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死ぬことから『生きる』を考えるように

追い詰められた時、自分の考えに転機が訪れる。

体力的にもうバイトはできないと悟った。焦りと不安の中、必死にワープロを打ち続けた。

不安、不安、不安、そればかりが体を満たし、締め付けてきた。お金もいよいよ底を尽きそうになる。3万円くらいだったか、かろうじで東京の家に戻るお金だけはあった。

学校もほとんど行けなくなっていた。立ち上がる力も失われていた。眠ることさえもできない。

空腹と疲れで、顔が青冷め、体に力が入らず、全身がしびれるようにぶるぶると震えた。立ち上がることさえままならなかった。真夏日が続いていて、脱水症状と栄養失調、そして今で言う熱中症が原因だった。

這うようにして、どうにか水を沸かして、それを冷やして飲み、カップ焼きそばを作って食べ、全身の震えは緩和したものの、この先もこの精神状態で一人暮しするには、もう無理だと悟った。

だから、七月一杯で、東京の家へ戻ることに決めた。

けれど、あの家のことを考えると、また不安で一杯で、胸が押し潰されそうになる。

包丁がキッチンにあることを意識してしまい、自分を傷つけてしまいたいという衝動にも駆られた。

このままでは頭がおかしくなってしまいそうだった。


そんな中、バイトしていた時から、ある連載漫画に出会っていた。実話を元にした漫画だった。

『生命のダイアリー』という漫画だった。

若くして世を去った、看護婦さんの女性。生前のその苦しみ、その時々の想いを書き綴ってきていた日記。それを元にした漫画がある少年誌に連載されていた。

これは、当時の、独りで病気を抱え続けてきたぼくにとって運命の出会いに近かった。

そこに載っていた、話の内容、日記の言葉は、どれも強く強くぼくの胸に響いてきて、その苦しみはひどく共感できるものだった。

原因不明の病気の苦しみを家族に理解してもらえず、死にたい、死にたい、と綴った言葉。

こんなに共感できる話は初めてだった。最も苦しい時に、この話に出会ったのだ。

そして、苦しみながらも、精一杯生きようとした姿。生きたいと思う心。何より、自分自身という存在を、他者に素直に出していたところ。

その人は、作文や論文を書くのがすごく上手かったそうで、自分の考えを素直に表わすことができる人だった。

その姿に励まされて、自分を素直に表わす大切さを知った。たとえこの手が震えてしまおうが、他者に変なふうに思われようが、それでも素直に表わせば、自分のことを理解してくれる人が現われてくれるかもしれない。

そして、自分の執筆テーマに対してもプラスの影響となった。死にたいという思いばかりを小説に込めてきた。でも、逆に生きたいという気持ちを小説に込めて書いてみたらどうだろう。

死ぬことから、生きることへ。小説の作風を変えることと同時に、自分自身の考えをも変えてゆくものとなった。

自分を素直に表わそうということを思うようになった。自分がこれまで生きてきたことを無駄にはしたくない。あの看護婦さんは、十年近くもずっと原因不明の病気で悩み苦しんできた。それでも、生きたいと思っていた。必死に苦しみと戦い続けて生き続け、そして亡くなっていった。

自分は、ただずっと自分の気持ちを内に閉じ込めて、死にたいと思ってきただけ。そんなので、小説家になんてなれるのか。死にたいのなら、小説家になんてならずに、早く死ねばいい。誰かに、そう言われそうな気がした。

自分を素直に表わそう。この苦しみを素直に表わそう。このまま、苦しみの中死ぬのは嫌だったから。

アパート暮らしをしていても、苦しくて、不安で、どんどん追い詰められていく。体も疲れてくる。呼吸が荒くなる。お腹も痛くなる。胸が苦しくなる。そんな状態が続いていた。

だから、東京の家にもどろうと決意した。

東京の家に戻ってから、精神科の病院に行こうと決めた。手の震えや、心の病を素直に人に伝えられるようにならなければいけない。

この時初めて精神科の病院に行こうと思い立ったのだ。

 

自分の精神病はどういうものなのか、医学書で読んでみた。そして、色々な精神病を知り、やはり自分は病気だったんだということを知った。症状で当てはまるものが沢山あった。

この時に、初めて、うつ病という病気があることも知ったのだった。不安症や恐怖症、強迫観念という病を知っていくのも以降のことだった。

今までしてきたことは自分勝手なことじゃなかったんだ、家族に対してしてきた自分の態度なども自分勝手なことではなく、病気だったからなんだ。

全部自分が悪い。自分の弱い心がいけない、自分のしてきたことは間違っていたんじゃないのか、こんなこと病院に行って医者に話したって、不審に思われるんじゃないか、そう思い続けていた。

こんな自分を、誰も理解なんてしてくれないと思ってた。

だから、病院に通うことも怖いと思っていた。

もう救われちゃいけない、この心を内に閉じ込めたまま、死ぬことでしか救われることはないと思ってた。もう死ぬ道しか残されていないんだと、この心が治ることはないんだと、ずっとそう思ってきた。

でも、精神病が原因で、不安、緊張を過度に感じて、やる気が起きなかったり、苦悩したり苛立ったりしてしまうことは、当たり前のことなんだと。それを知った時、すごく安心した。

そう、本当は、もっと早く病院に行かなければならなかったんだ。それこそ高校時代の頃から。それが分かった時、心が軽くなれた。今まで自分のしてきたことは、勝手な独り善がりではない。病気だったからなんだ。それが分かって、本当に、本当に安心した。涙が溢れ出てきた。

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