【長編小説】人ヲ殺して、もらいマス。#06
5月13日 火曜日 AM10:23 / 伊原舜介
原宿まで出て、メモに書き込んだ買い物を済ませることにした。西荻窪からだったら新宿の方が近かったが、原宿の方が普段あまり出歩かない街だったし、誰が購入したのかわからないぐらいに出回っている安価なモノが販売されているようなイメージがあった。それに大きな百円ショップがあるのも魅力的だった。
彼はまず百円ショップに行ってナイフを探した。でも、いざナイフを目の前にしてみると、その日常性の無さに、購入するのに気が引けてしまう。こんな物を持っていたら、仮に警察に職務質問された時になんと答えればいいんだ?
今回、出歩く時間は深夜になるだろう。それだと職務質問を受けるリスクがはね上がるに決まっている。そして、怪しい恰好をして、それに加えてナイフを持っていたとしたら、そのまま警察署か交番まで連れて行かれて、オレは交番に置かれた机に坐ることもなく、このブラックボックスが作動して死ぬことになるのだ。
伊原は首をふった。そうなることが容易に想像できたことで、彼はナイフを諦めて、頑丈そうなカッターナイフに変更することにした。刃を折るタイプの大きな奴だ。これでも充分頚動脈が切断できるだろう、と思いながら、彼はその大きなカッターナイフを手に持ってちょっと振ってみた。
高い位置にあることが想像される岩渕の首を想定して、刃を三段階出してみて振ってみる。いけそうな気がした。
次にタオル三枚、ミネラルウォーター一本、軍手、それに変装用に黒のニット帽も店内を歩いているうちに見つけたので購入した。
それに立体マスクも――。花粉症の季節ではないが、装着していて周囲と違和感がなさそうなら、こんなにいい変装もない、と思った。なにしろ顔の三分の二が隠れてしまうのだ。彼はより大きい立体マスクを選んだ。それに黒ブチの伊達メガネも買い込んだ。
次に竹下通りを歩いて、黒いトレーナーと、着替え用に目立たないカーキ色のトレーナー、紺色の作業ズボン、黒い二十七インチのスニーカー、そして簡易なリュックも購入した。
明治通りに出る前に、それらのものがすべて揃ったのは驚きだった。すべて量販店で売っているような粗末なモノ、というのもいい。彼は自分が購入したモノにとても満足していた。
まだ昼前だったが、もう南浦和に向かうことにした。
今日は平日なので、岩渕が帰ってくるのは早くても夕方だろうが、いまからじっくりと現場の状況を確認して、ゆっくりと策を練ろう、と考えながら、明治通りを表参道方向に向かって歩いている時、ブギーマンからメールがきた。
――原宿でお買い物か?
足を止めて、しばらくそのメールをじっと見ていた。
そうなのだ。首に付けられたブラックボックスには、発信機が仕込まれているのだ。ということは、いま、こうして原宿に来ていることも、これから南浦和に向かうことも、すべてアイツらにはわかってしまうことなのだ。多少イキがってはいても、命令に従わざるを得ないオレを、思ったとおりに動くオレを、そして昼間っから女みたいに原宿で買い物をしているオレをあざわらっているのだ。
伊原は足を止めて考え込んだ。
どうしてオレがこんな眼にあわなければならないんだ? いっそのこと、このまま明治通りを逆に行って原宿警察署に駆け込むか! と思ったが、警察署でいまの状況を説明する前に、オレは床をのた打ち回るはめになるだろう。あのアンドーのように――。
彼は眼を閉じてなんども首をふっていた。
――もう買い物は済んだのか? とブギーマンからまたメールがきた。
『ああ』と伊原。たったそれだけを、メールにして送った。
――不機嫌そうだな。
ブギーマンが楽しんでいるのは、そのメールを見ただけでも伝わってきた。
――どうした? 動きが止まっているぞ。
伊原は急に走り出した。明治通りをラフォーレに向かって思いっきり走り、そして表参道を左折して突っ走る。平日の、それもまだ午前中だったので、思いのほか空いていた。表参道ヒルズの前を走り抜けても、人にぶつかることなく走り抜けることができた。そのまま青山通りと交差する場所にある交番の前に行くまで、彼はまったく速度をゆるめなかった。その勢いのまま、青山通りの信号の手前で急停止する。
そこからでも交番はよく見えた。
交番の前には四人の警官が立って話をしていた。その中のひとりが腕を組んだまま首だけを回して伊原の方を見ている。ただなんとなくというような見方ではなく、すでに不審者を見る眼つきだった。彼らにとっては、いつでも、どこでも、どんな時でも、全速力で街を走る男は警戒しなければならない対象なのだろう。
モウの携帯が胸ポケットで震えている。伊原は息を整えながら携帯を開いた。メールは三通来ていた。
――今度はどこへ行く気だ? と一通目のメール。
次に
――おい、お前! 本気か! のメール。
そして最後に
――おい、正気か? 止まれ! ときていた。
メールを見ているときにまたメールが届き、
――すぐにそこから離れろ! ときた。
しばらくそのメールをじっと見ていた。
交番の方を見ると、三人の警官が交番の中に入っていくのが見えた。あの伊原を見ていた警官も中に入っていく。残ったひとりが手を後ろに組み、少し胸を張る姿勢になって外に立っていた。もう誰も伊原を見てはいなかった。
彼は携帯を閉じ、そのまま表参道の地下に降りていった。
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