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ケルンでの差別体験談

私の通うイギリス大学院のイースターブレイクは3週間とかなり長い。アジアから来た留学生は特に、この時期でヨーロッパ旅行をすることが多い。私はこの長期休暇を利用し、ドイツ西部で同じく大学院生をしている高校時代の友人と会うためケルンに足を運んだのだが、そこで初めての差別を複数回経験する。


差別(と私が感じたもの)一覧

  • 通行人からの你好(ニーハオ)―――午後6時、交通量の多いケルン中心部を歩いていた際、アラブ系男性集団から通りすがりに言われた。

  • こちらを見て叫ばれた―――午後10時過ぎ、人通りの少ない大通りの歩道を歩いていた際に、道路を横断しているおじさんに約10m先から叫ばれた(何語かは不明)。人種は分からんが顔の濃い系のおじさん。渡った先にその人の知り合いと合流していた

  • クラクション鳴らされた―――午後11時、駅から滞在先に向かって人通り、車通り少ない道を歩いていたところだった。こちらに向けてクラクションを鳴らされた。運転手が白人男性だったのは見えた。同乗者もいた。

  • 自転車おじさんに怒鳴られた―――午後11時、歩道を歩いていたら、前から自転車が縦に2台向かってきた。二人で両脇によけて停止したが、ドイツ語でキレられた 友人曰く「あぶねえだろ」的なあれ。叫んだのは先頭にいた白人おじさん。

  • 自転車おじさんになんか言われた―――午前10時、最寄りバス停に向かう途中。後方から自転車にベル鳴らされてよける。自転車通った後振り返ってなんか長めの言葉を言われた。これはなんて言われたのか分からないし口調も穏やかだったためグレーゾーンではある。

信じてほしい、私たちは歩いていただけで、大声でなにか騒いでいたわけでは全くない。差別を受けた時間帯も場所の混み具合にも統一性がない。人種も。強いて言うなら全員男性だが。ドイツがどうとか、ケルンがどうとか、男性だとか人種だとか、加害者性をこの時点で言いきることができない。ただ、少なくともこの地域で、私のような人間は見た目からして下層に位置していることがはっきりしていた。

「アジア人でいることが情けない」―――差別を受けての私の心の反応

これまでの楽しい旅を掻き消すくらいの差別体験が一気に起きた。一日に4.5回!?運が悪かっただけにしては多すぎる。こんなの仕組まれているとしか思えない。
差別への感じ方は人それぞれだ。怒り、悲しみ、哀れみ、無など。私がどう感じたか、你好とそれ以外の2つに分けて話そう。

・你好と言われたこと
你好はまあ、不快な気持ちはしなかったと言えば嘘になるが、5つの中では私の中でダメージが圧倒的に少なかった。これは意外と思われるかもしれない、なぜならほとんどの日本人が中国人に間違えられることをよく思っていないから。しかし私はそこに関しては問題ない。そもそも、ヨーロッパにいて東アジアの顔つきをしている人の9割が中国人なのだ。私はイギリスに来てから中国人に何度も間違えられてきたが、そのすべてが中国人から中国語で話しかけるというものだった。中国人だと思われること自体には何も問題はなく、現に私も通りすがりの東アジア系をほとんど中国人だろうと考えている。ただ、中国人がいい印象を持たれていないのは知っているし、通行人に挨拶など普通しないことから考えるに、恐らく馬鹿にされたんだと思った。友人はこれが一番差別だと感じたと話しており、反射的に舌打ちをしていた。

・それ以外の攻撃的な差別
私に追い打ちをかけたのは、その後立て続けに起きたアクションである。你好は挨拶だが、アクションは恐怖を感じる。明らかに歓迎されていなかった。明らかに私たちは、招かれざる侵入者だった。友人は特にそれらのアクションに対し差別認定をしていなかったようで、この違いもおもしろい。
だが私はつらかった。怒りではなくつらかった。情けなかった、自分の人種と性別と小柄で弱そうな体型と傷ついた心が。恥ずかしかった。自分が白人男性なら免れたな。白人女性はどうだろう。東アジア人男性ならどうだろうか?東アジア人女性でも、もう少し身長が高ければ、筋肉質なら…もしくは東アジア人以外の人種が同行していたらこんなことはなかったかもしれない。そして差別に怒る気力もない。私はかなり弱い。
恥じる自分も恥ずかしかった、こんだけ恵まれているのに一日悪いことが立て続けに起きただけで自分の要素を恥じてしまう私が。日本でこれでもかというほど幸せを享受してきた。人に恵まれ、物に恵まれ、深く考えず教育という名の贅沢品を嗜み、自分より恵まれていない人のことなど視野にも入れず、いや都合がいい時だけ視野に入れ、利用してきている。今もそう。そして今、差別を経験した。私が観光地で訪れたところで差別を受けて酷い!と思うなんて、虫が良すぎるんだよ。自分の国があるくせに、イギリスだってあるくせに。

「ためになる」差別体験

いろいろ考えて、夜は静かに涙を流していた。「差別されて悲しい/悔しい」ではない、もっと自分の無力さに関しての思いが私を苦しめた。
イギリス、リーズに帰ってきた。悲しかった差別体験、初めての複数回に渡る怖くて悲しい体験への痛みは、時間と睡眠と共に薄れている。差別体験で端に追いやられた楽しい記憶たちが戻ってきた。結果的にに、そして皮肉なことに、この経験は私に思考の深みと苦しみの免疫をもたらすという意味で「非常にいい経験」になってしまった。
感情にフォーカスしたら分かりやすいと思ったが、かなり煩雑な文になってしまった。もっと深く分析したので、それは今後書こうと思う。
この記事を公開したからには、差別は酷い、アジア人、女性たちのために立ち上がらねば!と書いた方が社会のためになっただろうか。いや、嘘は嫌いなんだ。思ったこと、感じたことを率直に、本当に率直に書きたいし、それは価値があることだと信じている。誰のためにもなるか分からないこの記事が、せめて海外に行く予定のある人や、すでにそういった経験がある人などが、何らかの形で参考にしてくれたら嬉しい。

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