どれだけ自分を使い切れてる?
ぜんっぜん覚えていなかった…!
ブログのネタ探しをしていた昨夜。去年参加した、オンラインスクールのコンテンツを見返していたら、改めてタメになる内容ばかりで。
単に忘却の彼方へ追いやられていたり、当時は理解できなかったことが今なら理解できたり。金脈を掘り返したような気分だったのです。
たとえば、久々に読み返してみた本に「とてもいいことが書いてあった」ということはありませんか? これもまた、僕はよくあるのですけれど。
ハウツーを取っ替え引っ替え探すよりも、すでに持っているもののなかに、生かせるものは数多く眠っています。わざわざ残しているものなのだから、意味や動機があったはず。
ひっくるめていうと、経験は金脈なのです。
所有しているものや情報も金脈だし、過去に培ってきたことも金脈。たとえ今は眠っていたとしても、お金や時間を投資してきたものです。少し磨けばまた光るかもしれない。
自分では何とも思っていないことが、他人から見たら、うらやむほどの経験だったということもあります。他人から気づかせていただける機会があることほど、幸せなことはありません。自分のことほど自分では分からないものだから。
使い切れていないリソースが、人間にはいったいどれほどあるのだろう?
生きてきた年齢のうち、果たしてどれだけの自分を使い切れているのだろう?
あるクライアントさんがよく使っている言葉に、「経理を歴史にしてはいけない」というものがあります。作業のための月次決算では意味がない。経理を経営に生かすしくみ作りこそが大事だ、と。
僕たちは自分にかけてきたお金や時間を、どれだけ歴史にしてしまっているでしょう? それも、記録すら残らない名もなき歴史に。
「事業のアイデアがない」「起業したいけれどアイデアがない」という悩みもよく見かけます。そのようなとき外側に答えを求めがちですが、案外自分(自社)のなかに金脈が眠っているかもしれません。
自分を使い切れていないということは、それだけ自分を見つめられていないという証拠ですよね。と、書いてみて僕自身も苦笑いをしているのですが、昨夜の出来事しかり、本当によくあることなので…。
ラベルなし、フォルダー分けすらされていない歴史が、毎月毎月ゴミ屋敷のごとく溜まってしまっているということです。たとえパソコンのデータ分類はきれいでも、それらを使いこなせているかというと、別の話。
経験を月次決算して、書庫のように取り出せるしくみが必要なのかもしれません。マインドマップにまとめる習慣でも作ろうかな。
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