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親子旅。 in京都・滋賀②

花粉症におそわれてこもっていたら、あっという間に時が過ぎてしまった。
そろそろ旅行記を終わらせねば…親子旅2日目のきろくです。

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時を戻して、2月の旅行へ。
初日は身も心も芯から温まった1日だった。

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Day2

2日目はアートな1日。
朝イチで向かったのは、アメさんの個展。

降りしきる雨の中。
スマホのマップを見ながらあーだ、こーだ。
「だから言ったのに」などと口々に言いながら、母娘は無事個展会場に辿り着いた。母娘はこういう時、ケンカ口調になりがちだ。

会場となったノリアキ工房さんには、雑貨屋さんが入っていた。
リネンの生地を使った洋服や鞄、そしてフレンチカントリーの食器に小物など生活を豊かにしてくれる「かわいい」が詰まったお店。

個展を見終わった頃にはすでにランチタイムだったが、寄らずに去るのはもったいない。お店の隅から隅まで、じっくりゆっくり。心ゆくまで、夢の空間を堪能した。

まだ旅の途中だし、あまり荷物にならない程度に。
少しだけお持ち帰りした。

マニーのメモスタンドとまち針。


この日の昼食は、アメさんおすすめのピザ屋さん。
打ちっぱなしのコンクリート壁の店内にはシンプルな木製の机。天井から垂れ下がるドライフラワーがオレンジのぼやけた灯りに照らされていた。

まずいただいたのは、マルゲリータ。
生地の味がしっかりしていて、トマトの酸味と甘みが空腹に染みる。

お次は紅はるかのクワトロフォルマッジ。
蜜のように甘いお芋と塩辛いチーズの味が舌の上で混ざり合って絶品!

写真を撮り忘れたことが、時すでに遅し。
手はベタつき、ピザは腹の中。美味しいものの前では、写真を撮っている暇などない。とはいえ旅行記を書くにあたり、あのピザをもう一度見て思い出したかったという後悔も少々。それも含め、旅のきろく。

お店を出ても、まだ雨は降り続いていた。
今度はバスに乗り、琵琶湖の湖畔にある佐川美術館へ。

バスは空いていた。
乗り合わせた学生や主婦、サラリーマンの様子から滋賀の人々の日常が垣間見える。私は旅行に行った時、こうした地元の人の何気ない日常が見える瞬間が好きだ。

知らない街の知らないバス停。
ボタンが押されて、人が降りたり乗ったり。
ここは住宅街、ここはお買い物エリア?なんて想像しながら。そこにある暮らしを想像する。きっと私の街に来た人にも、そうしているだろう。

終点の佐川美術館。
雨は降り止むどころか、勢いを増していた。受付から美術館の入り口までは少し距離があって、折り畳み傘であることを少し悔やんだ。

水の中にうかぶようにたつ美術館は、雨の中、より寂しく憂いを帯びた雰囲気が美しかった。

雨の日の写真ってむずかしい。

まずは「平山郁夫 日本文化の源流」から。
美術の知識に乏しい私でもその名からすぐにシルクロードが連想される、聞き馴染みのある名前。母と話すうち、地元山梨のローカル局で彼の展覧会のCMがよく流れていたことを思い出した。そうだ、山梨には平山郁夫シルクロード美術館があるんだった。

直に彼の作品と対峙するのは、初めてだ。
今回の展示は彼がよく訪れたという薬師寺や法隆寺、そしてそこから感じた大陸の文化を追い、シルクロードにたどり着くまでの軌跡が紹介されていた。

どこまでも深く凛とした松の葉、その奥には五重塔。
砂漠をすすむラクダの背には、果てしない闇夜の空。
一つ一つが、まるで額縁から世界の1場面を覗き見ているようだった。

そしてとある展示室には、大きな部屋の中央に長椅子が1つ。
その目の前に壁一面の大きな絵があった。

休息のためではない。
「この絵を見るために、どうぞお座りください」ということのようだ。誘いのままに椅子に座ると、まるで大型スクリーンで映画を見ているように、視界は絵で覆い尽くされた。ただ椅子を置くことで「最上の絵の見方」が示された空間、美しかった。

作品は個々に残っていくが、それを展示する空間は永遠ではない。
展示期間が終われば、作品は外され、配置も変わる。展示のために作られたその時しか見られないこの空間は、学芸員さんの作品なのだと感じた。

次は特別展「あけてみよう かがくのとびら」展。
福音館の絵本「かがくのとも」から生まれた科学展で、一見科学博物館で行う内容のようだが、絵本をうまく利用した体験型展示だった。
(写真撮影可能だったので、少し暗いですがお裾分け)

歴代「かがくのとも」
うさぎのたくましさ。
可愛いおしりたち。
だれのうんちかな?
館内に鳴り響く夏の声はここからだった!
裏にまわると、誰だかわかるよ。
こどもたちがどんどん吸い込まれていく!
この穴はなんだ?

大人も子どもも楽しめる体験型展示は、たくさんの親子連れでにぎわっていた。私たちは、その場にいた親子たちとはだいぶ年齢構成が違うけれど、「この絵可愛い」「この虫懐かしい!」なんて言い合いながら盛り上がった。

体を動かして、目で見て、触って、音を聞いて。
互いに思ったことを喋りながら、楽しく絵本の世界を冒険する。

先ほどまで見ていた平山郁夫展の、いわゆる美術館の静粛な雰囲気とは真逆の世界。美術館の楽しみ方は一つでないということを、同じ館内で示してくれる、利用者寄りの素敵な美術館だった。

***

外はまだ雨が降っていた。
夕方かどうかもわからないほど、空はどんよりしている。

いい展示に出会ったものの、さすがに疲れてしまった。昨夜使った地域クーポンがまだ少し残っているから、駅近の百貨店でお土産と、夕食を仕入れた。

母娘ともにお酒は好きだが、最近めっきり弱くなった。
せっかくだから地酒を飲もうという話になったが、2人で1瓶開けたら疲れもあいまって二日酔い確定だ。そこそこの酔いでよい、ということで350mlの小瓶でそこそこ値段のよいものをチョイス。部屋につくや否や、楽な服装に着替え、荷物を片付け、瓶を開けた。本当はお猪口が欲しいところだが、仕方がない。ホテルのガラスコップでちびちび飲んだ。

何だかこの適当さといい、本当に友達と旅行に行った時と変わらない。
椅子が足りないから、ベッドに座りながら唐揚げを食べる。足も楽な格好にほっぽりだす。20年前なら、きっと怒られたことばかりだろう。

ちゃんと正面を向きなさい。
食事中によそ見しない。
きちんと足を揃えて。

それは私が社会で生きていくために、全て必要なことだった。どこでもきちんとしなきゃいけないわけではないが、きちんとする方法を知らねば、きちんとすべき時にできない。当時の私から見た母は、その教えを見本として体現する完璧な人だった。だから、食事の時は怖かった。

でも、後に知った。私の見本となるため、母は未熟さを精一杯隠し、こうするんだと見せてくれていたことを。

一通りの子育てが済んだ母は、ある程度一人で生きていけるようになった娘と対等の立場で接してくれるようになった。夜中まで様々な悩みや世間の諸問題について、語り合うことも多い。その時出してくれるお茶やココアは、やはり母のあったかさがあって、結局甘えたくなってしまう。それが親子というものなんだろうか。

親子であり、姉妹であり、友達でもある。
そんな母との旅は残り1日。

【つづく】

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