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手を繋ごう

”先生、カフェテリアまで手を繋いでくれない?”

何年か前のことーーーそう真顔でお願いしてきたのはかつて私のクラスにいた12年生の男子生徒だった。(*アメリカの私立校で教師をしています)

私はちょっとだけ戸惑った、というのも我が校は生徒にハグをしたりすることは禁止されていないけれど(一般的には教師は生徒を触らない、という決まりがあります)、手を繋いで歩くことはまずない。

私の困惑が表情に出ていたのだろう、彼は”今日だけ、お願い”とにっこりする。

普段はそんなこと言わない生徒なので何か理由があるのだろう、と信じて、彼と手を繋いでぶらぶらとカフェテリアまで歩いた。
私の教室を出てからゆっくりゆっくり歩いたが、それでも4−5分のことだったと思う。
その間、彼はぎゅっと手を握っていた。そして昨日の宿題が難しかったこと、もうすぐ卒業なのがちょっと寂しいこと、ラクロスの練習が楽しいことなんかを話し、私はふんふんと聞いていた。

道すがら他の生徒達が驚いた顔を見せる。
ヒューヒューとからかう声をかける子もいる。
大きな笑顔を見せて いいなーー!と叫ぶ子もいる。
12年生の物理の先生は顔をしかめていた。

彼はそんな声や顔に全く反応せず、5月のぽかぽかとした陽気を心から楽しむように私の手をぎゅっと握ったままぶらぶらと歩いた。
私も握られたままぶらぶらと歩いていたが、心の中は誰かに何か言われないだろうか、問題視されないだろうか、と焦りの気持ちもあった。

カフェテリアのドアを開け、彼がそろそろと手を離し、小さな声で 
”ありがとう、すごく楽しかった” とお礼を言う。
理由を聞くのは野暮かなと思いながらも聞かずにはいられず、聞いてみた

”どうして手を繋ぎたかったの?”

ちょっとだけ恥ずかしそうに微笑んで理由を教えてくれた。

”今週末は母の日だから英語の授業でお母さんについて詩を書こう、って先生に言われたんだ。でも僕はお母さんがいないから、何にも書けなくて”

そしてえへへへと笑い ”お母さんと手を繋いで歩いたらどんな気持ちになるのかな、と思ってさ〜”

そう答えると今更照れたように じゃあね!! と叫んで一気に階段を駆けあがって行った。

離した手の感触がまだ残る自分の手をぎゅっと握り締めながら、駆けていく大きい背中の彼を見送りながら、何故だか寂しいような切ないような嬉しいような照れくさいような感情が湧いてくる。
私には子供がいないが成長した息子が家を出ていくのを見送る母親はこんな気持ちなのかな、とぼんやり思っていた。

翌日、彼からノートに書かれた短い詩と小さなチョコレートの箱が教室に届けられていた。

母親ではない私が母の日のプレゼントを貰うという不思議で暖かくてちょっとだけ苦しくなったある5月の出来事だった。

シマフィー 



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