵寝ていたし、長旅は苦にならなかった。起きていても、変わって行く景色を眺めているのが好きだった。祖母宅からの帰りの車では、海に沈んでいくオレンジ色の太陽、空いっぱいに広がる夕焼けの美しさに感動して、見入ったりしていた。ずっと運転していた父は、大変だったろうが。

まだ夜が明ける前、祖母の家に着く。いつも、まだ暗い中、薪ストーブに火を入れて温めてくれていた。

父の実家は、東北の北の端の方の海辺にあった。夏だというのに、朝晩の冷え込みが強く、ストーブが必要だった。同じ日本なのに、夏なのに、肌寒くてストーブを焚いている景色がなんだか不思議で、そんな中、祖母がずっと待っていてくれたのかな?と、なんだか嬉しかった。

祖母が好きで、祖母の家が好きだったけれども、残念な事に私は、祖母と会話する事が出来なかった。

なぜなら、訛りがきつすぎて。

本当に、異国の言葉のようで。

一生懸命聞き取ろうとするのだけれども、やっぱり良くわからず、異国の方とやり取りするように、ジェスチャー込みで、なんとなく笑って返事をしていて、母に「今、なんて言ってたの?」こっそり聞いたりしていた。

そんな中、近所に住んでいる母よりも年上の、はまこさんという方が、私達の食事や身の周りの世話をしてくれていた。祖母は、足腰が弱く、日常生活の事をはまこさんが手伝ってくれていた。

はまこさんの言葉は、わかる。

たまに、わからない時もあるけど、大抵、わかる。

祖母との通訳のようでもあり、心強かった。

はまこさんは、明るくて、ちょっとハスキーボイスで、パグ犬のようなクシャッとした笑顔が素敵な愛嬌のある優しい方で、私達子供にもよくしてくれていた。

私は、はまこさんが大好きだった。

イカがよく取れる土地だったので、いつも食卓に新鮮なイカ刺しが出ていた。後は、素麺。水の張ったガラス器の中には、必ず、素麺と一緒にみかんの缶詰と氷が浮かんでいた。家では、みかんの缶詰が素麺に入っていた事なんてなかったから、甘いものが入っている事に違和感を覚えながら、次第に慣れて、食卓に馴染んでしまった。みかん、美味しい。

船の形をした山車が出る、夏祭りが好きだった。海が近かったから、灯台まで、よく遊びに行っていた。海は私の住む街よりも、ずっとずっと綺麗で透明で、魚がたくさん泳いでいた。お盆には、夜のお墓で花火をするという変わった風習があった。夜のお墓なのに、たくさんの人がいて、花火がいろいろなところで、明るく光っていて、怖いなんて感情は一つもなくて、とてもとても楽しかった。

いつもとは違った街並み、食べ物、風習、全てが新鮮だった。

今でも、鮮明に覚えている。

夏の思い出。


父が亡くなって、祖父母も亡くなって、父の実家には行かなくなった。

ある時、母が教えてくれた。

「はまこさん、亡くなったんだって」

「え?はまこさん、亡くなったの?なんで?」

「病気だったみたいで、自分で海に入ったらしいよ」

ショックだった。あんなに明るくて、優しい、はまこさんが自殺した?

最後に会ったのは、いつだったのだろう。


長い事、うつ病を患っていたらしい。

「よくきたのぉ」あの優しいハスキーボイスで、クシャとした笑顔で、また、イカ刺しとみかんの缶詰入りの素麺を食べさせて欲しかったな。

今は亡き母や父と一緒に、イカ刺し食べているのかな。

素麺を食べると、子供の頃の夏の思い出と共に、はまこさんのあの笑顔を思い出す。

私も、みかんの缶詰を素麺にいれてみようかな。

息子も気に入って、喜ぶかもしれない。





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