人は承認が9割。良くも悪くも記憶に残るという話
さぁ、今日はどんな価値を創ろうか。
こんにちは、大鹿です。
noteを開いてくださって感謝です。
今日は「承認」について書いていきたいと思います。
承認なんて小難しい言葉を使うと分かりにくいかもしれない。お互いの信頼関係を築くためのアクション、くらいに考えていただけるといいかな。
何かお願い事をするときも、
目標に向かって誰かと一緒に行動するときも、
営業をするときも、
ファーストステップには信頼が必要。私に言われるまでもないと思いますが。
承認は2種類あると言われます。
存在に対する承認が、相手との関係性が慣れっこになると案外、気恥ずかしくなってできないもの(汗)。でも、人間関係を育むうえでとても大切なことですね。
無意識でやっている人も、意識的にできている人も両方いると思います。
私もビジネスコーチングを学んで改めて理解しました。無意識をしっかり意識に変えてみると、やはり人間関係が気持ちのいいものになったと感じます。
挨拶をされたり名前を呼ばれたらやっぱりうれしいですもんね。
挨拶について強く思い出したことがあります。教訓的な記憶ですけれど。
社会人になったばかりの頃。
東京という大都会に出てきて右も左も分からない。勤めていた会社では毎日が緊張の連続でした。
全員が自分より立場が上なわけだから、漏らさず欠かさず挨拶をしたほうがいいんだろうな。と思って「おはようございます」「お疲れ様です」という言葉を会社の人とすれ違うたびにしていました。
我ながらフレッシュというか、よくできていたな、と思います(笑)。
たいていの人は笑顔で挨拶を返してくれるんです。私も存在を認められた気がして心が軽やかになったのを覚えています。
たった一人を除いては・・・
まさか、目も合わせないヤツがいたんです。当時で確か、私より15くらい上。今の私と同じくらい。役職で言うと当時の私の上司と同じ。
そんな人の上に立つ人間が、会社に入ったばかりの新人が頑張って挨拶をしているのに目も合わせない。当然挨拶も返さない、とくれば胸くそが悪くなります。
「んだ、コイツは」
そのときの感情は今でも強烈に覚えています。
どうやら仕事はデキるらしい。(まぁ「仕事がデキる」の定義もどこまでを指すかによりますが)
私も嫌味みたいにすれ違うたびに挨拶をしたのですが、ひと言も返さないんですね。やっぱり目も合わせない。孤高を気取っている感じ。鈍感とかそんな次元じゃない。
その後、一緒に案件をしたこともわずかにあったけれど何を話したか覚えていません。たぶん、報連相を除いて向こうから声をかけてくれたことはなかったんじゃないかなぁ。
どう思います? こういう人。
職務能力はあるかもしれませんが、最初の挨拶事件をずっと覚えていたので私はいっさい認めませんでした。
自分がされた仕打ちを絶対に他人にはしないぞ!と誓い、かえってしっかり挨拶をするようになったくらいです。
そういう意味ではまァ、良かったけれど。
ひと言、挨拶を返さないだけでこれほど根に持つ人間がいるわけです。特に、当時の私のように人生の節目を迎えていた人間ほど。
あなたは同じような経験、ありませんか?
あればぜひ共有したい。
承認の有無はそれくらい強烈な印象を残し、その後の人間関係を左右します。人は第一印象が9割、なんて言われますが承認も9割くらい重要だと思う。
ちょっと胸くそ悪いエピソードだったので切り替えます(苦笑)。
最初にチラッと例示しましたが、「過去の話を覚えていて持ち出す」。これは効果絶大ですね!
人間関係づくりが上手な人ほど欠かさずやっている。SNSでのある種“ゆるい”コミュニケーションでも通用します。
こういった1つひとつの当たり前の積み重ねが良質な人間関係を育み、ビジネスを発展させる基礎になっていくのだと思います。
行動の承認と存在の承認。
繰り返しますが無意識では大半の人ができているはずです。しかし無意識であるうちは、好みや偏見で承認度合いに強弱が生じることがあります。
ビジネスを一種のゲームのように割り切り、「意識で承認」をしていくと成果に大きく影響する思います。できていなかったことができるようになるわけですから。
承認とは、天性や感覚ではなく理論で実行できる立派なビジネススキルです。
今日はこの辺で筆を止めておきます。
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