創作短編小説『赤い正真正銘』 ――7、赤い稲妻――
7、赤い稲妻
新大阪駅の改札口で船橋とQに別れを告げた小関は、再びホテルに戻ろうと駅から外に出た。外は再び雨が激しく降りはじめており、雷が時々大きな音をたて、まぶしい光を放っていた。
既に時計は夜の八時を回っている。暗くなった徒歩三分の道のりをすこし小走りにホテルに戻った小関。傘は差していたものの、横殴りの雨に衣服はびしょ濡れになった。かまわず、急いで会議室に戻ると、上司の太田が一人でイスの上にふんぞり返って座っていた。
「ただいま、戻りました……」
太田はこともあろうか、靴を履いたまま二本の短い足を会議室のテーブルの上にのせ、天井を向きながらゆっくりとたばこをふかしていた。テーブルには小関達が駅に行っているときに買ったのだろう。からの缶コーヒーがおかれ、それを灰皿代わりに使っているようだった。その姿はもちろん行儀の良いものではなく、太田のメタボなおなかが仰向けに突き出ているさまは、まるでアザラシが天井を向いて両の手をパタパタさせているようにも見えた。小関の声を聞いた太田は、小関の方に顔を向けるでもなく、そのままの姿勢で天井を向いたまま不機嫌そうに、一服白い煙を細長く吹いた後、抑揚のない声を上げた。
「どやった、お二人はんは?」
「いや、その……。この会議室は禁煙じゃなかったですか?」
「わかっとるわ。どやった? ときいとるんや」
少し威圧的な声を上げた太田は、そこで両足をやっと床に下ろし、たばこを缶コーヒーの飲み口で消しながら、イスに深く座り直し小関に顔を向けた。
「はあ、なんとか僕の方からわびを入れまして……。二人ともお帰りになるときには、笑顔を見せてくれましたが……」
「そうか……」
太田は興味ないといった感じで一言つぶやくと缶コーヒーの中に、火を消したタバコをポトリと落とした。
「社長には内緒や……」
「はっ?」
小関には内緒の意味が分からなかった。今、吸っていたタバコのことなのか、それとも今回の一件――すなわち船橋とQに依頼をして断られた件――を指しているのか?
「タバコのことですか?」
「アホ抜かせ、そんなもんは、おまはんは前から知っとるこっちゃないか。まさかタバコのことを社長に言うたんか?」
「いえ、特には」
「当たり前や! こういうことは空気を読んで、ちっちゃいことは告げ口などはしないこっちゃ。もう、いい大人やないけ」
太田の喫煙はほとんどの社員が知るところだった。が、社長に告げ口をする者はいなかった。それだけ太田の存在、そして太田の言動が社員達にプレッシャーを与えていた、と言うことに他ならなかった。
そもそも「発毛」のためには喫煙は厳禁だ。これほど発毛を邪魔するものはない。ゆえに発毛クリニックの社員は各々に自覚を持ち、表だってタバコを吸うものはいなかった。特に社長の前で喫煙の姿をさらけだすなど、考えられないことなのだ。
太田は灰皿代わりの缶コーヒーの空缶を、机の上でコツンと一つ、たたくように音を鳴らしながら、小関に釘をうった。
「そやなくて、今回の一連のことや」
「は、はあ……」
「はあ、やないわ。そもそも、おまはんの事前の説明では、船橋はんも、Qはんも絶対協力してくれる、言うたやないか!」
「そ、そんなことは……。船橋さんもQさんもおつきあいが長い方で、たいていは協力してくれる、とは言いましたが……」
「そやないか!」
「でも、流石に今回の件は難しいのでは? 事前に内容を話して確認しないとまずくないですか? って、何度も言いましたよね、僕は……」
「アホぬかせ! そんなこと事前に言うてみい。まとまるどころか、大阪まで来てくれなくなるやないか! こういうことは『とりあえず相談が……』とまずはこちらに来ていただき、そのあとに一気に押すんや。交渉ごとはなあ、自分のテリトリーに相手を引き込んだ方が、まとまりやすいんやで」
広い会議室に大の大人が二人きり。相変わらず窓の外は雨が音を立てガラス窓にぶち当たっていた。時折、大きな稲光の後、数秒遅れて大きな雷の音が響きわたっていた。会議テーブルを挟んで、上司の太田と対峙している小関は、今回の件を事前に打ち合わせをした時のことを思い出していた。
「今回のTVショッピングの企画を船橋とQにお願いするには、さすがに無理がある」
とハナから感じていた小関は何度も太田に、船橋とQへの事前交渉を進言していたのだった。その都度「アホぬかせ! そんなことしたら……」と頭ごなしに否定されていた。
――まるでデジャブ―かよ……
となかば呆れながらも、そこは太田の威圧的な態度になかなか次の言葉が出てこない小関。太田の顔色を見ながらやっと絞り出した声は、やや震えていた。
「で、でもその結果、まとまらなかったじゃないですか。逆に相手を怒らせるところだったじゃないですか……」
「……」
一瞬、太田の細い目がひきつったように見えた。が次の瞬間、テーブルの上の空き缶が一段と大きな音を立てた。
――ガタンっ!
「予定通り、途中までは上手くいってたやないか! わざわざ遠く、大阪まで呼び出すことには成功したんやで。しかし、おまはんの事前情報が不正確だったんや。あの二人は協力的言うたやないか! 協力的な人が、土下座までしたワイの頼みを聞けへんて、どういうことや! ワイは会社のために、おまはん達のために恥を忍んで、最後の手段、土下座までしたんやで」
「……」
太田の無茶苦茶な理論展開に思うところは色々あったが、太田の勢いに押されて何の言葉も返せない小関。ただただ、悔しくて、唇をかみしめるだけだった。その姿を尻目に太田は勝ち誇ったように腕組みをした。右手にはロレックス赤サブが、興奮しきりの太田とは裏腹に、静かに淡々と時を刻んでいた。
「なんや、その顔は?!」
「……」
広い会議室。しばし沈黙する二人。太田が腕組みを解き、テーブルに両肘をついたかとおもうと「パンッ」と一つ両手をたたいた。
「まあ、もうええわ。済んだこっちゃ。この企画はボツや。TVショッピングはボツや、ボツ。次の企画をまた考えとけや。ワイはコレであがるさかい、別スタジオで待機している連中に、その旨伝えて今日のところは解散させとけや。ええか、余計なことは言うんでないで……」
テーブルに両手をついて、よっこらしょと立ち上がった太田を見ながら、小関が今までに無い大きな声を上げた。
「えっ?! まだスタジオ待機の連中に何も連絡してなかったんですか?」
「そうや、当たり前やん。そんなことは、おまはんの仕事やないけ」
「あれから……、お二人が会議室を出てからどれだけ時間がたってると思ってるんですか?! 僕がお二人を送っている間に、連絡入れてくれればいいじゃないですか!」
珍しく声を荒げた小関。自分だけのことならともかく、仲間に対するひどい仕打ちに我慢ならなかった。
「なに、いちいち細かいことぬかしとんねん。ここまで来たら一時間も二時間も同じやないけ。つべこべ言わず、言われたことだけやっとればいいや、おまはんは」
「でも、もっと早く伝えてあげれば、待機組はとっくに撤収できてたじゃないですか!」
「やかましいわ! ワイは、おまはん達のため、会社のために土下座までして疲れてるんや。細かい仕事はつべこべ言わず、お願いしますよ、小関クン。これくらいやってくださいよ、小関さん! お願いしますよお~、ねえ。あ、そうそう、土下座のことも内緒やで! そんな涙ながらの努力をしていることを、わざわざ皆さんにおっ広げにするなんてわざとらしくて、ワイの良心が許しませんわな……」
「で、でも……」
「小関さん、聞き分けない子やなあ。お願いします、って言うてますんや! 兄貴の言うことはよーく聞いとくもんやで……」
「……」
最後には脅迫にも似た言葉をかけながら、小関の肩をポンポンとたたきながら会議室の扉を開けた。部屋を出るときに太田は誰に言うともなく、ため息交じりにつぶやいた。
「まったく、どんな教育受けてきたんや。親の顔が見てみたいわな……」
小関に聞こえるように舌打ちをしながら会議室を出て行った太田。その太田の捨て台詞を聞いた瞬間だった。
――ピカッ! ゴオロ、ゴロ、ゴオー!
まばゆいばかりの光と怒濤の地響きが鳴り響いた。窓の外の雷ではない。小関の体の中に鳴り響いたのだ。戦慄の罵倒、これまで経験もしたこともないような憤慨がこみ上げてきた。体中の血潮が逆流するかのような、激しい痛みにも似た高鳴る鼓動を感じた。小関の頭の中で、いくつのもの稲妻が閃光をはなち、胸の中から体中の導火線に火がついたかのように、怒りが全身にでんぱし、それが音を立てて爆発したような熱さを感じた。
――ピカッ! ゴオロ、ゴロ、ゴオー!
小関の頭の中で怒号の稲妻が鳴り響いた。体の中のいたるところで、憤怒の雷が落ちていた。普段温厚な小関だったが、一つだけ、どうしても譲れないことがあった。引くに引けないことがあった。それが自身の親を侮辱することだった。
小関は母子家庭の環境で育っていた。看護師をしている母の手一つで育てられたのだった。小関が幼いときに母親は離婚をしていた。物心ついたときには、父親は既にいなかったので小関に父親の記憶は無かった。
だから幼いときから、いじめられることも多かった。寂しくないと言えば嘘だった。小関が小学生に上がる頃には、夜中、一人で留守番することも多くなった。母親が夜勤に出かけるためだ。夜の暗闇が小学生にとってコワくないわけはなかった。しかし小関は耐えた。母親が一生懸命耐えているように、小関も一生懸命に耐えた。そんな母は、朝、いつも通り笑顔で朝食を用意してくれていた。その母親の笑顔だけが小関の救いだった。小関を小学校に送り出した後、仮眠をしただけですぐにまた勤務に出かける母のことを思えば、母に余計な心配をかけるわけにはいかなかった。そして毎年、母の日には学校で描いた「母のエプロン姿の絵」を描いてプレゼントした。そして小関が嫌いな父の日にも、小関は学校で描いた「母の絵」を母に手渡した。その姿は母の日とは異なり、ナース服を着た母の姿だった。母はいつもうれしそうに「あら、上手。うれしいわ! ありがとう!」と笑顔を返してくれた。
そんな母の姿をみて育った小関は、自然と社会貢献に興味を持ち始めていた。母親と同じように自分も何か人のための仕事に就きたい、と考えるようになっていた。しかし就職活動で多数の企業を受けたものの、今ひとつピンとくるものがなかった。と言うより、「人のため」との漠然とした目標はあったが、それをどう具現化したら良いのか、若い小関にはまだ分かっていなかった。
そんなあるとき、母親が病院から帰ってきて興味深い話をしたのだ。
「今度、ウチの病院で新しく、珍しい機械が入るのよ」
「何の病気に効くヤツ?」
「それが、病気としては癌なんだけど……」
「癌を治す医療機器?」
「いや、違うの。癌で抗がん剤を使うと髪が抜けちゃうのは分かるわよね?」
「うん、それは良く聞く話だよね。患者さんはただでさえ癌で大変なのに、髪まで抜けちゃったら精神的にきついよね」
「そうなのよ! 昔から、幾人もの患者さんのつらい顔を見てきたんだけど……。特に女性の患者さんは、ほんとこっちもつらくなるのよね。ところが、その抗がん剤による脱毛を防ぐ医療機器ができたって言うのよ」
「えっ?! そんなことできんの?」
「ええ、できるようになるんだって」
「どこの国の機械? アメリカ?」
「もちろん日本の機械よ。『発毛クリニック』って企業だったかしら?」
「えっ?! あのテレビCMで有名な、正真正銘自分の髪の『発毛クリニック』のこと?」
「ええ、そうらしいわよ」
この会話がきっかけで、小関は色々と発毛クリニックのことを調べ始めた。調べる前までは正直、眉唾物とばかり思っていた。
――髪を生やすことができれば、それこそノーベル賞ものじゃないか。
内心、疑いの目を向けていたが、調べてみるとどうもそんなインチキな企業とは思えなくなってきた。ことに、「髪を生やす」に関しては本当に自分の髪が復活するらしいことがわかってきた。
さらにそれだけではなかった。カーボンニュートラルを目指したSDGs、ESG、GHGなど、積極的に社会貢献活動を行っている企業であることも分かった。
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そして医療機器「セルガート」が母親が話していた機器で、この機器によりどれだけ沢山の患者さんの心のケアができることか、と感心したのだった。
さらに、決定的だったのは「天使の愛」と呼ばれる企画を行っていたことだった。これは全部脱毛のお子様を毎年抽選で無料で施術を行い、髪の毛を復活させるというものだった。
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――自分の髪を復活させることが本当にできなければ、こんな企画ができようはずもない。それを、無償で子供のために行うとは……
その心意気に惹かれた小関は、気がついた時には「発毛クリニック」に就職していたのだった。
それなのに……。それなのに……。母の背中をみて、母のようになりたくて、この企業に入ってきたはずなのに。その母を侮辱するとは……。
――ピカッ! ゴオロ、ゴロ、ゴオー!
窓の外で本当の雷が鳴り響いていた。しかし、今の小関にはそんなものが目に耳に入るはずもなかった。自らの体の中を渦巻く、怒りの稲妻が小関の全てを支配していた。
――ピカッ! ゴオロ、ゴロ、ゴオー!
その稲妻は、小関の悲しみの血潮を乗せ、きっと体の中で怒りの赤色に光っていたに違いない。
広い会議室で一人、ぽつんと立ち尽くしながら、スマホを取り出し、別のスタジオで待機している仲間達に連絡をする小関だった。
〈つづく〉
*この物語はフィクションです。実在のあらゆるものとは一切関係ありません。
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注)以上は、鹿石のブログ『ダイ☆はつ Ⅴファイブ』より抜粋です。