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中瀬古 宣夫 監督

2015年12月3日に訃報を耳にした。

「中瀬古監督がお亡くなりになられた」と。

高田FC-U15(現/ディアブロッサ高田FC)時代の3年間、直々にご指導を頂いた。
私は中学1年~中学2年半ばの1年半の間、膝の大怪我に苦しみ、正式にご指導を頂いたのは残りの1年半であった。
正直、もっとご指導を頂きたかったという悔いは残っている。

幼少期から各種選抜には必ず選ばれ、自分の実力を過信していた中、中学3年間は先ほど記載した大怪我を含め、初めての大きな壁にぶち当たった。

中瀬古監督の指導の軸は、「ドリブル(個人技術)の徹底」にある。

大怪我からの復帰後、プレーの中で1番毛嫌いをしていたドリブル練習に励んだ。
しかし、ドリブルの楽しさを全く感じる事が出来なかった。
逆に、パスやキックに自信を持っていたのでドリブルの必要性を頭で考える事がなかった。

中学3年時の全国大会終了後、中瀬古監督のもとに「ドリブルの必要性」を聞きに行き、腑に落ちたことにより次の練習からガラッと意識が変わった。
その為、自分のプレーの幅が明確に広がり、更に余裕を持ってプレーが出来た。

ドリブル・パスの駆け引きや周囲を活かすプレーにも醍醐味を感じることができ、サッカー自体が楽しくて仕方がなかった。

高校、大学と進むにつれ、中学生時代に培った個人技術をより活かしたプレーができていたように思う。

今までサッカーに関わるプレー面のみの内容を記載したが、もう一つ印象に残っていることがある。

「人間力」に関してである。

基本的に中瀬古監督から具現化したご指示を頂く事はピッチ内外ではない。
逆に、「自主・自律」が出来ていないと仰ってること自体の理解が出来ないということである。
ピッチ内のプレー選択はもちろん、ピッチ外(学校生活、家での振舞い、日々の言動)における意識性や成長は間違いなく鍛えられた。

最後にお会いをさせて頂いた時のお言葉を常に念頭に置いている。

「チャレンジをしなくなった時点で人生は下降する。」

中瀬古監督が天国から見守ってくださっていると信じ、この奈良の地で恥じない日々を過ごしていきたい。



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