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『また終わるために/サミュエル・ベケット/訳高橋康也,宇野邦一』〈書肆山田〉②〈完〉【1089字】

1)遠くに鳥が

【P-64】[l-1]おれは自分の人生を生きようとした、だめだった、あいつの人生しか生きられなかった、ひどい人生さ、あいつはこんな人生じゃないって言った、

 精神から見て、肉体は好き勝手なことを行うひとつの謎でしかない。それは《おれ(=精神)》の意志に反して(関係なく)行動する。そして、精神が肉体の行為を嘆くとき、肉体もまた精神の不在を嘆くこととなる。それは即ち魂の不在であり、自己の人生における自己の不在なのだ。

2)見ればわかる

【P-67】[l-3]語られることのかなたには何もない。

 絶えず更新され、無限に膨張を続ける自己総体には果てなどなく、かなたに目的地、目標物など存在しない。自己の果てには何もない。


3)ある夜

【P-75】[l-12]最後は現在形で。出来事はずっと昔のこと。一日中閉じこもり日が沈むと同時に出かける。

 既に起こったことを知覚し、思考する脳は出来事の後追い。現在形で語っている時でさえ、すべては昔過ぎ去ったこと。肉体は、事象に光を投げかける。精神は、光が消えた後に解釈する。


4)みじろぎもせず

【P-82】[l-6]すべての細部を一つ一つ観察して総合すると結局全体がみじろぎもしないどころか体じゅう震えていることになる。

 一見静止している肉体であっても、心臓の鼓動、原子の振動によって絶えず震えている。あらゆる物質は振動、変化から逃れられない。


5)断崖

【P-90】[l-3]どこまでも白い空の二つの部分がそれをふちどる。空で大地の果てが識別できるか。媒体のエーテル? 海鳥の影はない。

 人間の精神には、世界全体……自己知覚全体を把握する術はない。『媒体のエーテル』、それは《わたし》だ。思考によって捉えることのできない《わたし》。意味も意義も関係なく、ただ感じるしかない《わたし》。『海鳥』=生物=《わたし》は、《わたし》の内部世界には存在しない。


6)まとめ

【P-95】[l-12]ベケットほど生涯を通して執拗に「生と死」「書くことと語ること」といった一群の問題に向き合いつづけた作家は少ない。それ故どの部分を輪切りにしても、(『ゴドーを待ちながら』の台詞を借りれば)「本質は変わらない」からだ、と。

 人間の……存在の始原に位置づけられた『本質は変わらない』。どんな人生を歩んできたとしても、何も変わることはない。──すべては変わり続ける。現実存在の本質とは"変化"であり、世界は常に"混沌"という性質を帯びているのだ────。


                〈完〉

        ────Thank You For Reading────.

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