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口を開かない子供

*アメリカの私立高校で歴史を教えています。

3年前にブラジルから兄弟で我が校に留学してきた男の子がいた。お兄ちゃんは10年生(日本の高1)で私の歴史の授業を取っていたので初日からその子のアメリカ生活を見てきた。
ステレオタイプかも知れないがブラジルからの留学生は皆明るく陽気で人気者が多い。英語がまだ上手ではなくても人懐こく友達はすぐに出来る。
だけどマルコは違っていた。彼は全く声を出さなかった。
初日の授業前に“歴史のMs. Shimaよ”と挨拶する私に顔を真っ赤にして頷くだけで、自分の名前さえ声にしなかった。その時点では極度にあがっていて英語があまり話せないのかなと思い、無理に自己紹介などはさせず、ゆっくりクラスに馴染めばいいかなと考えていた。

マルコはそれからも一言も発さず、3日が過ぎるころに、さすがに私は不安になった。クラスディスカッションがあるし発表もあるし、口頭試験だってある。彼はこのまま喋らないのだろうか?
英文や生物の先生にも声をかけ、マルコが声を出しているか聞いてみると、やっぱりNOだった。どの授業でも一言も喋っていない。

すぐにバックグラウンドファイルを出して何か学習・心理・語学力などでの注意点が書いていないが確認した。ひょっとすると吃音があるかもしれない、英語が全く出来ないのかもしれない、LD(学習障害)があるかもしれない。
でも何もなかった。書面上はテニスとサッカーが得意なごく普通の男子だった。

週最後の授業で呼び止めてマルコを横に座らせ簡単な英語でゆっくり聞いてみる。
“マルコ、授業は理解してる?英語が難しい?”
首を振って小さく小さく yes と返し、もっと小さくNo と言った。それが初めて聞いた彼の声だった。
その後も宿題はきちんと出来ているしテストも受けて、授業の理解は出来ていたのは確認できたけれど、発言も討論も発表も、首を振るだけで声を出すことはなかった。

そんなだから親しい友達も出来る気配はなく、ランチは一人で携帯で動画を見ながら食べていた。時々は一緒に座ったが、ひょっとするとランチは彼が誰の目も気にせず、気を使わずリラックスできる時間なのかもしれないと思い、一人は可哀想だと思いながらも遠くに席を取ることもあった。

私が学生だった頃はマルコは問題児とみなされただろうが、この時代には色々な生徒がいることは教師も学校も重々承知しており、様々なチョイスを用意して授業評価をつける。
考える時間が倍必要な生徒はテストの時間延長も可能だし、問題を読んで理解できない子には音声でテストを読み上げる。大勢の教室でテストを受けると極度に緊張する生徒には個室を用意するし、英語が母国語でない生徒にはキーワードを中国語やロシア語でも併記する。

マルコはどの科目でも全ての発表を免除され、代わりに筆記で評価を受けた。

2学期には次の段階として、意見をタイプして、それを音読するという練習をさせてみた。ちょっとでも英語で声を出せる様にしたかった。
彼の留学の目的は英語力アップだったし親御さんとの面談時にスピーチセラピーが必要な状態ではなく母国語では普通に話せるのがわかったからだ。

最初は一文、次は1パラグラフ、その後は2パラグラフ、と何週間かかけて音読を増やしていった。
2学期の終わりには書いたものを読まずとも、1−2文は話せる様になったが、一対一の時のみでみんなの前で発表などは出来なかった。

結局彼は1年間の滞在のうち、授業では2言3言しか喋らなかった。
教室の外では少しだけブラジル人の友人とポルトガル語で喋り笑う声は聞けた。
一日8時から4時までの8時間のうち、彼が声を出すのは90%以上が放課後私と一緒にする音読だった。その時間まで彼が口を開くのはめったになかった。

6月の学校最後の日に、マルコは律儀に放課後に私の教室に来た。
音読をしたいと言い、丸々1ページ分の宿題をゆっくりと読みあげた後に

This is for you と小さく囁き、チョコレートの箱を私の方に押しやった。

ニコニコと微笑む彼を見て私はこのまま彼が学校を去るのが悔しかった。
楽しいアメリカ留学にならず不憫だとも思っていたし、クラスに馴染まなかったのも可哀想だった。

また遊びにおいでね、と送り出したが彼にはもう会えないだろうなと思っていた。

翌日空港に向かう車の中からマルコがかけてきた電話に私は出られなかった。
彼はボイスメールに、一拍の沈黙の後、流暢な英語でスラスラと、アメリカは楽しかった、授業も面白かった、また先生に会いに来たいので電話番号やメールを変える時には必ず教えて欲しいとメッセージを残した。

会議が終わって録音された彼の声を聞いて心から驚いた私は、そこにいた先生たち全員にスピーカーホンでメッセージを聞かせた。
彼らのほぼ全員がマルコがハキハキと喋るのを聞くのが初めてで目を丸くして驚くばかりだった。

メッセージの最後にマルコは
Shima, I love you と小さく言い、それを笑う弟の声で電話は切れた。

彼がブラジルに帰ってから毎年3回電話が来る。
私の誕生日、クリスマス、そしてイースターだ。
毎回話す時間はちょっとずつ長くなり、昨年のクリスマスに来た電話では最長の4分喋った。

来週のイースター休みにマルコから電話が来るのを心待ちにしている。
今回は5分喋れるかな、と心待ちにしている。


シマフィー

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