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しあわせですか?わたしは今夜山羊座の満月を見に行きます。

管理職の友人たちと無職のわたしで食事をした。
このプロジェクトが成功したとか、この業務の担当になって今は楽しいんだ、という話は全く出ない。
みんな、苦労している。お互い愚痴めいた話を披露して、寄り添いと助言の言葉を掛け合っている。


彼女達は何も悪くない。
優秀すぎて、上司から無茶を言われてもやり遂げてしまう。
非常に常識的で決してキレたりせず、困った部下やすぐ辞めてしまう若い人への配慮も手厚くて素晴らしい。
けれど、吐きだすところがなく、こうして旧知の面子になると思いの丈を口走り、どこも大変だよねという結論になる。
彼女達に限らず、優秀な人達は謙虚で、ごめんなさいね、ありがとうございますとお互いに言いながら支え合っている。

わたしは辞めてしまった身分のうえ、スピ的なことに傾倒している人間なので、はたから見ていて、ああ、土の時代の組織だから……と一人で納得してしまう。
彼女達に土の時代がどうとか言っても仕方ないし、そもそもみんな土の時代も風の時代も知らない。
そんなふわふわしたことを無職の奴が言ってもな、気楽でいいよねという空気になりかねない。


あそこは古いのだ、とにかく。
テレワークにいまだに反対し、働き方や働く場所も選べない。
頑張っても見返りはない。永遠に目の前の人参を追い求めて走り続ける馬にしたいんかい、と思う。
こうしたらいいのに、を実現しようとする意識が薄い。実現への問題点を見つけてはやらない選択へと走る。
今でさえ仕事が多いのに、どうしたら効率よく、より、効率よくするために検討する係を作りましょうみたいな話になる。そして、その係のメンバーを集めるために、ただでさえ人がいないのにどこから人を持って来て、残された人の負担が余計に増える。

これで若い人が来るわけないし、来てもすぐやめてしまうのも納得しかない。

この状況に耐えた人は「仕事ができる人」として、さらなる過酷な部署へ異動させられる。優秀なイエスマンほど損をする世界。

頑固にゴリ押しばかりする老害みたいな人が勝ち、という面は否めない。
それをわたしはわかっていたから、あそこにいる時は切れるカードを切りながらゴリ押ししてきた。
優秀なイエスマンになったら終わると思ったから。



見ていて、話を聞いていて、暗さんたる気持ちにしかなれない。


とにかく、みんな何も悪くない。
頑張っている。
この国の中で誰かがやらねばならない仕事を彼女達はやっている。
優秀なイエスマンがいけないというより、ひたすら頑張っても報われない体質の組織が悪い。
組織の大きさと仕組みも問題ではある。上下が大好きなうえ、横の繋がりは果てしなく広い。



みんな頑張っているのに、わたしに戻ってほしいと願いをつぶやく。
報われない忙しさゆえに、少しでも人手が欲しいから。

居てほしい人ほど、いなくなる。
居なくてもいい人ほど、居続ける。
残されているまともな人が割をくう。
その中で、さらに辞めてゆく人が出る。
誰かが言っていた、優秀な人ほど、賢い人ほど辞めてしまうと。
わたしが優秀かどうかはともかく、あそこに居続けてもわたしがしあわせに思える素敵な未来は見えなかった。

わたしが、みんながいる組織を離れたのは、それまで自分の本音を犠牲にした働き方をして嫌気がさしたから。
そのうえ己を捨てろと言ってきた管理職の言うなりにはなりたくなかったから。
それに、古いから。
無駄が多いから。
何も変わらないから。
25年前、これからの時代ネットでつないで家で仕事できるようにならないと、とぼやいたわたしを無視した。
やっぱり25年前、この書類すごい無駄じゃないですか作るの辞めたらいいのに、とわたしが思った書類をこれからようやくなくそうとする。
そんなところだから。

風の時代にこんなところにいたら、わたしは病み過ぎる、と察知したから。


そのうえ、これまでみんなと同じくらい時間がなく、みんなより我慢したことは多い。
だから、その分わたしはこれから自由でいたい。
ただそれだけのことを、わたしの責任で実行しようとしているだけ。


辞めることで、言い方は悪いけれど売り手に回れた。
売れるのなら、今度は自分の意思で売りたい、自分の好きなところに売りたい。
頑張りたいと本当に思えることのために頑張りたい。
何なら、大好きな京都に暮らす手段になるなら組織の体質には目を瞑ることができる。大好きな街で暮らすという夢の実現の切り札だから。

ただ、そうしたいだけ。



風の時代は、貧富の差がますます広がる。
金銭的な貧富より、精神的な貧富。
お金がある人が精神的にもゆとりが生まれる摂理ではあるけど。

頑張りと忍耐が美徳の時代は終わり、違和感を察知したらふわりと乗り換えるのが今時。
幸せを感じることができる人のところに幸せの風がますます吹く。


管理職の彼女達はとてつもなくブルジョワだけど、組織に入ってくれた若い人たちにこうなりたいかと聞いたら、みんなノーである。
ある程度のお給料で満足して、定時に帰って、プライベートは好きな事をする。
それの何が悪いのか?
今時、何も悪くない。
24時間闘っているような働き方が当たり前で是とされる価値観も終わっている。

けれど、彼女達はそんな若い人達に困っている。
若い人達の価値観を否定したいんじゃなく、実際にそうだと組織が回らないから困っている。
確かに、忙しくないところだとやりがいがなさすぎると辞めてしまったり、ちょっと忙しいと辞めてしまったりメンタルを病んでしまったりする。仕事のさせ方の匙加減は苦労しかない。
それも、管理職が悪いわけでも若い人が悪いわけでもない。


組織のために頑張って働いているのに、いつも大変そうな彼女達に、言いようのない理不尽を感じる。
世の中どこかしら理不尽は否めないとはいえ、組織の歯車どころか理不尽の歯車みたいな彼女達に、組織へのもやつきが募る一方。

友達だから、本当なら助けたい。
「東京MER~走る緊急救命室~」の、喜多見先生と音羽先生のいるあのチームの仲間達みたいに、ピンチの時に手を差し伸べたり駆けつけられるようなわたしならどんなにカッコイイことか。カッコつけたいわけじゃないけど。

そのために、今すぐあの古い時代の組織にわたしを捧げるのは、違う。
東京MERのみんなは、自分の仕事に誇りがある。
あの組織に戻ったとしても、わたしにはそれが持てない。
この先わたしが、本気で戻ってもいいと思うなら、それは戻ればいい。
でも、人に言われて戻るのは、自分の首を絞める行為でしかない。

ご恩はそれなりにあるから、返したい気持ちもある。
でも、返すために、自分を棄ててそんな組織に屈するのがよいわけがない。


みんなに、しあわせなのかと尋ねてみたいと思った。
でも、聞けなかった。

わたしがそう尋ねられたら、今は前よりもしあわせに暮らしているよと答えられる。

しあわせになることを後ろめたく感じる必要はないのに、戻らない自分を後ろめたく感じてしまうのは、土の時代で長年生きた遺産だろうか。


今日は山羊座の満月。
本当ならベランダから月がよく見えるのに、今はマンションの工事の関係で空があまり見えない。

だから、今夜は土手まで満月を見に行こう。

生きたいように生きていい。
もう、そういう時代なのだから。





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