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浪漫と偏見

さて今日も適当にたらたら駄文を書き連ねてゆく。DQビルダーズで夏の国を建国し、国が安泰としてしまったもので、創造主は”ナツだナツだうるさい”と早々に追いやられた。今はいかにも民主的にみな平和な生活を送っていることだろう。
しかしその気になれば、そんな世界、指一本で、破滅に導いてやれるのだからな!!リセットすることができるのだからな、私は!

と破壊神シドーもびっくりの冷酷な言葉を吐いて、そこに常夏はあるのに・・・・・・・・・・…、という羨望の気持ちを有耶無耶にする僕である。

鹿田です、よろしくね。
今日は休日だったが朝イチより予定が入っており、それを済ませるために仕方なしに起きたため、幾分普段よりは有意義に過ごした僕である。先日知り合いから借りた『傲慢と善良』を読破し、なんとも言えない清涼とした読後感に浸っていた。となると高慢と偏見が気になるな、と自然に思うわけなのだが、鹿田は車を買わなければならぬので、それまでしばし節約せねばならぬ。このご時世図書館通いもまだ気がひけるので、しばらくは積読を整理しつつその時を待たねばなるまい。因みに正直な感想を言えば、読後はじんわり心地よい読後感が続くが、その後(それに対し僕は…)と若干気持ちが落ちたことを告白しておく。あくまでも鹿田の場合である。

華氏451度もその独特の訳に慣れたならさほど気にならなくなり、とはいえまだ第一部のクラリスが消えたあたりでモチベーションが燻っている。ここぞとばかりに昇火士に焚き上げてもらいたいものだが、まあ、本業的に華氏451度まで燃やされてしまうことは必至。読み途中の華氏451度華氏451度の昇火士に燃やされたなら、なんだか森見登美彦熱帯のようにややこしくなりそうなので、とりあえず自ら奮い立たせるか、若しくは今まで通り、その時を待つべきか、といったところである。そういや熱帯の話、どんな話だっけ?忘れてしまった。後で本を探して読んでみよう。

読書亡羊ならぬ読書亡冬の為ならば、貯めるにためた積読を今こそ読破しよう!そう思うのが鹿田のこの時期の風物詩である。実際、”ああ、もうこれ以上冬に耐えられない!”となった時、僕は昔からの癖で結局本の世界に逃げ込んでいる。また読書三倒なんて言葉もあるが、現実逃避でも良いならばそれを実践しているといっても過言ではない。

読書三倒とは、読書には目をそらさずよく見ること、声に出して読むこと、集中して読むことが大事だよ、というかの朱子の教えであるが、目的はどうあれ僕は

  • 冬から目をそらし本の世界に釘付けになり

  • くくく、あははは!と酔っ払っては娯楽小説を読み耽る

  • そして、あー面白かった!と満たさる

とちゃんとそれを実行している。そして読書を終えて満たされた頃に現実にふと帰れば、春風が優しく吹き抜けてゆく。そしたらどんなに素晴らしかろうと思うが、残念ながら仕事にいかなくてはならぬし、鹿田の集中力など持ってせいぜい数時間。しかも一冊本を読み切ったならしばらくは読まなくていいかなと思う程度の中途半端な読書家である。なにが読書三倒であろう。いつもいつも、最初の勢いだけはいいのである。それ以上でもそれ以下でもない。

ああ、なにか都合よく永続的に鹿田の視界から冬を消すものはないだろうか。(今まで冬を◯と伏せ字にしていたが、もうその最中なのだから伏せようがない。)”冬にいて冬を忘れる”、或いは”冬を関知しない”ということは、念願の常夏へと一歩近づく大いなるヒントになる気がする。僕は冬を忘れてこの検討に勤しむべきであろう。noteもにやりと歪な笑みを浮かべながら執筆している最中は常にゾーンに突入しており、無駄なことは一切忘れることができるのだが、冬の間一時も挟まず書き続けるなんて到底無理だしな。
きっと遠い未来にはIMA◯Libraryみたいなものが、できて、家にいながらも本を開けばその世界の空気や匂いを体感できるような素敵なものができるのだろうけれど。それはもう少し遠い。でも、もしそんなものが実現したなら僕は夏の庭の世界に入って、遠くから、目のフチに涙をためながら僕(木山)たちを見守ってやりたいもんだ。もう一人の登場人物として、その世界に入れたりしたら最高だなあ。風車祭の世界になんて入ってしまったら、どうなるだろう!浪漫があるねぇ。

では、また。







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