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野村監督

中学3年生時、岡山作陽高校サッカー部の練習体験に参加してその日のうちに入学意思を両親へ伝えたことを鮮明に覚えている。

野村監督が採用しているサッカースタイルの中で自分がプレーをしたいと思えた事が大きかった。

朝の7時~8時までの朝練は、徹底的に個人技術を高める練習で中学生までに培ってきた部分なので遜色なく溶け込めた。

しかし、放課後の夕方練習では、バリエーションが豊富であり、加えて思考力や判断力が問われる練習が多く、最初はなかなか順応する事が出来なかった。

高校入学までサッカーを深く分析し、因数分解してこなかった為、毎日の練習が本当に難しかったのが本音である。

最終学年となり、コンスタントに試合に出場させて頂く事になり、特に公式戦時の試合中やハーフタイムでの戦術理解力は非常に伸びたと感じた。
但し、その中でも野村監督の戦術に関する指示、システム変更などが相手に嵌まった時の変化ほど気持ちの良いものは無かった。

「なぜ、野村監督は試合後ではなく、試合中の瞬間瞬間に的確な戦術指示を出せるのか?」という事ばかりを考えていた。
不思議でならなかった。

私は野村監督への信頼が突き抜けていたので、正直、試合中は自分の意思というよりは、野村監督の戦術に依存したプレーになっていたように思う。
これはこれで間違いではないが、もう少し自分で自主自立したプレーを出来ていればという後悔は多少ある。

その点、木村総監督には試合中や試合後は凄く怒られていたという印象が強い。
私の至らない点を真っ直ぐにご指導してくださっていたので、毎日の自主練習の課題として私は必死に取り組んだ。
稀に褒めて頂けた時は、本当に嬉しく、心の中でガッツポーズをしていた。

ここまでサッカー面に関する事を記載してきたが、親元を離れた学校生活や寮生活も本当に最初は大変だった。
しかし、野村監督の「人間形成」に関するお話を幾多もお聞きし、絶対に成長してやるという覚悟の基、濃密な3年間を送ることが出来た。

勉学とサッカーの両立に何度も諦めかけたが、継続して心から良かったと思っている。

今でも高校時代に共に戦った戦友とは固い絆が有り、様々なフィールドで活躍する姿に刺激を貰っている。

野村監督は現在、学校長に就任されており、今後のご活躍に大注目している。

素晴らしい3年間、本当にありがとうございました。



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