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【vol.2】Shima & Co.設立までの波乱万丈ストーリー

手軽に栄養補給したいあなたへ

私、山本静香ジェニファーが代表取締役社長を務めるShima & Co.株式会社は、沖縄に拠点を置き、健康サプリメントの製造・テクノロジー技術の開発を行なっています。

粉末状サプリメントの「こぼれやすい」「溶けづらい」「持ち運びに不便」などのストレスを解消するため、共同創設者のベルザック博士が開発したタンパク質やマクロ栄養素が含まれた粉末サプリを固形にして、水の中に入れると発砲するという世界初の技術SEED-Technologyを活用し、手のひらサイズのビーガン栄養食、SEEDを商品化しました!

「もっと楽にサプリを摂ってほしい」
「健康食品業界に手軽さを与えたい」
「環境へも、自分へも優しい商品を広めたい」

こういった思いから、生活を豊かにするSEEDを多くの方に手にとっていただきたく、2022年11月1日より”Makuake”にてクラウドファンディングを開始しています。

また、今話題の体験型ストア”b8ta(ベータ)”下記4店舗へも出店しております。ご支援、よろしくお願いいたします。
・b8ta Tokyo – Yurakucho
・b8ta Tokyo – Shinjuku Marui
・b8ta Tokyo – Shibuya
・b8ta Koshigaya Laketown

第二弾となる今回は、第一弾で紹介しきれなかったShima & Co.の成り立ちや私の生い立ちについてご紹介していきます。

「食」への興味は幼少期から

私、山本静香ジェニファーは日本人の母とニュージーランド人の父の間に生まれ、中学生まで日本と香港で育ちました。私はかなりの食いしん坊で、とにかく食べることが大好き。家族でレストランへ外食する際は大喜びだったことを覚えています。
この頃から「食」への興味を持ちはじめ、母が料理を作っている姿に憧れに似た感情を持つようになりました。自分にもできないかと思い、お菓子作りに挑戦したり、両親が家にいる土日の朝食を担当したりと、積極的にキッチンに立つ機会も増えていきました。
小中高を卒業後、父の出身地であるニュージーランドの大学へ進学したのですが、大学生活を楽しく過ごす中である想いを感じていました。それは
「誰かにご飯を作ってあげたい」「接客で人を笑顔にしたい」
という想いです。
ホスピタリティへの関心も高かった私は、やがて大きなチャレンジに挑むことになります。 

大学在学中に始めたレストラン経営

私の大学生活と言えば、大学とアルバイト先を往復して休む暇もないような怒涛の日々でした。
朝5時からパン屋で働き、昼間は大学の授業、夜はウェイトレス、土日もバリスタやバーテンダー…と大学1年生からアルバイトをいくつも掛け持ちする毎日でした。
さらに、飲食業界で働くのであれば調理師免許も取らなければいけないため、次のステージへの準備として大学と並行しながら料理学校にも通い始めました。
目まぐるしい日々を送りながらも大変な時期を乗り越えられたのは、「大学在学中に飲食業界のことをもっと学びたい」という強い気持ちがあってのことでした。
さらにワインの勉強もスタートさせた頃、クライストチャーチで潰れかけている小さなレストランカフェが売りに出されているのを目にします。それを見た私は「これは起業家としての第一歩だ」とレストランを展開・経営することを決意しました。
初めはオペレーションを考えるのもなかなかうまくいかず、失敗と成功を繰り返しながらの日々でした。しかし、5~6年間毎日がむしゃらに働き、何とか店を軌道に乗せることができましたし、その間に無事に大学も卒業することができました。

こうして26歳になった私は、数多くのアルバイトやレストラン経営を経験していたわけですが、「まだ物足りない」「もっとビジネスを学びたい」という思いが強くなっていました。そこで、クライストチャーチでのビジネスを売却。中学時代を過ごした香港へ再移住することを決意します。
この直後にクライストチャーチでは大きな地震があったので、残してきた家族が心配でした。家は被害を受けましたが、家族は無事だったので、ほっとしたことを覚えています。

私の家族はいつも私の突飛なアイディアと、思いついたらすぐ行動する性分に振り回されていたと思います。それでもいつも優しく見守ってくれ、時には厳しいアドバイスや適切なサポートをしてくれます。クライストチャーチでの飲食業では人手が足りないときに父や母、弟が手伝ってくれました。今の私、山本静香ジェニファーがいるのは家族のおかげです。
そんな愛する家族が地震によって家を失ってしまい、大きなストレスを抱えているのを見るのはとてもつらい体験でした。

事業展開に成功!しかし待っていたのは…

ステーキレストランのオープニング(2016年)

 香港では学生時代の知人がいたためサポートをしてもらっていたところ、中学校の同級生がレストラングループのスタートアップを立ち上げるという話が舞い込んできました。
自分で言うのもなんですが、チャレンジ精神旺盛な私は「面白い!」とすぐに声をかけ、プロジェクトマネージャーとして着任。1からレストラン事業をスタートしました。

当初従業員が5名しかいなかったプロジェクトは、7年後レストランやバーを含めて30店舗以上に拡大。香港だけではなく、世界中へ事業を展開するようになったのです。
この事業の中で、マーケティング、ブランディング、PR、ビジネスデベロップメント、ストラテジー、フランチャイズモデルなど、様々なことを学び、着実にキャリアを重ねていきました。

ラスベガスでの高級中華レストラン開店(2019年)

しかし、香港では学生デモが活発になり、飲食業界は少しずつ厳しい状況に追い込まれ始めました。それに追い打ちをかけたのが、新型コロナウイルス感染症の世界的な流行です。外国ではロックダウンの実施・解除が繰り返され、日本でも非常事態宣言が発出されるなど、国内外問わず人々の動きは大きく制限されました。
様々な業界が影響を受けましたが、中でも飲食業界は多くの企業が倒産に追い込まれるなど、より大きな影響を受けました。
香港での事業が軌道に乗ってきた最中だったのですが、祖父の体調が思わしくなかったこともあり、この新型コロナウイルス流行をきっかけに日本へ一時帰国することにしたのです。

自分自身を見つめ直す期間、そこで生まれたShima & Co.

私は帰国してすぐに、祖父の病床へ向かいました。
すると、元外科医である祖父は久々に会った私の顔を見てこう言ったのです。
「ちょっと顔色がおかしいんじゃないか」
驚きました。実は、休む間もなく働き詰めだった私は、2014年ごろから体の調子が悪いなと感じていたのです。忙しくて自分のケアをまったくできていなかった。それを見抜かれた気がしました。
祖父の言葉を受けて検査をしたところ、病気が見つかったのです。祖父が異変に気付いてくれたおかげです。そして、私の病気を見抜いたことを置き土産のようにして、祖父はこの世を去りました。私にとって祖父は、いつも見守ってくれて、適切なアドバイスをくれる尊敬すべき存在でした。いくら感謝してもしきれません。今でも祖父のことを考えると涙が出てきます。
こうして祖父の葬式の後と、四十九日の後に私は治療のため、2回の手術を受けることになりました。
術後の療養のため、日本に残ることを余儀なくされた私は、京都の実家でしばらく家族との時間を過ごしながら、Shima & Co.共同創業者でライフパートナーでもあるアンドリューズ・スコット氏と自分たちに何ができるだろうと模索していました。
その時、2人が出会ったのが沖縄科学技術大学院大学(OIST)で研究に携わるザック・ベル博士でした。
※第一弾のnote記事でご紹介しています。こちらをご覧ください。

このように思いがけず、自分の健康やライフスタイルを見つめ直すきっかけがあり、
忙しい毎日でも1日1回、自身を労ることができる商品を作りたい
必要な栄養をサプリで美味しく摂取してほしい
そういった想いを込めて今のチームとShima & Co.を設立しました。

ある意味、「Shima & Co.は私自身を救ってくれたビジネス」なのです。改めて健康でいることの大切さを日々感じています。

Shima & Co.初めての3ショット(2021年5月)


今回はShima & Co.の成り立ちや私の生い立ちについてご紹介いたしました。

いつでも、だれでも、もっと気軽に

そういった思いから生活に寄り添う商品の開発を行っています。
忙しい朝に食事の置き換えとして、健康のための補助食品など、SEEDは様々なシーンで簡単に摂取が可能です!外出先にも持ち運びしやすい小パッケージとなっています。
ぜひ、この機会にぜひお手にとっていただけると嬉しいです。
皆様の温かいご支援、心よりお待ちしております。


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