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ゆめタウン高松青春狂想曲

―「原点を大切にしよう」というのが僕の持論なのですが(参考:『母親のカレーは原点になるものです』)、そういえば原点って別に1つに限ったものじゃないよね。っていうお話です。自分のなかの「最高」と思える一面それぞれに、原点があるのだと思います。

おそらく香川県に住んでいたら、一度は行ったことがあるんじゃないでしょうか。ショッピングモール・ゆめタウン高松。昔ここにあったCDショップで、二十歳前後の2年ほどバイトをしていました。

「今日はなんのCD買うんや?」

と、21時の締めの時間になると必ず聞いてくるヘヴィメタとジュンスカマニアの店長。元ヤンで、ザ・ハイロウズの香川後援隊長のようなことをしていた先輩。などなど。店長は毎日とは言わないまでも、2〜3日1枚はヘヴィメタのCDを買っていました。「これ気になっとったんやあ」と言いながら、自分で仕入れたマニアックなCDを自分で買うという。

一緒に働いた期間は短かったですが、少し年上で、ギタリストになるべく上京した先輩もいました。

いま考えると目ん玉が飛び出るほど、社員さんの給料は低かったと聞いています。実はこのチェーンはもうなくなってしまったのですが、地方のCDショップで働く人というのは、給料が低くても音楽とともにありたいような、ひと癖もふた癖もあるマニアばかりです。

ここは確か父親のツテで入ったと記憶していますが、そんな濃ゆい人たちばかりだったので、僕もそれまで以上に音楽が好きになりました。洋楽が好きになったのは、間違いなく先輩たちのおかげですね。

当時はまだ、音楽の情報はネットではなく、専門誌を読んだり新譜をジャケ書いしたりしかなかったと思います。アークティック・モンキーズというイギリスの人気ロックバンドが出たときは衝撃でした。「自分と同世代のヤツらがこんなスゲえ音楽を鳴らしてる!!」と。

自分が聞いたCDや、サンプルを聞かせてもらった作品はPOPを書かせてもらうようになりました。新譜はテキスト情報があったのでそれをもとに書くのですが、POPを書いているうちに気になって欲しくなるという悪(?)循環も…笑。いつの間にか、お店の外に貼り出すポスターも作らせてもらうようになりました。ポスカを使って、キュキュッと。

やることがなくて始めたバイト。濃ゆいメンツたちに刺激されて音楽が好きになり、「音楽の良さを人に伝える仕事がしたい」と思うようになって、その後編集者になるべく地元を出て行くことになりました。

その後、音楽ライターになることはできなかったけれど(それでも近いことまではできました)、POPから始まってスタートした書く仕事が、途中途切れながらも、今まだ続いています。間違いなくこのCDショップでの日々は、自分の原点なのです。

過去のどんな「点」が、のちのどんな「点」とつながるかは分からないものですね。僕の場合は、いったん途切れたものや忘れてしまっていたことが、あとになってつながるということが多いような気がします。

点と点を線にして、自分のなかの「最高」に仕立てていく作業は、一生続くのかもしれません。「今日はなんのCD買うんや?」と呪文のように聞かされていた言葉が、十数年経って、自分の原点に思えるとはねえ。。(笑)

店長はいま、琴平の有名ホテルで働いているそうです。そういえば香川にUターンしてきてから会っていなかったので、そのうち行ってみようかな。まだ自分が忘れてしまっている「点」が、その口から語られるかもしれない。


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