酔いどれ!スターリンク衛星的読書思考
群馬旅行記は2日目〈朝〉で止まっているが、今日はだらだら雑記で余白を埋め尽くしたい気分なのでそうさせて頂く。恰も続編を待望している人多数前提に話をしているが、ま、そこが鹿田を夏バカとしからしむる処であり、よって今日もそんな気分で久々に文章エゴイストを発揮させ、発散する次第である。
てな訳で鹿田です!よろしく!
盆を過ぎようが真夏を体現する季節に鹿田は大変機嫌よく、とはいいつつもその通りの天気であるので未だ虫撮りには及び腰で、やはり文明の利器様々とエアコンの恩恵に肖る日々である。
なに歳時記とて夏の季語なりと”エアコン”は立派に明記されている訳で、つまりエアコンにあたるということは、夏の風物詩を体感するに等しい。
よって鹿田は例え外界から閉ざした部屋の中でも、濃厚な夏を日々、過ごしているという理屈になる。
ま、そんな感じにぐでぐでと怠惰に過ごす平常的鹿田の夏であるので、ごろごろしつつ時折屁もかます。よって理屈は屁理屈に成り下がるがもはや鹿田はそんな屁理屈も理屈も関係ないのである!
そしてそんな清々とした青空みたいな心境こそが、夏の体現であるまいか!
あっぱれ鹿田もそこまで至ったかふむふむと、もはや一人芝居の舞台にあって観客はみな里芋に等しい。(なぜじゃがいもではなく里芋なのかは最早言わずもがな)
では里芋の皆さん、酔っぱらい鹿田のnoteに迷い込んだが最後、帰る頃にはあなたにも夏バカの片鱗が覚醒することでしょう、めでたしめでたし。夏バカこそ至高であり最終地点である。子どもに戻って感性を再び磨くのだ、ツァラトゥストラもそう言ってたではないか!みなまっくろけっけになって、その上でどろだらけになってはしゃぐがよい、桐生八木節を夜な夜な踊りとおすがよい!そんな世界、最高だろ!『終わりなき祭りの世界』こそがまた、至高の夢の果てである。
とは言いつつ理想と現実は悲しくも夏にも存在し、結果大人しく屋内で過ごす日々があり、否応なく読書量の増える今年の夏である。ここ最近はまたミステリにはまり、流行りどころやこのミスで選出された作品、評価の高い作品などを読み漁っていた。
過去から遡り時系列に並べるならば
秋吉理香子『聖母』(本格!)→東野圭吾『ある閉ざされた雪の山荘で』(そこにいたのか)→筒井康隆『ロートレック荘事件』(え、だれ?)→くわがきあゆ『レモンと殺人鬼』(何最後のハードボイルドな爽快感)→東野圭吾『仮面山荘殺人事件』(さすがに面食らった)→夕木春央『方舟』(読書で閉所恐怖症を発症しそう、最後怖い、怖すぎる)
である。
それから現在読書中なのが『黒牢城』である。読書中というかそもそも読み始めたのはロートレックの前辺りからだったのだが、ハードカバーで大きいということや、取っ掛かりがうまく入り込めなかったりがあって、間延びしてしまった。今一つ目の事件で、矢は何処から打たれ何処に消えたのか?あたりで積んでいる。
最近は見て分かる通りミステリにハマっていて、ついついミステリ愛好家のYouTuberの動画なども拝見して、読みたい本が多く貯まる一方である。面白いと名高い伊坂幸太郎のマリアビートルが今日届いていた。
そもそも僕は雑食であった。なのに何故現在こんなにも読書傾向が偏っているのか。語れば単純であるがその傾向は面白く、またそんなもんで左右されてしまうのだと危うさにも気づく。
という訳で、答えは単純、本屋へ行かなくなって、ネット注文が主流になったからである。
去年までの僕は週に1度は仕事の合間に数時間空くことがあり、(主にそれが水曜日の午後だったのだ)その時間抜けては本屋で過ごし、次の仕事までに何冊か買って次の仕事へいく、ということをしていた。
もちろん本屋へ行くのは決まった欲しい本がある場合もあるが、日課なのでなんとなくことも多い。それで決まりのコースで新刊→文庫→特設など2時間位じっくり本屋内を2周も3周もして本を選ぶ。もちろんジャケ買いもある。本を触ってペラペラめくっていいなと思ったら買うし、ぶらぶら背表紙やそれをみながら歩いて、いいなと思ったら立ち止まるので、自然とジャンルは広範囲に渡る。
しかしネットだと、別に色々探してもそんなに楽しくないし、試し読み機能もあるが、僕はそれを使った試しがない。必要な専門書とかならあるけれど。
そんな訳で、どうしても本屋とネットでは購入の仕方の傾向がかわる。
ま、本好きの人にとってみれば、何を今更当たり前のこと言ってんだと思われるかもしれないが、知らず知らずのうちにその違いが自身の足元に積まれる知識や価値観に影響する、と思案すると、僕はやっぱりなんだか蟠りを感じて立ち止まってしまう。
そういう時期だったからそういう傾向の本を読んでいたなぁって、もしかしたら未来で振り返ってもそのくらいのもんかもしれないけどね。でも僕みたいに雑多に本を読んできた身としては、やはり危うい。
本屋にいかないとナツイチとか、カドフェスとか、夏の100冊とか、わくわくするやつにも出会えないもんね。そうだ、それがいちばん寂しいかもしれない。今年はあの壮観な特設コーナーを目にすることが出来なかった。こどものころからあるものだから、やはりあれも立派な風物詩で、子どもの頃の夏を想起させてくれる僕にとっては貴重な機会でもある。
とはいえ漫画は一度Kindleになれてしまうともう本には戻れないなあ。
とま、いつものごとく答えにはたどり着かないので、ビールをもう一本持ってきて気分と話題の転換を謀る。
カプス、乾杯!
のどごしZERO2本目だ。
僕はいつも記事を書く時、家で書く場合は常に右手に新明解の類語辞典を出しておく。いつ購入したか忘れたが1年以上は経過したのではなかろうか。
その時確か五劫の擦り切れ如く、いつか自分に馴染んだ辞書になったときのことを考えると嬉しくなる、みたいな話をしたと思うが、まサボることも多い鹿田のnoteなので一年で数十回くらいしかまだ使っていないが、いい感じに小口が汚れてきている。
大体はこんなふうにビールを飲みながら執筆を楽しむので、その時の缶の水滴がついたまま触ったせいだろう。ただただ自分の使い方の粗さが原因だが、それでも嬉しいのだ。カバーの角が少し折れていたり、索引のところだけ汗ですこし浮いているところも押せる。
もっと鹿田に馴染んでくれよ、新明解類語辞典ちゃん!
読んで使って擦り切れるほど使って、いつか引かなくとも星の数ほどある言葉の中から、最適な言語を扱える様になったら嬉しいぜ。
ところでみなさん、スターリンク衛生とはご存知だろうか(ここにつなぐために”星の数ほどある”などという言葉を使ったのは内緒だ)僕はその言葉と存在を今日始めて衝撃を受けた。
スターリンク衛生とは、その名の通り連なる星のような、そう、まるで銀河鉄道のような衛生なのである。さあ、知らなくて興味を持った方はすぐYouTubeにでもとんで見てきて下さい、そしてこの感動を分かち合おうではないか!
僕はこれをYouTubeで見た瞬間、生でみたい!と思った。
夏といえば『銀河鉄道の夜』である。僕は銀河鉄道の夜好きが高じて『銀河と四季の道標』なる詩のブログを一時期更新していた。(実際は現在も稼働しているのだが、現在は鹿田のつぶやきの集計機関となり果てた)
夏の空を見つめて膨らます銀河鉄道の世界が無性に恋しく、デネブベガアルタイルを天の川の周辺に探しながら想像したものだ。幸いにも我が住処はど田舎で、目を凝らせばある程度の等数の星ならば肉眼で見ることができる。
(けれど肉眼で満足している人は、残念ながら本当の夜空を知らない。いちど望遠鏡か天体用の双眼鏡を買って見上げるがいい、星の多さに度肝を抜かれるはずだ、想像以上の月の鮮明さに驚くはずだ、或いは慄くはずだ。…僕は安心した)
みんな考えて見てくれよ、この星の数ほどある星を。このどれにも届かないけれど、届かないから美しい理由もあるんだ。僕たちは知らなくていいこともあることを知っている。誰かがきっと透明で確かなベールで世界を包んでいる。
みんな考えてみてくれよ、この星の数ほどある本を、物語を。すべて手を伸ばせば届くけれど、読まずに終わる本のほうが圧倒的多く、それと比較するならば今まで出会った本は奇跡の巡りに等しい。それが僕たちを少なからず形成するが、そんなもの天の川の星屑のかけらほどの知識なのだ。
僕たちは、そんなものの中から時に一生をかけて愛着するほどの本に巡り合ってしまう。
みんな考えてみてくれよ、鹿田が今どれだけ酔っ払っているかを。
てなことで
では、また。