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社員のおすすめビジネス書⑨

こんにちは、志高塾です。

月に一回、社員によるおすすめビジネス書の紹介です。
「今週はちょっとうまくいかなかったなあ」という方(わたしはその一人です)、以下の紹介文でぴんときた本をぜひお手にとってみてください。


三浦のおすすめビジネス書『仕事と心の流儀』

元伊藤忠商事株式会社会長の著者が、自身の経験を振り返りながら、いち社員として、そしていちリーダーとしての心構えを述べている本書。通底しているのは「努力」というキーワードである。

その中で、「アリ」と「トンボ」という言葉が出てくる。要は目の前の仕事にがむしゃらに取り組む時期がアリ、より複眼的に周囲を見て試行錯誤をする時期がトンボ、そしてそれを経てようやく利他的に物事を考えられる「人間」になり、リーダーに近づく、というものだ。仕事の面白みが本当にわかってくるのはトンボからだという。だからこそ、アリの時期に「仕事が面白くない」「やりたいことが見つからない」と言うよりも先に、とにかく努力をして土台を作ることが肝心なのだ。現代では仕事のやりがいという言葉が散見され、それゆえに「やりがいがない」と離れていく人々も多い。(まっとうな会社であるという前提とすれば、)やりがいを感じようとするにはまだまだ半人前、ということも少なくないのだろう。

本書の中では、著者が莫大な損失を出しつつも、努力の末に、そして寄り添ってくれた上司のおかげで、その分を利益に変えたという経験が載っている。失敗しても諦めずに努力を続ける。そうすればある日、不意にできることが増える。それを積み重ねていけば、何かがあっても「これだけ努力したから」と平常心を保てる。当たり前のことながら、その当たり前に説得力を持たせられるのは、なにより会社のために努力し続けた著者ゆえなのだろう。はたして、どれだけの人にそれだけ「努力した」と言い張れる日が来るのか。

徳野のおすすめビジネス書『学校で育むアナキズム』

「アナキズム」もしくは「アナーキー」と聞くと、「反抗」「社会の荒廃」といった、過激でネガティヴなイメージが想起されるかもしれない。しかし、「アナキズム」の本来の目的は、権力による支配を必要としない相互扶助を目指すことにある。共同体に属する人たちが協力し合いながら真の意味での自由を追求する、むしろ成熟した社会像が理想とされる。その概念を教育現場に取り入れることで、生徒だけでなく教師も心身ともに健康に過ごせるようになる、というのが著者の主張だ。

近代以降、社会は確固たる自我を持った個人によって構成されているという前提の下、学校は一人ひとりの子どもが「自立」して「競争」を勝ち抜く人材に育てるための機関として位置付けられてきた。「自由」を標榜しているが、あくまで資本主義経済の枠組み内での話であり、公権力が求める条件に適さない人間は排除される。(いわゆる支援学級もそのための場とみなせる)だが、実際の社会に目を向ければ、人々は自身が困らないためにも気軽に助け合うし、他者から完全に独立した「個人」など存在しえないこともすぐに分かる。教師が生徒への脅し文句に使う「社会に出たら困るぞ」が想定している「社会」など虚像に過ぎないのだ。だからこそ、子どもたちが活発に交流し、自然と助け合う下地を作るための場が重要になってくる。

「アナーキー」な教育には盛んなコミュニケーションが欠かせない。その中には喧嘩も含まれる。授業中の雑談や人間関係のトラブルは学校が忌避することの代表例であり、止めさせるために教師は学級内の権威として振舞おうとする。(振舞いを強制されている面もある)しかしながら、その態度こそが自身を追い込んでいることを認め、生徒たちが問題を自己解決する逞しさを身に付けるサポート役に徹するべきなのだ。

竹内のおすすめビジネス書『サイゼリヤの法則 なぜ「自分中心」をやめると、ビジネスも人生もうまくいくのか?』

安くておいしい、サイゼリヤ。しかし創業者の正垣氏は「サイゼリヤの料理は、まずくて高い」と常々口にしている。今我々に提供されている数々のメニューは「現時点でのベスト」であることは確かである一方、「決して現状に満足しない」ということがこの言葉の真意である。

次の成長を、と先を見据えていく中で大切なのは、「自分(自社)中心になってしまっていないか?」という視点だという。サイゼリヤは原材料費や物価が上昇している今の時点でも、定番商品のミラノ風ドリアの価格を300円に維持している。「安さ」を売りにしたいのではなく、こんなご時世だからこそ、「安さ」が顧客の「満足」に繋がる。何かを変える決断を下すとき、それが「相手のためである」と胸を張って言えるのか、という自問を忘れてはいけない。相手にとって良いことであるかを考えることは、物事を一歩引いて見つめることでもある。

ただ、そうあるべきという思いがあっても、その通りに行動できないことがあるのも人間である。それを受け入れ、反省する。何かが上手くいかなかったときに、相手や環境ではなく、自分が悪いと素直に認めることは決して簡単ではない。しかし、そこで「自分が間違っているのかもしれない」と立ち止まることは、凝り固まった思考に柔軟性を持たせるためには逃げてはいけないことなのだ。サイゼリヤのキッチンには包丁がない。その危険性をなくすのはもちろん、それを使う作業工程がないということはそれだけ効率性が増していることにもなる。飲食店に、包丁がなくても良いのだ。今まで当たり前になっていたものを疑ってみること、そこに「人のため」という意識を加えることで、進むべき道が開けていく。


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