語学は相手のことを理解しようという気持ちから


相手を理解したいと思ったら、
自分を理解して欲しいと思ったら、
お互い歩み寄ろうとするはずですね。
その第一歩、
意思の疎通をとるための道具が、
言葉です。
その言葉のルールをお互い知る事で、
コミュニケーションがとれるのです。

映画「未知との遭遇」では、
五音を使ってコミュニケーションをとろうとしました。
共通性を探し合う事が、
理解しあうところまではいかなくても、
最後の、宇宙人と地球人との手話での笑顔に通じました。
「インディペンデンスデイ」では
信号の規則性から攻撃の時刻を知りました。
地球上でも、
国際気象通報式とか、国際法など、
世界で共通のものが存在しますね。

英語なんてできなくてもいいという人もいます。
英語の教師でさえ、文法なんて覚えなくても会話ができればいいという人がいます。
けれど、言葉を学ぶということは、「話す」「聞く」ためだけのものではありません。
相手の表現していることを理解しようという事は、相手の国(や星)の歴史など背景を学ぶことにも繋がるのです。
言葉の中には、歴史が含まれており、価値観も含まれています。宗教観も含まれていることもあります。
それを知っていることで、少しでも理解できるようになるのです。
友好的に理解しあうために、
言葉のルールや背景を学ぶ事が必要で、
でもそれは楽しいことなんだと、
教えてあげるのが教師の役目でもあるのです。

言葉のルール。
文法を学んで、
構文を学んで、
読めるようになれば、
書けるようになります。
正しく音読できれば聞くことができるし、
話せるようにもなります。
でも、
適当に話せるだけでは、
読めるようにならないし、
書けるようにはなりません。
日本人だって、
ちょっと昔には読み書きできない人もいました。
今もいるかもしれませんが。
日本語を話せているのにです。
読めて、
書けて、
聞けて、
話せれば、
楽しいし世界は広がるし、
よりコミュニケーションを取る事ができます。

でもその前に、
相手の言いたいことを理解しようという気持ちがあるかということが大事です。
だから、
英文解釈ができない人の多くは、
国語の読解ができなかったりします。
書けない人の中には、
自分を理解してもらおうという気持ちが足りない人もいます。
「相手が理解してくれない」と言うのです。

言葉のルールは本来シンプル。
そのシンプルさをもとにみていく。
そのシンプルさを元に組み立てる。
最初から複雑なことはしなくていいのです。
そんなことをしようと思うからできっこないのです。
おもいあがってはいけません。
相手より自分は上なんだということを示したくて無理に難しいことをやろうとする必要はないのです。
相手を理解しよう、自分を理解してもらおう、という気持ちでいれば、そんなことをする気にすらならないのです。
知らないのであれば、
簡単なことから練習して慣れていけば良いのです。

大抵の場合、
その練習が足りていません。
理解し合おうという気持ちのあるその練習で、
小手先の応用の効かない薄っぺらい付け焼き刃ではなく、
理解し、
理解してもらえる力が身につきます。
努力って不毛ではありません。
全てが報われるわけではありませんが、
正しい努力は必ず血肉になっています。
だから次に生きるのです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?