見出し画像

【読書感想文】京極夏彦「姑獲鳥の夏」

世の中のオタクたちは京極夏彦を読んでるタイプのオタクと、読んでないタイプのオタクに二分されてるらしい。で、読んでるヤツの方が強い。以上が本作を読んだ動機である。

京極夏彦「姑獲鳥の夏」


正直京極夏彦ってなんか分厚くて文体重いやつだよね〜ぐらいの印象しかなかったんだけど、本作を読んだらそんなしょうもないこと一生言えなくなる。それぐらい京極夏彦は強いと今更ながら知った。分厚い単行本の一行、一文字に至るまで存在意義がある文章。

で、姑獲鳥の夏の話だ。姑獲鳥の夏は分類するのであればミステリ小説である。主人公はワトソンの役割に立ち、その友人である京極堂がホームズになる。よくあるミステリの構図だが、それにしてはキャラクターが立ち過ぎている。まずキーとなる登場人物はホームズとワトソンだけじゃないのだ。
重要人物、その3。無機物の記憶を読み取れる探偵。なんじゃそれ。ていうかミステリでこんな能力持ち出したら話は3秒で終わる。だって事件現場の壁の記憶とか読み取れたら一瞬で犯人解っちゃうじゃん。当然この話でも探偵は一瞬で真実を読み取って事件のほぼ全貌を読み取るんだけど、でも、それで終わりにはならない。なぜか。それはこの探偵が常人ではない精神構造だから。普通事件の真相がわかった探偵は解決パートを始めると思うんだけど、彼は答えを教えてくれない。答えを教えてくれるのは京極堂、この小説のホームズだ。

ホームズこと京極堂の言っていることは50%意味不明だけど、残りの50%で洗脳される。認識論、怪異とは何か、精神科学、宗教。なんとなく知っていて、なんとなくよくわからないこと。それを京極堂の言葉は巧みに説明し、わたしたちは理解した気になり、そして気がつけば事件が解決している。ネタバレはあんまりしたくないから物語についての話はこれくらいにしておくけど、とにかく京極堂の言葉は最初から最後まで全て今回の事件の解説をしているに等しいと思っていた方がいい。

最近はホラーブームだし、なんとなく京極夏彦に新しく触れる人も多いのかなと思う。でもこの小説は一般的に思い描くホラー小説とは一線を画している。怪異が現れるエンタメ小説ではなく、そのさらに内側へ。そもそも怪異とは何か? 私たちは怪異を認識するとき何を見ているのか? 怪異が見える人と見えない人との違いとは? そのとき人間の内側では何が起きているのか? そこまで京極夏彦は迫っていく。
だからこの物語をミステリと分類するのは間違っている気がするし、ホラー小説と呼ぶのも正しくない気がする。なんなんだろこれ。京極夏彦としか言いようがない。この体験は京極夏彦の作品でしか味わえない。とにかくそんな感じ。食わず嫌いしてる場合じゃないのだ。1秒でも早く読んだ方がいい。読んで、なんだこれ?って言った方がいい。

あと最後に言いたいことがあるんだけど、ネタバレを含むから見たくない人はここでページを閉じてね。















犯人の涼子は一種のファム・ファタールですらある。と私には見えた。彼女は姑獲鳥、もしくは鬼子母神であるから母性の要素を強く含むんだけど、同時に男を堕落させる強い女性性も見え隠れしている。実際経血を垂らしながら・・・のあたりの描写とかはもろにその辺イメージしてると思うんだよね。女は母性を持ち、無垢な少女であり、時には周囲を崩壊させる悪女にもなれる。そういう女であれば誰しもが持つ二面性(三面性?)を誇張した結果が涼子、京子、母なのではと私は解釈した。これ、別の解釈した人いたら是非教えてほしい。いろんな意見を聞いてみたい。


この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?