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失敗を本気で受け入れると気づけることがあった(移住のリアルここにあるよ)

先日出張で東京に行った際、ひょんなことから香川の某高校の生徒さん向けに、移住について語ることになった。
時間が15分程だったので、東京から香川県小豆島への移住の経緯や小豆島を選んだ理由、実際に住んでみて困ったこと、良かったこと、3年小豆島に住んだ後高松に引っ越した経緯、高松に住む今のことなんかをざっくりお話しました。

生徒さんからの質問も活発で、質疑に応える中で自分の中に見えてきたものが意外かつ大事な事があったり、話したことによって自己への気づきもあり、せっかくなので勢いに任せてまとめてみます。
サクっと読みたい方は「3.」からどうぞ。これまであえて言語化してこなかったことを文字にしたのは初めてなので、最初から読んでもらえるとうれしいです。

1.ざっくりとした人生の流れ

〇愛知県名古屋市生まれ
〇愛知から東京への移住(20歳):ダンスがしたい!
・20-27歳:携帯キャリア会社/ダンス中心/派遣社員
・27-32歳:IT系一般事務・営業事務/ダンスは趣味に/正社員
〇東京→香川県小豆島への移住(32歳):地方に住んでみたい!
・32-35歳
・食品製造業 品質管理・商品開発(会社員)
・高校生国語塾アシスタント講師(1/週)
・総合型地域SC立上げ&運営(ボランティア)
〇小豆島→高松市への移住(35歳):もう少し都会がいい!
・営業事務(3-4/週)@ベンチャー
・ライター
・テレビ局報道ニュースウェブ記事化
・総合型地域SC広報・事務局・ブランディング
→すべて小豆島・高松で出会った人とのつながりで得た仕事
(ちなみに2020年は更に3つ活動が増える予定)

2.東京から地方移住を考えた理由と経緯

一番の理由は「近所に住んでいる人同士繋がりのある場所で暮らしてみたい」でした。その他詳細は
①東京人多すぎて通勤しんどいのにオリンピックでさらに人がいるとか、恐怖(←苦笑)
②東日本大震災で実感した漠然とした不安:近所に人は密集して住んでいるのに頼れる人がいない
③出身地名古屋もわりと都市部で地方のつながり、コミュニティというものを知らない
→近所に住んでいる人同士繋がりのある場所で暮らしてみたい
→わからないし、気になるならやってみないとわからない!
→とは思いつつ、地方の仕事は仕事内容も条件もいまいちで、一般的な転職サイトで魅力的な仕事に出会えず。ここという移住先も考えていなかった
「日本仕事百貨」を見つけ、コンテンツとして気に入り、記事を読むように
→「これなら条件も良いし、興味のあった食品関連の仕事ができそう」
と思えた仕事がたまたま香川県小豆島。瀬戸内は一人旅したこともある。応募。
→面接で小豆島を訪問。幅広い年齢層、実際に働く部署の人たちと話す。翌日には小豆島を車で案内してもらい、生活しやすい環境であることを知る(スーパー、コンビニ等充実、オンラインで色々賄える想定等)
→なんやかんやで移住決定

3.移住して実際にどうだったのか

〇良かったこと
・通勤は自転車5分
・周りの方のお陰で車無しでも離島生活を遂げた(奇跡)
・職場の該当部署の先輩・上司に恵まれ、仕事はやりやすかった
・通勤数分、基本定時終了でとにかく時間がある
・時間があるからさまざまな挑戦ができて、そこで人と出会えた
・顔が見えるコミュニティだからこそ会いたい人に出会いやすい(人を一人返せば、会いたい人に会うことができる)
・自分がどんな人間か、が他の人にも伝わりやすく、良い面を見てもらって仕事や役割を得ることがあった

〇良くなかったこと
・自分が目立つ存在という認識が無く、いろいろあった(割愛w)
・都会にいたとき同様、ありのままの自分で問題ないと思っていた
・息をひそめた同調圧力をうまくかわす力がなかった
・地方の中小企業というものを理解していなかった(これまで大企業のみ)
・そもそも自然を求めていたわけではなかったので、エンタメ不足で退屈
・恋愛しにくい
・自分には都市・街の要素が必要だった
⇒総括:自分らしく生きることが自分にとっては最も重要なことがわかった、それが小豆島では叶えにくいと思い、もう少し都会的な高松へ移住

4.私は移住で得たかったものを得られたのか?

トーク後の質疑で生徒さんが聞いてくれたこの質問。これについてはYES、NOでいうとずっとNOだと思っていた。小豆島というコミュニティに私は混ざりきることができず、地元の人たちの集まりにも顔を出さず、私の考え、発言、行動をとやかく言われることも疎ましく思うことがあった。なぜ自分らしく生きるだけのことがこんなに難しいのか?と常々思っていました。
それは小豆島が悪いのではなく、私自身が経験したことのない文化だったから摩擦が起きたのだと思います。誰かが悪いのではなく、合う、合わないの問題だとは思っていました。
でも、今の自分の生活、仕事について語った後にこの質問をされたときに、「あれ?私、得たかったもの得ているじゃないか」と気づかされました。

小豆島生活3年で私が得たものは、まさに求めていた「近くにいる人に支えられる生活・人生」でした。これはこの質問をされるまで全く、本当に気づいていなかった。なんて未熟なんだろう。
移住前に思い描いていたもの(なんか近所の人たちとわいわいするイメージ?)とは少し違っていたけれど、私は顔の見える人たちと暮らし、しっかりと支えられていました。
小豆島からの引っ越しの時には友人、会社の大先輩、ずっと手伝ってきた組織の人、薄いつながりの人、飲み屋で出会ったお姉さま等(笑)が手伝いに来てくれた。会社を辞めたいと話せば「仕事を作ろう、一緒に考えよう」と言ってくれる人。本当に多かったのが、高松での仕事が行き詰まった時に仕事を紹介してくれた人。自分が好きで書いていただけのことを仕事にしてくれた人。この人が合うんじゃないかと誰かと繋げてくれた人。こんな人を探していると言ったら紹介してくれる人。話を聞いてくれといったら飲みに行ってくれる人……気が付けば、数えきれない人たちに助けられました。その人たちは誰なのか?小豆島に住んだ3年で出会った人たちでした。今やっている複数の仕事、すべてがこの3年で出会った人たちの縁でいただいたものでした。

小豆島の3年間は自分にとっては「やってみたけど、失敗だった」と思っていた。でも、そうじゃなかった。そうならなかったのは小豆島の人、小豆島で出会った人たちのおかげ。

5.移住前の期待以上に得たものがあったのは、挑戦したから

上記は「移住して嫌な思いをした時に東京に帰ろうとしなかったのか?」という質問をいただいて気づいたことで、私の回答は以下です。
「しょっちゅう帰りたいと思っていた(笑)。でも、どんなに嫌でも1年やそこらで帰ったら他の誰かや何かではなく、自分自身に負ける気がして嫌だったんです。ここで辛さを理由に東京に戻ったら、私にとって小豆島はずっと嫌な場所になる。漠然と、必ずここで何かを得てから出ようと思っていました。なんかちゃんとしたっぽいこと言ってますが、当時こう思えていたのも、腐りかけていたピークのタイミングに会社以外の場所で役割をくれる人たちがいたからです」
「辛い思いや自分を押し殺さないと回らないシーンが何度もあったけれど、それは自分が知っている以外の文化を知らず、自分とは違う感覚をもって生きている人たちがいることを知らず、彼らの気持ちや人生を想像する力が無かった、未熟者だったからだと今気づきました。私は移住しなかったら一生そのことに気づけなかったと思います。ちょっと話が広がってしまいますが、それらも含めて移住して良かったと、今は思えています」

ちゃんとしたこと言ってて自分でも驚く!その場にいた生徒さんたち、また組織のスタッフさんがとっても良い質問をしてくださって内省が深まるすごくいい時間でした。(本当に出会いって不思議。このトークの前日に仕事関係のメッセンジャーグループで「うちの小林が移住組なんでお手伝いしますよ」と会社の代表が声を掛けたらこうなった)。

教育関係は自分からはとても遠いこと……と思っていたのだけど、ここでの生徒さんのワークを拝見したり、こうして対話したり、先生方とお話しして「教育っておもしろいな、未来ある素晴らしい分野だ」と実感しました。聡明で自主的に物事を考える力を持つ若い彼らが、数年後どんな道を選び、どんな人生を歩み生きていくのかが楽しみです。
世の講演とかって大学生から一般向けによくあるけれど、高校生にこそいろんな大人の話が聞ける機会があると良いんじゃないでしょうか。それは私のような“普通の人”も含めて。そういうお手伝いもどこかでしていきたいと考えています。

当日は軽い気持ちで「何かお役に立てれば」と伺ったのですが、思いがけず自分自身が多くの気づきを得る機会になり、心から御礼申し上げたいです。ありがとうございました。

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