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誰も語らなかった、世界に医療が広がった意外な理由【①Another view 医療システムの過去・未来・海外】Surprising reasons why medical care has spread around the world.

 こんにちは。『アポロニア21』編集長水谷惟紗久(MIZUTANI Isaku)です。
 私は歯科医院経営総合誌『アポロニア21』で、最新の歯科医院経営の情報を20年以上追い続けるとともに、歯科医療の経済的、社会的、歴史的な背景についての調査や執筆をライフワークとしています。
 本コラム「Another Viewー医療システムの過去・未来・海外」は、現在、当たり前となっている診療システムや保険制度、自費診療の在り方などについて、過去の歴史や海外の事情などと照らし合わせてみることで、今までとは異なる視点から、医療の新しい景色を探してみようという試みです。

 
 第1回目のテーマは、「誰も語らなかった、世界に医療が広がった意外な理由」です。

 日本においては保険診療が充実しており、「医院で支払う料金(患者の自己負担)は少ない方が望ましい。理想は無料」という意見が医療者・患者とも多くを占めます。
 しかし、実は近代医療の成り立ちは、貨幣経済と切っても切れない関係にあり、「医療は値段がついたから広まった」ということを、18世紀のヨーロッパの歴史から紐解いていきたいと思います。


1. 値段が付くことによって「医療」が患者・市民のものに

 一般に、「19世紀のヨーロッパを中心として近代医療が成立した」と言われます。しかし、実はそれ以前からずっと存在していた医療が近代化し、普及していくのは、18世紀の消費革命がきっかけでした。

 教会や修道院、市参事会などが医療を独占していた18世紀以前には、必然的に、患者として対象になるのは特権階級ばかり。一般の人が受診できる機会は慈善事業(教会など)くらいしかありませんでした。

 それが、消費社会の勃興により、医療も「商品」として流通するようになりました。「相応の対価を払えば、誰でも医療を受けられる時代が来た」ということです。そのため、それまで医療を受けられなかった人たちがこぞって、医療を受けようとして、需要が急拡大していったと考えられます。

 医療が商品となって値段が付くことで、他人の善意や施しに期待しなくても、誰でも欲しい医療を、欲しい時に受けられるようになったのは画期的と言えます。
 もし、商品として流通せず、教会や地方自治体が独占したままなら、お抱え医師を雇う身分になるか、たまの慈善事業に期待するしかないからです。


もともと病院は教会などによる慈善活動の一環で、隔離が主な役割として作られた。上の絵は、同じように、慈善活動で建てられた救貧院。16世紀末に成立(1834年改正)した救貧法(The Poor Law)により、イギリスでは高齢などで働けない弱者が入居する救貧院が建てられた

2. 薬だけに値段がついていた日本

 一方、同時代の日本では、お抱え医師など例外を除けば、治療費ではなく薬代が医療の対価とされるのが一般的でした。
 診断や簡単な処置は、薬に付随するサービスと見られていたのです。また、麻酔技術も普及していなかった前近代では、一般人が外科手術を受ける機会はほぼありませんでした。

 治療費の定価が、薬代とは別個に定められていた例としては、佐倉順天堂で行われていた手術代の「療治定」(1854年12月、成田山霊光院蔵)が知られています。当時、最先端の西洋医学による手術ですから非常に高価でした。

 明治時代に入ると、近代医学と西洋医薬の導入に伴って、調剤、投薬が診療と区分されて医薬分業を目指します。これにより、診療行為そのものに「定価」が付くことになり、近代医療の普及を後押ししました。

 ただし、1874年の「医制」で医薬分業の原則としたものの、医師による調剤を認めた結果、日本における医薬分業は停滞。実際に分業化が進んだのは1970年代以降とされています。

3. 商品になることで、「患者の自己決定」が生まれた

 
 お金さえ払えば、自分の選んだ医院で医療を受けられるというのは、現在の日本の保険医療では当たり前ですが、21世紀の現在においても公的医療では一般的ではありません。イギリスやフランス、スウェーデンでは決められた家庭医、登録医で受診するよう定められています。
 日本のフリーアクセスの保険診療は「贅沢だ」と言われることもありますが、18世紀の近代医療の勃興期にすでに起源を求めることができます。

 また、相応の対価を払っているのですから、自分の受ける治療について意見を述べ、選ぶこともできます。「患者の自己決定」というものも、医療が商品だからこそ可能なことなのです。
 医療は「商品」として流通することにより、より患者(消費者)に寄りそうサービスに変化したと言えるかもしれません。

 そして、20世紀に各国で成立した社会保障制度で医療を配分するというシステム自体が、「医療がお金と交換できる」ということが重要な要件となります。
 現在の公的医療保険制度においても、政府や保険者が医療機関から医療を買い、それを国民や被保険者に配るというシステムとなっており、お金を媒介せずには成り立ちえないものなのです。

 しかし、こうした消費革命の中、勃興した近代医療は、現在のような「病気やケガを治し、生命を救うもの」という範囲のものでは、必ずしもありませんでした。
 社会史学者のロイ・ポーター氏(ウエルカム医学史研究所)は、18世紀イギリスの消費社会の勃興を描く中で、さまざまな医療サービスと、それらの広告宣伝を、インチキなものも含めて紹介しています。ちょっとした悩みごと、審美的なコンプレックスなども、巧みな宣伝文句によって医療の対象になっていったことが分かります。 
 例えば、電気療法(日本のエレキテルみたいなもの)、水蒸気療法、バレエ療法などなど。歯科医療でも、「雪花石膏のようにキレイになる」という触れ込みのホワイトニングや、天然歯と見分けがつかない人工歯(最初は、カバなどの歯や骨、人間の歯。18世紀末にポーセレン製に)が、盛んに宣伝されました。

3. あらゆるものが商品になった時代


 ところで、医療に限らず、現在は、あらゆるモノやサービスは、お金を出せば、誰でも買うことができます。こうした社会が生まれたのは、18世紀イギリスの都市部や観光地で、突然、爆発的に始まった「消費革命」が最初だとされています。
  
 「消費こそが、経済を発展させてきたのだ」という立場を取る経済学者、N.マッケンドリック氏(ケンブリッジ大学)らによると、18世紀のイギリス都市部を中心に爆発的な消費熱が起こり、あらゆるものが売り買いされるようになりました。
 これは、それまでお金で買うものと思われていなかったものも含め、あらゆるものが売り買いされて、急速に需要拡大した、文字通りの「革命」だったとされています。この消費熱は、生産や流通を刺激して産業革命の推進力になりました。
 
 有名なところでは、
人の死体を盗掘して解剖学教室などに売る“復活屋”(Resurrectionists)
人命賭博の合法化(利害関係者と親族のみに対象限定)によって成立した“生命保険”(The Gambling Act,1774年)
・戦場の死体から抜いたと宣伝された“人の歯の瓶詰”(Waterloo Teeth)
などがあります。 
 生命保険は、受取人を限定することで合法化された結果、現在まで発展を続けている保険商品の元祖ですが、もともとは人命賭博が出発点です。
 爆発的な勢いで広がった「なんでもあり」の18世紀の消費革命の遺産は、現在も身近なところに息づいています。
 

4. フランスからイギリス、そして世界へ―近代歯科医療の発展


 18世紀には、近代歯科医療もまたフランスで生まれました。18世紀後半、抜歯と歯冠修復(むし歯治療)、欠損補綴(入れ歯)を主な業務とする「デンティスト」という新しい職業が、フランスからイギリスに伝わってきます。
 近代歯科医療が発展する上で、「18世紀のイギリスを経由した」という事実は大きな意義を持ちます。

 18世紀のフランスは、政治、経済、文化などあらゆる面でヨーロッパの先進国で、軍事的にも強国でした。歯科医療を始め、近代を支える多くの技術や文物が生まれたのですが、凄まじい流血が続いたフランス革命によって、多くの知識人、技術者、お金持ち(ブルジョワジー)が母国を脱出し、多くはイギリスに亡命します。その中に先進的な歯科技術を持ったデンティストも含まれていました。 

 フランスのデンティストが渡英する以前、イギリスにも抜歯を行う歯抜き師(Tooth Drawer)、入れ歯の治療も行う歯の治療師(Operator for the Teeth)といった専門技術者はいました。フランスのデンティストは、彼らに、健康な人の歯を抜いて、お金持ちの患者に移植する他家歯牙移植、変色、劣化しない陶製人工歯など当時の最先端技術を伝えたのです。

 当時のイギリスは、世界一の植民地大国で、消費革命の真っ最中。そのため、世界中の文物や情報がロンドンなどイギリスの都市部に集まり、更にアメリカ、インドなど世界中に拡散されていきました。
 結果的に、近代的な歯科医療がフランスからイギリスに渡ったことにより、さらにアメリカで普及、発展していく土台ができ上がったと言えます。

5. まとめ

① 18世紀以前、医療を受けられる人の多くは特権階級だったが、「商品」になることで、より多くの人が手に入れられるようになった

⓶前近代の日本では、薬にだけ値段がついていた

② 医療が「商品」になることで、「患者の自己決定」が生まれた

③ 近代歯科医療はフランスからイギリスに伝わることにより、さらに発展していった


次回は「18世紀・英国デンティストに学ぶ歯科マーケティング」です。

この記事を書いた人
水谷惟紗久(MIZUTANI Isaku)
Japan Dental News Press Co., Ltd.

歯科医院経営総合情報誌『アポロニア21』編集長
1969年生まれ。早稲田大学第一文学部卒、慶応義塾大学大学院文学研究科修士課程修了。
社団法人北里研究所研究員(医史学研究部)を経て現職。国内外1000カ所以上の歯科医療現場を取材。勤務の傍ら、「医療経済」などについて研究するため、早大大学院社会科学研究科修士課程修了。
2017年から、大阪歯科大学客員教授として「国際医療保健論」の講義を担当。
【主な著書】
『18世紀イギリスのデンティスト』(日本歯科新聞社、2010年)、『歯科医療のシステムと経済』(共著、日本歯科新聞社、2020年)、『医学史事典
(共著、日本医史学会編、丸善出版、2022年)など。10年以上にわたり、『医療経営白書』(日本医療企画)の歯科編を担当。
 趣味は、古いフィルムカメラでの写真撮影。2018年に下咽頭がんの手術により声を失うも、電気喉頭(EL)を使って取材、講義を今まで通りこなしている。
【所属学会】 日本医史学会、日本国際保健医療学会

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