見出し画像

世界一陽気なミサ

キリスト教のミサ、と聞くと静かでちょっと薄暗く、肌寒い空気の中、神父様がゆっくりと神にまつわる話や聖書の一節を読み、出席者は静かに厳かにそれを聞いている・・・そんな図が思い浮かぶ。

少なくとも私が過去訪れたミサ(mass)は東京でも、ドイツのドレスデンでも、アメリカのミネソタ州でも、スペインのセビリヤでも、そんな感じだった。

パイプオルガン、ステンドグラス、天井に描かれた天使たち、聖人たちの肖像画や彫刻、そして十字架に磔されたイエスキリスト・・・どの国でも教会を訪れると不思議と ”自分は罪深い人間だ” と思い知らされ、神の教えを・許しを請いたいような気分になり、いやでも死がやってくることを思い出させる。

私自身はキリスト教徒ではなく、誰かに ”宗教は何?” と聞かれればその時の気分で 神道 と答えることもあれば、無宗教 (atheist)ということもある。なのに、旅行先や滞在先に教会や大聖堂があるのを知ると見に行って中をのぞいてみたくなる。中世ヨーロッパやルネッサンスの歴史を教えているのでカトリックの黒い部分もよく知ってるが、それと対極にあるようなきらびやかな装飾や宗教画、そして美しい建築様式を見るとやはりどうして昔の人が(もちろん今も)宗教に惹かれるのかわかるような気がするからだ。

でもミサは好きではない。どうしても教えや聖書の中の話にふんふんと頷くことができない。どうしても参加しないといけない時も大抵がうなだれているか、キョロキョロと周りを観察している罰当たりだ。

そんな私がこれまでに唯一、心から楽しい!来てよかった!と思えるミサに出会ったのは小さなメキシコの街だった。

たしかチワワ市郊外の田舎だったと思うが、その日はちょうどクリスマス近い週末で、私は市の中心街を1人でぶらぶらしていた。教会が目に入り、ミサをやっていると看板が出ていたので、大きな扉を開けて入ってみると、中に見えたのは肩を抱き合って、叩き合って笑い合うたくさんの人だった。

祭壇にはずらりと7−8人のマリアッチバンドのおじさんたちが並び、ギターをじゃかじゃかかき鳴らし、声を上げて歌っている。賛美歌のようなものではなく、まるで神聖なメロディーではない、ビーチパーティーで歌うような歌だった。実際の歌詞は宗教色があったのかどうかはわからない。

厳かとは程遠い、まるでフィエスタ・お祭りのような雰囲気で、陽気な音楽と人々の笑い声につられて自分までウキウキしてきたのを覚えている。両隣にいた若い男女が何やら声をかけてきたがスペイン語はカタコトだったので、果たして何を言われたのかは全くわからない。

でもニコニコの笑顔につられて、グラーシアス!グラーシアス!と声が出て、周囲の人が肩を叩きキスをしに来たのを胸いっぱいの幸せとともに受け止めた。方々から声がかかり、”旅行か!うちに泊まれ!”  ”我が家の夕食に来い!” と手を引っ張る。実際このミサの後に夕食にお呼ばれになり、そのままそのお宅に2泊させてもらった。

マリアッチバンドの後ろには悲壮な表情で磔にされ、血を流しているキリスト像があり、右手には諦めたような表情のマリア像があり、壁には無表情の天使たちの彫刻があり、そのどれもが目の前の陽気な音楽や幸せに満ちた笑顔の参列者にミスマッチでシュールな図だった。

こんなに陽気で生のエネルギーに満ちた教会があるんだ、と驚くと同時に、もともとの土着の宗教はスペイン人が入植し、カトリックに改宗を迫るまではこんな風に陽気で楽しく笑顔で幸せを祝うものだったのかもしれないな、としんみりした。

あそこに立つキリストも、マリアも、天使も、みんなよそから来たお客さんなんだ

なんとなくマリアッチに戸惑っているようなキリストの顔を見ながら、大きな声で周りの人たちと叫びあった

Feliz Navidad!Merry Christmas!

これが私の体験した最初で最後の、Feliz (幸せ)と Merry (陽気な)がふさわしいミサだった。

シマフィー 


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?