バッジっていうかグッズっていうか、それってそんなにうれしいの?
noteさんから「なになにのバッジを獲得しました」っていう通知。
ごめん。わたし、いらないのよね、申し訳ないけど。
noteを使い始めた時、「きっとバッジをいくつか集めたら何かサービスがあるんだ」って思って血眼になって(笑)色々調べたけど、特にない(笑)
ええ~?ただ自動的に集めるだけなの?
何のために???
って、すごくすごくびっくりした。
べつに、何か月続けたかと記事を何個書いたなんて、数字をわかるようにしておけばバッジなんて形にする必要はないんじゃない?
……知ってる。
褒められたらうれしいって心理と、もっとがんばって次のバッジを目指そう!というコレクター精神を刺激しているんでしょう?
たかが数字の確認だとしても、そういうのを楽しみながらできる形っていうことなんでしょう?
でもね。
わたし、ほぼないのよ、コレクター精神。
しかも、スキをいくつもらいました、みたいな通知はまだ嬉しいんだけど、何かの設定をしました、とか、自分がやったことの通知なんて、……………いらない。
たまには誉めてほしい。
生身の人から褒められたら、もちろんすごくすごく嬉しい。
でも、プログラミングによる自動誉めシステムや当り前のことをした時の誉めに心がほとんど動かない。
むしろ、通知がきて「あ、誰かスキしてくれたのかもしれない……」ってちょっとワクワクしながら開くと、バッジですって、むしろ悲しい(笑)
バッジが励みになります!
っていう方もいらっしゃるのはわかるから、せめてバッジの使用や通知のオンオフを選ばせてほしいのにな。
そこから転じて。
何かを集める欲もなければ、
何かのグッズも特に欲しいと思わない。
物をなるべく減らして身軽に生きたいから、本当に自分に必要な物を選ぶように心掛けて過ごしている。
いわゆる推し、ってやつのグッズも、欲しいと思うものは欲しいけれど、逆に推しの関係する物を何でも欲しいわけじゃない。
……だけど、当然のように「好きならほしいでしょ?買うでしょ」っていう体裁で来られると、むしろ引いてしまう。
確かに、グッズはファンにとっては嬉しいもの。
そして、グッズを出す団体にとっては、ファンの愛を利用したお金集め。
でもね、グッズを買うかどうかで好意の熱量を決めつけてほしくないな。
わたし、
お金を稼ぐときは身と魂を削ってるの。
そうして手にしたお金を、不必要と思う物体を買って貢ぐのは不本意なのよ。
わたしの魂を、性根の底から悦びで完全に満たし、清めて充実させてくれるようなものには、お金を出します。
この要件にあてはまるなら、物じゃなくてもいい。
物より思い出、とも言う。
形に残らなくても、魂を震わせてくれる大切な体験、時間にはお金をだすかな。
多様化多様化って言いながら、結局はある程度そういうのを人は好む、っていうステレオタイプにくくろうとしているのよね。
それが一番、ちょっと苛々するのだと思う。
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