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自分6歳:盗んだお金から何を学んだか

自分が持つお金のことをあまり考えない。というか、あまりお金に執着がないし興味もない。
ポケットにお金を入れたまま忘れるし、1年ほど使っていないハンドバッグから2万円の裸銭を発見することもある。

大きな大人になってからは、現金は必要分ギリギリしか持たず、カードは万一の時にしか出さないようになっている。何かをローンで買うことはない。ありがたいことに夫はやりくりが上手で細かに家計簿をつけ、老後の貯蓄も年金の計算も嬉々としてやってくれるので全部まかせている。

そんなお金に執着ない自分を自覚したのは6歳のときだった。

小学校にあがると月の頭に自分の名前を書いた給食袋にその月か2ヶ月分かの給食費を入れて担任に渡さなければならなかった。
渡すと封筒の表に印鑑を押してくれる。

その日私はランドセルの底にくしゃくしゃになった給食費を見つけた。
千円札が入ったまま、教科書やら筆箱やらに押しつぶされ、袋はシワシワだった。
それを見つけたときに やばい、これは親にも先生にも怒られる、と直感した。
今日提出しないといけなかったのに。しなかった。
これは明日出しても怒られる。なぜ昨日期日通りに出さなかったのか咎められる、とっさに私はそう思った。

怒られたくない。お母さんにも先生にも怒られたくない。

そんな私が下した決断は この千円札を誰にも知られぬよう消す だった。

捨てたわけではない。翌日の放課後、友達を5−6人引き連れてなじみの駄菓子屋に行った。そこでみんなに

何でも買っていいよ、お金はたくさんある

と大盤振る舞いをした。私たちは普段使える20円だか30円だかのお小遣いで悩んで悩んで選ぶお菓子よりも、もっともっと多くのみかんガムやちいさいヨーグルトやちゅーちゅージュースやチロルチョコを買った。
店のそばの公園で全部並べてハジから一つ一つ、全部食べた。
みんなで幸せな顔で、食べたかった駄菓子を全部食べる・・・子供ながらに富豪のような気分を味わっていた。
ちゅーちゅージュースを3本飲んだ私はトイレに行きたくなり、公園の片隅にあった公衆トイレに駆け込んだ。
オーバーオールの肩の金具を両方外し、ズボンを下げた時に
ちゃりんちゃりん とボットン便所の暗闇に消えてゆく小銭の音が聞こえた。
胸のポケットにお釣りを入れていたので、それがひっくり返った時に落ちてしまい、お釣りのほとんどは消えてなくなった。
胸ポケットの固い隅っこにかろうじて150円ほど引っかかって残った。

もう落ちてしまったので仕方ない。そのまま用を足し、家に帰った。
私の この千円を消す というミッションはほぼ成功していた。
ボットン便所の奥底に落ちた500円だか600円だかに未練はなかった。

家に帰り、両親と夕食を食べている最中に電話が鳴った。

鈴木君のお母さんだった。
お母さんはうちの母に “うちの息子がシマちゃんにたくさんおやつをご馳走になったようでありがとう”とお礼を言ったらしい。お礼という顔をしたチクリだ。
母と父はすぐに私を正座させて問いただした。

私は洗いざらい、給食費の千円を消したことを告白した。

父が怖い顔で いくら使ったんだ?残っているお金を出しなさい、と言うのでおずおずと100円だか150円だかを胸ポケットから出すと、見る見るうちに鬼の形相になり

パーーーン と平手が飛んできた。

6歳の子供が盗んだ給食費で友達に大判振る舞いした。
父にしてみれば、お金を盗み、無駄に使い、見栄をはるようなまねをする子供が頭にきたのだろう。

ひょっとしたら父にとって1000円は大きなお金だったのかもしれない。
うちは特に貧乏でもなかったが絶対的に裕福ではなかった。
子供時代の私はわからなかったけれど、1000円はパーっと駄菓子に使っていいお金ではなかったのかもしれない。
ましてやボットン便所の奥底に沈めていいお金でもなかった、私は平気だったけど。

父はその後お金の大切さや黙って自分のものにすることは良くない、というような説教をしたのだと思うが私は覚えていない。

そんな記憶と共に大きくなった私だが、今でもお金に執着はさほどない。
ただ見栄を張るために、自分を良く見せるために、お金を使うことも全くない。

シマフィー

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