見出し画像

ビールをちびちび飲む程度の

人間失格の続きを読んでいた。しかしなかなか尊い日差しが僕を呼んでいたずらをする。初めのうちこそ遊びと思って抵抗しては笑っていたのだが、そのうちいとも容易く落ちてしまって、それで今だ。

ふと窓の外を見れは桜が満開になって咲いている。その景色が永遠と続くような田舎道を、午前中走っては仕事を終わらせた。ずっと桜が咲いている。桜が。

桜は昔から春に咲く、春の風物詩であるというのにどこか異質で、ふと見ていると疲れるような感覚に陥ることもある。昔読んだ東田直樹の飛び跳ねる思考で、きれいなのだがなぜかじっと見つめる事ができないということが書かれていたが、もしかしたらそれに近い感覚なのかもしれない。そうでもないかも知れない。

だから近くで見るより遠くから眺めるほうが好きだ。花火も同じで少し離れたところで、音が届くか届かないかの距離で見る花火が好きだ。もちろん、まつりの賑やかさは大好きなのだけれど、それの終わったあとのどっとくる疲れや、あの祭りの後のなんとも言えない寂しさが苦手で、なるべく感情の起伏が狭くあるよう、したい心理が働く。それでいてその後、もっとしっかり遊べばよかった、見ればよかったとなるのも毎回なのだが。なんとも。

1つのイベントが終わるたび絡む北風のような冷たい空気。慣れようにもなれないそれは必ず嬉しいことの後にやってくる。ならはじめから得ようとしなければ、なんて考えるのは、きっと誰しも通る道なのだろう。そしてその解決策は自らが導かなければならないのだ。だから僕は目を閉じて縁側に座り遠い花火を見ては小さなグラスに注いだビールをちびちび飲む。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?