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大学生時代

いつも温かいご支援ご声援を賜り、誠に有難う御座います。
嶋田祥吾でございます。

前回は高校時代を振り返りましたので、今回は大学生時代を記載します。

①大学1年次

奈良県に位置する天理大学体育学部(スポーツ学科)へ入学。
4年後、「プロサッカー選手になる事」「中高保健体育科の教員免許を取得する事」を目指した。
勉強面は、講義を徹底的に集中して受講した。
サッカー面は、1年次からレギュラーとして公式戦に出場させて頂いた。
しかし、高校サッカーと大学サッカーとのスピードの違いやサッカースタイルに慣れるまで非常に時間が掛かった様に思う。
練習後の自主練習は長所を徹底して練習し、食事管理にはより一層厳しく取り組んだ。

②大学2年次

勉強面は相変わらず、講義を徹底して受講した。
サッカー面も1年次に引き続いて、レギュラーとして公式戦に出場し、中でも奈良県大会を優勝し、天皇杯の全国大会への出場が印象に残っている。
全国大会の1回戦の相手は関東リーグの社会人クラブであったが、大半が元Jリーガーばかりだった。
その相手に見事勝利した瞬間は嬉しかった。
その他、夏期に台湾遠征を経験し、当時の台湾フル代表との試合が非常に白熱して楽しかった事を覚えている。試合会場は日本では考えられない程の劣悪な環境であり、台湾の選手のハングリーさを感じた事は大きな体感として残っている
関西学生サッカーリーグは2部に所属しており、最終戦まで1部昇格の可能性を残した中での戦いとなったが、惜しくも昇格を逃した。

③大学3年次

勉強面は、来年の教育実習や採用試験を見据えた内容になり、講義をしっかり集中して受講する事を引き続き徹底した。
サッカー面は、大学2年次の終わり頃に太腿裏(ハムストリング)を怪我し、戦列への復帰と離脱を繰り返し、試合には出場するもののなかなか思う様な結果を出せなかった。
副主将を拝命したが、チームの力になれずに歯痒い日々を送った。
加えて、私がJリーガーを目指す中で3年次の活躍が全てであると位置付けていたので非常に悔いが残っている。
しっかり足を完治させる事に集中できず、心境としては「早く復帰しないとJリーガーになれない」と焦っていたのだろう。
怪我から漸く復帰して4年次になる前に、JFL・地域リーグに加盟しているチームへの練習参加をさせて頂いた。

④大学4年次

勉強面は、順調に単位を取得していたので講義は殆ど無く、卒論の作成に注力した。
教育実習は母校である岡山県作陽高校に1ヵ月行かせて頂いた。
担当クラスの管理、体育の授業、サッカー部の指導という濃密な時間を過ごす事が出来た。
サッカー面は、最終学年となり主将を拝命した。
諸事情により監督が不在の中、練習メニューの考案・試合のマッチメイク・公式戦のメンバー選考・対戦相手のスカウティング並びに分析を担当した。
自分は選手としてプレーしながら、指揮を執っていたので、様々な面で自ら抱え込み難しく感じていた。
徐々に自分のプレーヤーとしての成長度合いが停滞している事に葛藤を感じ始め、メンタル的に浮き沈みが激しくなり、最終的にはオーバートレーニング(燃え尽き症候群)に陥った。
部員は100名近くおり、皆の前で症状を正直に伝え、副主将の3人にチームの牽引をお願いし、私はサッカーから離れて2週間の自宅療養をした。

療養後は、メンタル的にも回復傾向にあり、徐々に活動に参加したが、復帰して数週間で再度の同様の症状が生じてチームから離脱した。
サッカーをプレーする事、観る事が大嫌いになっていた。

この時点で、完全にサッカーから離れて自分を見つめ直す時間を無理矢理作った。
その中で、「全てを自分でやろうとし、人を頼らずに抱え込んでいた事が良くなかった」という結論に至った。

2ヶ月間、完全にサッカーから離れた中、メンタル的にも回復し、復帰した。
前回の反省点を踏まえ、副主将を含め主となる人間を要所に配置し、マネジメントを図った。
そこからはチームとしても良くなっていった。

しかし、大学でのリーグ最終戦の前日練習で、私は顔面骨折(眼窩低・鼻骨・頬骨)を負ってしまい、最終戦は出場できずに幕を閉じた。
個人的には非常に悔しかったが、副主将を中心に最後まで戦ってくれたチーム全員に感謝をした。

その後、顔面骨折をしていたが、サッカー就活(Jリーグ、JFL、地域リーグ)を続行する中、次は太腿筋の筋断裂並びに恥骨炎を発症させてしまい、再度、プレーが出来なくなってしまった。
怪我をした時にいつも通院していた県外の整形外科のドクターからも、「今後の事を考えると引退も視野に入れた方が良いかもしれない。足はもって最長でも2年だろう。」という通告をされた。

しかし、現役引退の諦めが全くつかず、先ずは復帰する事に集中して、現役続行をする為の次の行き先を考え始めた。
この時の心情としては、不安や喪失感ではなく、前だけを向いていた様に思う。
今までの沢山の経験から少しは成長していたのだろう。

次回は社会人時代(ディアブロッサ高田FC)を記載します。
今回も最後までご覧頂き、誠に有難うございました。

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