2) 退職する(した)ことを人と話して


職場の人と話して

退職した職場では計5回の面談と、同じく計6回の送別会をしてもらった。
面談については直属の課長、部長、統括部長、ヴァイス・プレジデント、カンパニープレジデント。
送別会は部で一度と、関係性の深いメンバー数人で複数回、同じ担当チームで1度、といったもの。

面談としては、直接の上長である部長は私の環境と状況を知っているので、うまく立ち回るような会話。課長は新しい配属だったので、もっとウェットに会話した。それより上はこの先を心配するような会話だった。
ほとんどの人は心の底から温かいメッセージをくれた。
気持ちよく退社することを意識しており、最終的にはそれを形にすることができた。
同タイミングで辞めた同担当の仲間もおり、「今後を楽しんで、頑張ろうね!」と前向きに話す。
多くの人と個人的な連絡先を交換し、今後もやり取りを続けていくだろうと思っている。退職時には留学のことを決めているので、「留学終わったら連絡します」と約束した。

友人と話して

私は友人が多くない。
20代は友だちが多いことが自慢のような生活だったが、30歳になる頃に当時関係が深かったメンバー(複数のグループ、個別のコミュニティ)と行き違い、連絡を取らなくなった。
中には喧嘩別れで「絶交」宣言をされた者もいる。
すべてのケースで、自分としては仕方ないと思っており、”善意の第三者の所為”である”行き違い”が主たる原因になっているのだが、
本質的には20代のうちにそれぞれが変わってしまって、もう合わなくなっていたのだ(自身も、相手も)。
そのことを痛感しつつ、32歳に至ったので、今回退職を伝えた友人は2,3グループである。
皆、心配はしておらず、今後の私の成長と変化に気を楽しみにしてくれていたように思う。
「フィリピンに遊びにいくよ笑」など言う人も多かった。
こう振り返ってみると、”学生時代の友人は利害で繋がらない最後の関係性、社会に出るとそうはいかない”といったこと、ひいては”友情≠利害関係”ということが正しいのだと感じる、
とにかく、気楽に私と寄り添ってくれていると感じた。本当に有り難い。


鎌倉の飲み仲間と話して

急に出てきた”鎌倉”だが、現在私は同市に住んでいる。
この街に2023年から住み始め、大いに気に入っている。

実際、当時この街に住んでいなければなければ、もっと早々に仕事で精神を崩していただろうと思う。海や、そのカルチャー、人々と気が合うことから支えられていた。
ともかく、この街の人達と酒場で仲良くさせてもらっている。

面白いのは、この街の人々に退職のことを伝えると、
一様に「いいじゃん!」、「良かったね!」と肯定的な言葉を返してくれる。
前述していないが、インスタグラムで退職を投稿した際などは、東京含め多くの知人から心配の連絡や、これからどうするのか?といった問いが来た。
そんな中、鎌倉の住人だけは全くみんな肯定してくれるのだ、
決してすべてのトピックに肯定的に回答するわけではなく、自由や、自立、行動、といったことに彼らは同意してくれているように思う。
その過程に、迷い・立ち止まっていたとしても、その逡巡自体をも評価してくれる。

・・・変な連中だ。
ともかく、応援してもらっている。まま有り難い。


家族と話して

7月末に東北の実家に帰省した。
退職や、その他の諸々も伝えてはいたが、8月からの留学の前に顔を出して安心させようという意図で訪問した。

他の人達と違い、心配され、いくら言葉を尽くしても、伝わらない、通じない物があった。
そもそも、職自体は世に溢れているし、私もそこまでの無能・バカではないので、心配しなくてもいいような気がするのだが、どうしたって理解してくれない。(どんなリッチな生活を求めているのだろうか??それを期待しているとしたら私への評価と噛み合わないのだが・・・。)
田舎の人達だからか、生まれ育ちの過程を見てきた家族だからかわからないが、どうも噛み合わない。

母はとにかく心配して、労ってくれた。
父は年齢もあり、話している次第に前提も忘れ、感情的になり、心配というより叱っているようになる。
兄は、余計なことを偉そうに言っていた。
(家族内で信頼されていないので彼にだけは細かいことは伝えていないのだが。)
(酔っ払った父が、同じく飲んでいる兄の意見に同調していたときは、この人達に何かを伝えようと努力することに、心底うんざりした。)
言葉として「自分が大きくなりすぎている」と言われた。自意識過剰というような意図だと思う。
そういうことも自覚して話していたつもりだが、とにかく、私が何かをできると思っていないようだ。
それは別にいいのだが、このタイミングでそういった否定的な意見を言ってくださる兄上様のセンスの高さに驚かされた(更にそれに同調する父!!)。
兄はすでに36歳で、人は35歳を過ぎると何かにチャレンジしようという気持ちがなくなるらしい。そんな兄からの心配の忠告なのか、”イタイ弟”を見かねての発言なのかは、耳が痛くて汲み取ることも出来ない。

とにかく”家族に顔を見せて安心させたい”という私の思惑は大失敗で、むしろ(なんと)少し関係性が悪くなって実家を去った。
その後も母からは頻繁に連絡があり、心配と寂しさが混同しているようだ。
親不孝には違いないのだが、この人達は何をどのように捉えて考えているのか、根っこから違うような気がしてきて、より難しくなってしまった。
もう32歳だが、いつか家族を大きく支えられるようになり、今回を笑い話しにしたい。


まとめ

ものぐさな自分としては珍しく、渡航前に多くの人と会話することができた。
一番印象的なのは家族との会話で、ここまで噛み合わないのかと驚いた。
だが、この会話と感覚の違和感には、まだ言語化でできていない何かがあるような気がする。
前回のNoteで、”今後は自分として本当にやりたい何かをしたい”という想いがあることを記載したが、
人と話し、そのことに対してそれぞれの関係性や立場によってのコメントを貰った。

家族からは心配されたが、
こういった”他者からの忠告”に影響されるのでなく、本当の自分の想いや思考を芯に行動していくことも、これまでと違いやっていきたいことだと思っている。
このGAPやすれ違いは、現状仕方ないものだと思って、目先手を動かしていこうと思った。

つづく



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