優しい人間を目指していたら起業していた話

〈3分で読める記事です〉
こんにちは。大島佑介です。

今回は優しい人間を目指したら起業していた話をします。

優しい人間を目指し始めたのは中学生の時のことです。

私がいた中学校では帰りのホームルーム直前に掃除を行い、教室に戻るといつも机が整理整頓されていました。隣の机とぴったり接している状態です。

男女で隣の席になっていたので、思春期真っ只中の中学生たちはこっそりと少し机を離す風景が日常的でした。

自分の掃除が早く終わること多かったため、掃除から教室に戻ると慣例に従い自分も机を離していました。

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ある日、掃除を終えて教室に戻ると、隣の席の女子が先に戻っていることがありました。机は接したままです。

わざわざ目の前で机を離されるのは嫌だろうと思ったので、そのままホームルームを迎えようとしていました。

その時、周囲からひそひそと声が聞こえたような気がしたのです。机が接したままであることをからかう、思春期特有の冷やかしでした。

当時シャイだった自分はそれに耐えきれず、机を5cm離してしまいました。つい先ほどやめようと思ったことを、やってしまったのです。


これは本当に衝撃でした。痛恨の一撃です。

数分前は相手が嫌だろうと思ってやめたことを、自分の保身のためにやってしまったのです。相手が実際に嫌な思いをしていたかどうかはここでは問いません。

それまで周囲の人から優しいと言われることが多くありました。そのため「自分は優しい人間である」という認識で過ごしていたのです。

人が嫌がると思いながら実行することは嫌がらせです。そして、嫌がらせをする人が優しい人であるわけがありません。

自分の中で築いてきたアイデンティティが崩れるのを感じました。

15年近く経った今でもこの時のショックは強く残っています。自分にとって中学時代の大事件でした。


この出来事があったから自分は優しい人になろうと決意しました。自分の不甲斐なさや実力のなさで人を傷つけてはならないと思ったのです。

シャイだったがために起きた事件だと思ったので、シャイをやめました。

明るく社交的に笑顔で接するようにし始めたのはこのころです。

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優しい人を目指して毎日を送っていた結果、友人から優しいと言われることは増えました。

それと同時に分かってきたのは、自分と周囲の優しさに対する見解が異なるということです。

周囲の人の話を聞くと1対1での思いやりが優しさとして認識されることが多かったと思います。自分が思い描いていた事は1対1の関係性に限った話ではありませんでした。ただ、どのように違うのかを適切に表現できずに歯痒い思いをしていました。

今では優しさとは別の言葉で自分の目的を表現できるようになりました。
それは「一人でも多くの人と豊かさを分かち合うこと」です。

その目的達成のためにはビジネスオーナーであることが効果的だと考えています。
自分のテーマである誠実さを携えて目的へ向かっていきます。


株式会社task
大島佑介

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