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鹿田、つい「暇」と呟く。

だってこんなに天気がいいんだもの。

悲観ぶって窓の外を見つめては、そっと瞼を閉じる遊びも飽きた。まったく健康なのだ、ただただコロナ陽性の疑いが晴れないだけで。

フィットボクシングも今日は休み。腹筋には別に問題ないらしいのだが、ほかの筋肉は一時的に休めてから再び動かすことにより活性するとの話をきいた。なので今日はやらないのだ。…決して飽きた、とか面倒になったというわけではないぞ。本当に。

その「本当に」って言葉、心が揺れている時、鹿田がよく使う言葉だよねっ!なんて、軽く突っ込まれたりして。

てへ、鹿田です、よろしくね。

いや、明日はやる。というか筋トレくらいしか現状ストレスの発散口がない。ビールもまずい。やはり酒は日々の疲労の堆積あってのうま味なのだ。いわゆる解放感ってやつだ。

今の鹿田はどうだ、解放されきっている。外出禁止という制約を除けば。アサヒジョッキ缶も5月上旬には届きそうなので、その時は盛大に復帰祝いとともにはっちゃけるしかない、自宅で。

もう初夏の香りはするのに。というか、ほぼ初夏なのに。

日常生活が変化したこのご時世で

日常生活が変化したこのご時世で、たとえネットで顔を合わそうが、声は聞こえようがあの時期独特のこもった居酒屋の熱気がもう味わえないのかと思うと切ない。いや、酒飲みの人はみんなそう思っていることだろうから、それを鹿田が吠えたところでどうしようもないのだが。それは特定の何かに対しての怒りや、あてつけじゃなくて、ただ、言葉や文にして少しは表出しないとなんとも、鬱憤がたまる一方で仕方ないのだ。ビール祭り、八木節。いつ、再び巡り会えるんだいっ!

てなことを考えてしまうのも、この”暇”のせいなんだから仕方ない。今こうしてnoteを書いている時こそ、不満から解放される唯一の時間のはずなのに。まあ、そこに意識的に移行したのは他ならぬ自分だ、あとは自分で適当な話題を振れば、それにそって変えるだけなのだが。釈然としない。釈然としないぞ。

休暇入った当初は

休暇入った当初は「I'm free!」(もちろんもしかしたらコロナかもしれない、って不安の方が、当初の当初は大きかったけれどね)と思って、見えない透明な羽を広げては部屋の壁にぶつけて「あいたたた」と現実に戻されたものだが。そんな気持ちも今では薄く、ただ外に出てコンビニでアイス食べたいわ、とか、公園のど真ん中に寝そべって初夏の風に吹かれたい、初夏の風に吹かれる木々の葉のざわめきを聴きたいという思いが強い。なんてったってここ数週間の我が動線は、走り幅跳びの選手なら軽々一歩で飛び越えてしまうほどの距離なのだから。

風呂⇔部屋⇔トイレ

なんと簡潔なことだろう。高知能を持つ人類が果たして、この往復のみに耐えきることができるだろうか。否、できない。部屋ですることといったって、結局レパートリーは、noteを書く、本を読む、ゲームをする、動画を見る、この4つくらいだ。それに合わせてまあ、ゲームの部類で今は行っているが運動くらいなものであろうか。それでも軽微なものである。

さあ今日はなにをやろうかな?と鹿田が思うと

神様が『選択肢はこの5つだ!』と上から口調で伝えてくるので

「あ、じゃあもうちょっと寝ます」

と2度寝する。

しかし、会社と保健所には日々体温と健康状態を伝えなくてはならないので、一度起きて、体温を測って、電話とlineをして、さあ二度寝をするか、と思ったときにはもう、目はぎんぎんに覚めて、二度寝の心地いい状態には戻ることができない。

だがすることがない。適当に目の覚めた頭に扱いづらさを覚えながらも、ぐーたらぐーたらと生活することになる。今日なんて午前中はほんと横になってYouTube見るくらいのことしかやってないからね。一応本は注文した。昨日頼んだので明日くらいには届くだろう。

ちなみに

木曜組曲 (恩田陸)

※わきまえないコペルくんwithアヤ先生にお勧めしてもらった

いのちのパレード(恩田陸)

祝祭と予感(恩田陸)

そう、いのちのパレードならぬ、恩田陸さんパレードだ。

ほんと恩田さんは外れないからね、どれも楽しみ。

命のパレードは以前読んだがもう一度読みたくなって。象が町を闊歩するのだ。祝祭と予感蜜蜂と遠雷の続編にあたるそう。その後の展開が気になっていた鹿田にとっては、続編が出ていたことは棚から牡丹餅に他ならない。

というわけで、今日もなんともまとまりなく終焉へと向かうが、無意味が座右の銘である鹿田にとってはなんの後ろめたさもない。ただ明日とどく本が楽しみなだけである。

そんなこんなで今日も唐突に終わる。(”そんなこんな”が”どんなこんな”かは、皆さんのご想像にお任せだ!)


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