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人間よりも大きな蟻

私は天邪鬼でもなく、ひねくれ者でもなく、ただ周りと同じ意見を出すことが嫌なのだ。

「大きなもの」を創造してみてください

周りは口々に、意見を発散する。
像という人もいれば、海という人もいる。
クジラという人もいれば、地球という人もいる。

いずれも、彼らは「大きなもの」のイメージで想像されたものなのだから、大きいという答えは正解なのだろう。
しかしそれはただの正解だ。
不変で無価値な正解である。

誰だって、「大きいもの」を想像したら、像やクジラが出てくる。
だからそれは創造ではない。
そもそも、それらが「大きなもの」にカテゴライズされることは絶対ではない。
海と比べたら像は小さいし、地球と比べたらクジラも小さい。
海だって、地球に比べたら小さい。
じゃあ、地球が本当の「大きなもの」と言われるとそういうわけでもない。
太陽に比べたら地球は小さいし、銀河系に比べたら太陽だって小さい。

科学的にこの世で1番「大きなもの」の証明なんてできやしない。
それは、宇宙の謎を全て解明するくらいの規模の話だ。
例え、宇宙の謎が全て解明され、この世で1番「大きなもの」を決定づけたとしても証明にはならない。頭が困惑している方は、ここで理解しようとはせず続きを見てほしい。

話を戻す。
一般的に「大きなもの」という想像からは絶対出てこない意見を私は考えたい。
例えば、蟻。
蟻は私たち人間の体と比べ物にならないくらい小さいし、そこらへんにいる虫よりも小さいだろう。
本来「小さなもの」というカテゴリで候補に挙がる蟻だが、「大きなもの」でカテゴライズされることは、中々無いだろう。

だが蟻は微生物より大きいし、原子レベルの話になれば、蟻は巨大なものになる。

また「大きなもの」の意見の発散の中で、像やクジラなどを言っても
聞き手は「たしかに」で終わりで話は広がらない。
しかし「大きなもの」のカテゴリの中で、
蟻や子犬、米粒などの普通ではない意見を発言すると、
聞き手は「なんで?」と疑問を抱き、そこから話が広がる。
ちなみに私が蟻が「大きなもの」だという理由を話すなら、
「自分が仕事の失敗でクヨクヨしている時にも、蟻は行動を止めずに必死に働いている。その姿が自分の小さな心に比べて、とても立派で大きく見えた」
このような話をすることができ、かつ蟻が「大きなもの」としての存在を認められ、新しいアイデアに繋がる。

これが創造である。

ただ周りと同じ意見を出すことが嫌。
それは自分が分かっていること、知っていることを繰り返し聞くことが嫌なのだ。
リンゴを食べたら美味しい話は聞きたくない。
私は、
リンゴを食べたら筋トレに良いみたいな話が聞きたい。
もしくは、
リンゴはそもそも食べ物じゃなかったみたいな話が聞きたい。
リンゴを果物や食べ物というカテゴリから切り離し、話を広げたい。
想像力創造力。人類にとって新しい未来に前進するためには、後者の力が必須である。

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