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山籠り

神様は存在しているのだろうか。本当に存在しているのならば、早起きしてしっかりと朝ごはんを食べるという小さな習慣すら怠慢で続けることができないこの僕も、毎日のように拝むだろう。

「あなたは神様を信じますか。」などと昼下がりから道端で暇そうな人間を見つけては勧誘をしている奇妙な団体なんかに頼る必要もない。もしこういった団員に声をかけられてしまったら、「どうかこれ以上僕に話しかけないでださい。」という風に神様にお願いするだろう。

それとか、さすがに神様も一度くらいは
「今日はこの子に大サービスする日にしよう」
とか、「こいつはたしかに頑張っているけれど、報酬はもうちょっと先延ばしにしてみるか。」とかさじ加減で判断を下すなんてこともあるだろう。

あるいは、「この3人の候補の中から誰に宝くじの3億円を与えるか。」といった議題で複数の神様が終日会議を行っている。残ったデスクでは、「この子は朝からお年寄りに席を譲ってあげた!!自分も残業で疲れているだろうに!思いやりポイント5点追加だな。」とか、日々の事務作業を行っているのかもしれない。

九月の半ばの富士山は、シーズンの終わりではあったが、例年外国人の観光客やらツアー団体やらで大盛況している時期だった。それは新年の初もうでや、その日の午後に向かうショッピングモールで待ち受けているユニクロの大行列のレジよりひどい。(幼い頃、母がヒートテックを1枚買うのにどれだけ待ったことだろうか。)

ご来光を見るためには朝の4時くらいには起きてないといけないし、そこから寝ぼけている身体と闘いながら二時間半弱暗闇を登っていく必要がある。ノンストップで駆け上がることができたらいいのだが、標高3000mを超えた風よけもないようなところで、ネズミ達が支配している王国で毎日のように見られるような果てしない渋滞に巻き込まれる必要がある。最近では富士山の混雑とゴミの増加なんかも問題になっている。

「ニホンジンハトテモナラブコトスキネ」

と地元近くにあるインドカレー屋のネパール人に言われたばかりだが、先週の台風の影響と、二次災害による倒木のせいでほとんどのツアーが中止となった。多くの登山者は、吉田ルートや富士宮ルートといった標高2300mくらいのところまでバスで登って、そこから登山をするわけだが、道が塞がっていれば断念するしかないだろう。

僕はというと、御殿場ルートという道から登ってきたわけで、標高1400mくらいの緩やかかつ比較的マイナーな道を歩いてきた。長年多くのクライマーによって踏み固められてきた登山道は、初心者の僕でも幾分か歩きやすい。こんなにもストックが体への負担を軽減してくれる事は知らなかった。

順調過ぎるくらいのペースで、7合目の山小屋に到着した。小屋の中もシーズン中とは信じ難いほどの人気(ひとけ)の無さで、椅子にぽつぽつと腰掛けている人が数名いた。聞こえるのは台風明けのごうごうという風が屋根を吹き付ける音だけだ。どうやらこの宿に中国の団体客が貸し切りで予約をしていたらしいので、受付の際に好きな布団を利用していいと言われた。

豚汁や味噌田楽、アンパンなど山小屋らしいメニューが並ぶ中1、杯800円という破格のインスタントカレーを、一度は躊躇しながら注文した。歯磨きした後のCCレモンとか、子供の時に登ってはいけないと言われたビワの木に登った時のことを思い出した。10分ほどで提供されたそのカレーを、少しの罪悪感とふつふつと湧き出す高揚感が入り交ざった気持ちと一緒に口に運んだ。

「今まで食べたカレーの中で一番おいしいです。」

気づいたらバラエティー番組で安いタレントが一番よく使いそうなセリフを言っていた。

「やっぱり日本1の山だからですかね。」

と無理にフォローしてみた。いや、おいしいのは本当だから嘘はついていないはずだ、多分。

「ここでカレーを食べた人は皆そう言うよ。なんでもかんでも1をつければいいってもんじゃあないだろうにね。」

会話中2回も使ってしまった僕は、50半ばくらいの、きっとこの霊峰に精通しているおじさんに何も言うことができなかった。それ以降、あっついなあと苦し紛れに小声でつぶやきながらカレーを食べた。本当に熱いんだぞと、カマキリが両手を上げて威嚇するように、僕はあつあつのぜんざいまで追加で頼んだ。二度とカレーとぜんざいを一緒に食べることはないだろう。注文した時のおじさんの顔は見ていない。食べ終わってから、そっとぜんざい分の300円をテーブルに置いた。

寝床へ行くと、最初は二人分くらいのスペースを使って広々と豪遊した気分を味わっていたが、寝るときのスペースは変わらないからと、結局壁側の寝袋で仮眠をとった。空気が薄いからか眠りも浅く、すっきりと目覚めた後、荷物を45Lのザックにぐいぐいと押し込み、山小屋を出た。去り際に、

「生きた顔ができるじゃねえか、兄ちゃん」

と言われた。僕がカレーを食べる姿、あるいはおしるこを啜る姿はそんなにも精気がなかっただろうか。きっとこの数年で最も人間らしかったはずだ。 

暗闇の中ヘッドライトをつけて歩き始める。まだ九月とはいえ、標高は3000mを超えているので真冬と同じくらいの体感温度だった。黒いマウンテンパーカーの内側にはフリースを着込んでいるので、寒くはなかったが、吹き付ける風が前に進もうとする体力と気持ちを阻もうとする。

下界はぽつぽつと街頭やビル明かりがついていた。地球に神様が住んでいるのであれば、毎日この景色を見てみるのだろうか。毎日はさすがに飽きるだろうから、渋谷のスクランブル交差点で人の流れを見て楽しんでいるのかもしれない。

この景色を見ながらプロポーズするという登山愛好家にとっては迷惑な儀式が流行っているとインターネットで記事を見かけた。無論、こんな登山の途中で告白されても足元のごつごつした岩のように突っぱねられるのでご注意を。険しくなる坂道を黙々と歩いた。

僕は幼少の頃から物静かな少年だった。喘息のせいで激しい運動ができなかったこともあり、学校での休み時間も絵を書いたり本を読んだりしていた。生き物や宇宙のことが載っている図鑑を眺めることが好きで、「この生物はどこから来たのだろう、宇宙って誰が作ったんだろう。」と考えを膨らましては楽しんでいた。

校庭に出てサッカーやドッヂボールで遊んでいるような周りの子供たちは僕のことを変な奴だと話していた。その時つけられたあだ名は「霧ヶ峰」。机から全く移動しなかったことが山みたいだったことに、キャッチーな電化製品のコマーシャルが当時流れていたことと結び付けられてそうなった。

学校という子供が1日の大半を過ごす世界では、体力があり運動神経がよくて、足が速い生徒が皆から尊敬の的となる。どうしてそんなもので人間的順位まで格付けされるのだろうか。どうして声が大きくて論も証拠もない、デタラメばかりのお調子者に皆は従うのだろうか。神様がもしいるのだとしたら、なんて無慈悲な存在なのだろうか。僕が読んだどの図鑑にもそんな神様は載っていなかった。

中学校になると僕はいじめを受けた。最初はクラスで目立つ不良グループの数人が僕の読んでいた図鑑に女性の性器をサインペンで書いた。その後から次第に悪ふざけはエスカレートしていった。教室に着くと机がなかったり、水泳が終わった後僕の着替えが隠されていて僕は海パンで職員室の扉をノックしたり、カバンの紐がカッターで切られていて、ラグビー選手のようにそれを抱えて家まで帰ったりした。

ほとんどの生徒が、特に深い理由もなく、皆がやっているからという理由でやっていたのだろう。深い意味なんてない思春期の彼らの行動は、僕を深い山へと籠らせることになった。いじめられるのが怖かったというよりも、こんなバカげた世界で過ごすのが面倒だと感じた。最初の頃は親が毎朝学校まで僕を引きづって連れて行ったが、その度に僕が学校を出て行ってしまうので、次第に何も言わなくなった。

何年間も部屋で意味のない時間を過ごすだけだったが、ふとインターネットで全国の自殺スポットを検索してみた。そこに出てきた富士の樹海を見たとき、ここで僕は死んでしまおうと思った。家からほとんど出ない生活で(出ても近所のコンビニとインドカレーやくらい)髪はぼうぼうに伸びていた。一方で身体は身長がぐっと伸びて一気に大人の体へと進化を遂げていた。無精ひげも生えていたので、未成年にはどう見ても見えなかった。中学の頃に着ていた服が入らなくなった時、膨らんだハリセンボンを思い出した。

親には理由も言わず、富士山に登りたいと言った時、2個上の兄を含めた三人はボロボロと泣いていた。僕が自分自分の口から要望をしたのは、

「もう学校に行きたくない。」

と言ったのが最後だと思う。神様がこんなに大きな涙を流したならば大洪水が起こるだろう。安価ではないはずの登山用具を一式揃えて貰った時は、こんな息子になってしまってごめんなさいと心からいたたまれない気持ちになった。

富士五合目に着いたときには、そのまま樹海に入り、首を吊って死んでしまおうと思っていた。湿った土の臭いが肺の中まで入りこんでくる。周りの数名が先に出発したことを確認してから樹海に向かって進み始めようと思ったその時、両親が買ってくれたぴかぴかのトレッキングシューズのつま先が光った。そして、

「どうせ死ぬんだから、富士山の頂上まで行ってから死ぬことにしよう」

と思った。僕が神様だったら、この考えをした瞬間に人生をやり直すスイッチをひげを生やした男に与えるだろう。 

少しずつ休憩しながら歩き続け、6時前までには頂上を表す鳥居の前に着いた。運動もしていなかった僕をここまで連れてきたのは神様のおかげだろうか。そこから日の出が見える手ごろなスポットを探すために歩き始める。平坦な道は風を遮るものがなにも無いので、マウンテンパーカーのフードをニット帽の上にかぶる。程よく座れそうな場所でザックを下すと、一気に疲労が押し寄せてきた。運動バカだった中学生の彼らもこんな仕打ちを受けていたのかと少し同情する。 

冷える指をカイロで温めていると、その瞬間が訪れた。どこまでも続いているように見える雲海のさらに奥から、一線の光が沸き上がってきた。次第にその光が大きくなるにつれて、オレンジ色の光線が全身をうっすらと突き刺す。半熟卵の黄身のようなこの世の景色とは思えない情景なのか、冷たい冷気なのかわからないまま僕は全身に鳥肌を立てていた。風が強く吹いている。

この世界がどんな神様が世界を支配していようがいまいが、今この瞬間は僕には関係ない。神様から見放されてしまっていたとしても、1ポイントも分けてくれないスパルタの神様が僕の担当だったとしても、今日くらいは、どうかこんな気持ちになってもいいのではないか。太陽が煌々と照らす日本で1番高い場所で、僕はネックウォーマーを目尻のところまで上げた。その内側は湿ったかと思うと、痛いほどの風が現実の乾ききった世界に僕を連れ戻そうとした。

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