嶋田祥吾

奈良県五條市出身 | 岡山作陽高校 | 天理大学 | ディアブロッサ高田FC(広報部長…

嶋田祥吾

奈良県五條市出身 | 岡山作陽高校 | 天理大学 | ディアブロッサ高田FC(広報部長) | 奈良クラブ(営業部長) | F.C.大阪(会長付執行役員) | 国会議員秘書 | 一般社団法人FC奈良スポーツクラブ(会長) https://lit.link/shogoshimada

最近の記事

村田和哉 氏

大学を卒業し、セレッソ大阪・清水エスパルス・柏レイソル・アビスパ福岡・レノファ山口の5チームで10年間、プロサッカー選手として活躍された村田和哉氏に関して記載する。 ①出会いに関して 今からちょうど1年前の2021年9月3日、共通の知人を介して電話とLINEにて初めてやり取りをした日である。 その後、9月21日に村田氏に奈良へお越し頂き、約5時間のご面会となった。 初対面の感じは全くなく、あっという間の時間の経過であった事を覚えている。 初対面での率直な感想としては5つ

    • 高島整形外科 様

      今夜20時より、高島整形外科の高島院長とご面会をさせて頂きました。 大学2年以来、14年ぶりの再会となりました。 久々の診察室、そして当時のカルテまでお出しくださり、懐かしい気持ちになりました。 高島院長は、私のサッカー人生を語る上で、絶対に外すことの出来ない必要不可欠な存在です。 小学6年時の終盤、右膝の痛みが酷く、初めて戦線を離脱しました。 当初は、膝の怪我に詳しい5ヶ所の病院で診察、レントゲン検査、MRI検査、CT検査を実施するも、確固たる原因が不明という診断結

      • 歴史的な1日

        2022年6月19日(日) FC大阪のホームタウン東大阪市の花園ラグビー場第1グランドにて、クラブ史上初めての公式戦が実施される。 少し過去を振り返りたいと思う。 2018年11月27日に、東大阪市から正式にホームタウンの承認を受ける。 2019年から私はFC大阪へ入団した。 当時は、吉澤会長(現:ファウンダー)と疋田社長をはじめ在籍するクラブスタッフの方々の御尽力により、東大阪市内へは既にチーム名の認知はされていた。 加えて、様々なイベント・会合・会食等への徹底した

        • 2021年を終えて

          2021年1月から10月までの10ヵ月間は、これまでの人生で一度も経験した事が無い事を経験でき、本当に心からの感謝に尽きる。 沢山の方々に御支えを頂き、乗り切る事ができ、やはり最終的には家族の存在と心ある方々との繋がりが全てであると強く感じた。 加えて、11月には弊法人の事業開始日(2022年4月1日)が確定し、皆様へ嬉しいご報告をさせて頂いた。 自分一人の力ではなく、全てはご支援やご協力をしてくださる皆様方のお陰である。 11月並びに12月の2ヶ月間は、ご挨拶回り・パ

        村田和哉 氏

          表敬訪問の実施を終えて

          弊法人の事業開始日(2022年4月1日)の公表以降、県内の親交有る市町村の首長様への表敬訪問を実施した。 まずは年末のご多忙の中、日時調整をして頂き、御面会のお時間を賜りました全ての皆様へ御礼を申し上げます。 この度は誠にありがとうございました。 各市町村の表敬訪問を通して、弊法人の事業計画や事業説明はもちろん実施した。 しかし、それ以上に弊法人の事業の1つである「SDGs関連事業」を実施していくに辺り、各地域の地域課題(社会課題)は何であるか?を徹底的にヒアリングをさ

          表敬訪問の実施を終えて

          当法人の設立への想い

          いつも皆様からの熱いご支援ご声援を賜り、誠にありがとうございます。 表題の件、下記にて綴らせて頂きましたのでご覧頂けましたら幸いでございます。 ※当法人に関する詳細事項は公式HPにてご確認くださいませ。(https://fcnarasportsclub.com) ①自己紹介【氏名】 嶋田祥吾 【出身】 奈良県五條市 【年齢】 33歳 【資格】 中学校・高校一種免許状(保健体育科) 英語検定2級 漢字検定2級 【経歴】 ■なかよし保育園 ■五條小学校/高田FC-U12 (全国

          当法人の設立への想い

          10月

          ①毎朝の継続事項前々から毎朝の起床後に必ず行う事があるが、そこに加えて新たにやり始めた事がある。 正直、今まで重要と捉えず、そこまで意識を持たない状態であり、放棄気味であったこと。 何事もやる前から決めつけず、また過去の事例から固定観念に捉われず、先ずはやってみる精神は必要であると改めて感じた。 継続して初めて分かることが多々ある。 ②大自然のパワー私は完全なアウトドア派で色んな場所に興味がある。 しかし、今までよく行っていた場所には行かなくなり、今まで行ったことが無かった

          9月

          ①出会い(ご縁)必要な時に必要な人間と出会うという事を改めて認識した。 生半可ではなく、同じ志や意識を持っている人間が引き寄せられる世界。 誤解を恐れずに言うと、必要のない人は自分の下から去っていくということ。 「このタイミングでなぜ?」と感じる出会いが存在する。 起きている事象を含め、出会いも偶然ではなく必然である。 全て自分が招いている。 出会いにより、人間それぞれの今後の行方が大きく左右される。 人間は1人では何もできない。できることが限られている。 自分が信頼でき

          野村監督

          中学3年生時、岡山作陽高校サッカー部の練習体験に参加してその日のうちに入学意思を両親へ伝えたことを鮮明に覚えている。 野村監督が採用しているサッカースタイルの中で自分がプレーをしたいと思えた事が大きかった。 朝の7時~8時までの朝練は、徹底的に個人技術を高める練習で中学生までに培ってきた部分なので遜色なく溶け込めた。 しかし、放課後の夕方練習では、バリエーションが豊富であり、加えて思考力や判断力が問われる練習が多く、最初はなかなか順応する事が出来なかった。 高校入学ま

          野村監督

          中瀬古 宣夫 監督

          2015年12月3日に訃報を耳にした。 「中瀬古監督がお亡くなりになられた」と。 高田FC-U15(現/ディアブロッサ高田FC)時代の3年間、直々にご指導を頂いた。 私は中学1年~中学2年半ばの1年半の間、膝の大怪我に苦しみ、正式にご指導を頂いたのは残りの1年半であった。 正直、もっとご指導を頂きたかったという悔いは残っている。 幼少期から各種選抜には必ず選ばれ、自分の実力を過信していた中、中学3年間は先ほど記載した大怪我を含め、初めての大きな壁にぶち当たった。 中瀬

          中瀬古 宣夫 監督

          嶋田祥吾を応援してくださっている全ての皆様へのご報告

          いつも皆様からの熱いご支援ご声援を賜り、誠にありがとうございます。 表題の件、noteでのご報告となる事をご了承ください。 ①田野瀬太道代議士の秘書退任についてこの度、衆議院議員(奈良第3選挙区)の田野瀬太道代議士の秘書を退任する決断を致しました。 在任期間中は社内外の沢山の方々に徹底したご指導を賜り、政治に関する事項に加え、多岐に渡る新たな事項を学ぶ事が出来ました。 今回培った様々な経験や知見を今後の人生により一層活かせるよう、引き続き精進して参りたいと存じます。 日々お

          嶋田祥吾を応援してくださっている全ての皆様へのご報告

          2020年1月〜8月

          いつも温かいご支援ご声援を頂き、有り難う御座います。 嶋田祥吾でございます。 前回までは、保育園時代〜社会人時代のこれまでの32年間を振り返り記載して参りました。 本日は、2020年1月〜8月末迄の8ヵ月間を記載して参ります。 ①一般社団法人FC奈良スポーツクラブの設立2019年12月末付にて一般社団法人FC大阪スポーツクラブを退職後、2020年1月から一般社団法人FC奈良スポーツクラブの法人設立の準備に入った。 先ずは、奈良県内の企業団体・自治体・サッカー関係者を中心

          2020年1月〜8月

          社会人時代(一般社団法人FC大阪スポーツクラブ)

          いつも温かいご支援ご声援を賜り、誠に有り難うございます。 嶋田祥吾でございます。 前回は社会人時代(NPO法人奈良クラブ)を振り返りましたので、今回は社会人時代(一般社団法人FC大阪スポーツクラブ)を記載します。 ①入団時の決意表明について一般社団法人FC大阪スポーツクラブ(以下:FC大阪)への入団時に記載をした決意表明はコチラからご覧ください。 ②活動について2019年3月より、FC大阪の会長付執行役員として活動を開始した。 入団して直ぐに、クラブのスポンサー・自治

          社会人時代(一般社団法人FC大阪スポーツクラブ)

          社会人時代(NPO法人奈良クラブ)

          いつも温かいご支援ご声援を賜り、誠に有難うございます。 嶋田祥吾でございます。 前回は社会人時代(ディアブロッサ高田FC)を振り返りましたので、今回は社会人時代(NPO法人奈良クラブ:以下 奈良クラブ)を記載します。 ①運営スタッフとして(2013年)ディアブロッサ高田FCから奈良クラブへ移籍し、活動を開始した。 入団1年目、平日は引き続きアスカ美装株式会社での勤務を続け、週末のみクラブの活動に参加するという流れであった。 活動内容としては、主にTOPチームの試合運営・広

          社会人時代(NPO法人奈良クラブ)

          社会人時代(ディアブロッサ高田FC)

          いつも温かいご支援ご声援を賜り、誠に有難う御座います。 嶋田祥吾でございます。 前回は大学生時代を振り返りましたので、今回は社会人時代(ディアブロッサ高田FC)を記載します。 ①現役選手として(2010年・2011年)天理大学卒業後は、現役続行を決意し、小中とお世話になった「ディアブロッサ高田FC TOPチーム」に所属した。 怪我の為、「現役選手として長くても2年間」という覚悟で腹を括った。 入団1年目は、関西サッカーリーグ2部に属しており、先ずは「1部昇格」をチーム

          社会人時代(ディアブロッサ高田FC)

          大学生時代

          いつも温かいご支援ご声援を賜り、誠に有難う御座います。 嶋田祥吾でございます。 前回は高校時代を振り返りましたので、今回は大学生時代を記載します。 ①大学1年次奈良県に位置する天理大学体育学部(スポーツ学科)へ入学。 4年後、「プロサッカー選手になる事」「中高保健体育科の教員免許を取得する事」を目指した。 勉強面は、講義を徹底的に集中して受講した。 サッカー面は、1年次からレギュラーとして公式戦に出場させて頂いた。 しかし、高校サッカーと大学サッカーとのスピードの違いやサ

          大学生時代