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高島整形外科 様

今夜20時より、高島整形外科の高島院長とご面会をさせて頂きました。

大学2年以来、14年ぶりの再会となりました。
久々の診察室、そして当時のカルテまでお出しくださり、懐かしい気持ちになりました。

高島院長は、私のサッカー人生を語る上で、絶対に外すことの出来ない必要不可欠な存在です。

小学6年時の終盤、右膝の痛みが酷く、初めて戦線を離脱しました。

当初は、膝の怪我に詳しい5ヶ所の病院で診察、レントゲン検査、MRI検査、CT検査を実施するも、確固たる原因が不明という診断結果の連続でした。  

医師からは、何れも安静にして様子を見てくださいとの通達でした。

既に発症から数ヶ月が経過していましたが、痛みは全く消えず、大好きなサッカーが出来ない日々が続きました。

毎日泣きながら、生きている心地がしないという事が素直な気持ちでした。
私も付き添いの母も、意気消沈していました。

しかし、半年位が経過したある日、当時の指導をして頂いていたコーチから大阪府茨木市にある高島整形外科のご紹介を頂きました。

中学1年の夏、高島院長に初めて診察をして頂き、3種類の怪我の診断名を通告して頂きました。
余談ですが、待合室に居ると、いつも続々とプロサッカー選手が診察を受けに来られていました。

ようやく明確な原因が分かり、私も付き添いの母も涙して喜んだ記憶が蘇ります。

その後、非常に高価で頑丈な膝のサポーターを付け、毎週土曜日は高島整形外科にてリハビリトレーニング、他の曜日は自宅にて頂いたトレーニングメニューを実施する日々がスタートしました。

地道なリハビリトレーニングの日々ではありましたが、全く痛みは無く、先ずは歩ける様になり、次に走れる様になり、最後はボールを蹴れる様になりました。

そして、発症から約1年後の中学2年の春に、無事にピッチへ戻る事が出来て大好きなサッカーに日々明け暮れました。

その後、中学、高校、大学と度重なる怪我に泣かされましたが、発症する度に高島院長にお世話になりました。
病院から松葉杖をついて、奈良まで電車で何時間も掛けて帰宅した思い出もあります。

いつも高島院長の明確な診断、早期の治療やリハビリのお陰で、通常に必要な加療期間よりも断然早く復帰ができました。
何よりも高島院長の明るさと元気、ポジティブなアドバイスが全てでした。


今夜のご面会にて、しっかりと御礼と感謝の気持ちをお伝えでき、心から嬉しかったです。

本日も病院には、尽きる事なく老若男女の患者様やプロサッカー選手が来院されておりました。

コロナ禍の中、またご多忙の中、本日は貴重なお時間を賜りまして誠に有難う御座いました。

引き続き、何卒宜しくお願い致します。

高島整形外科 公式HP




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