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当たり前が武器になる。

自分の当たり前は他人にとっての当たり前ではない、といわれます。

多くの文脈では「だから他人の目線に立って物事を考えろ」「共通言語を持て」という話になるのですが、“自分でも気づいていない自分の良い面”に気づく、きっかけにもなる言葉だと思います。

少し前にホームページ制作の仕事で取材をさせていただいた、街の自動車板金工場のお話です。

そこは2〜3年前に工場を建て替えたばかり。少ない社員数ながら毎日清掃に精を出されていて、幹線道路からは常にきれいな工場の姿が見えます。

工場の外観だけでなく、内側も整理整頓が行き届き、清潔さがキープされています。

一方、ソフトの面でいうと、社員数が少ないからこそ毎朝ミーティングをされ、誰もがオーダーの入っている車の状態を把握している。問い合わせがあれば、誰が受話器を取ってもひと通り応対できる。

それとお話を聞いていて好感を持てたのが、次のようなことです。

「早く・安く直したいがために損傷箇所だけの部分修理を求めるお客様がいるが、車は精密機械だから、小さな損傷が車全体にダメージを与えることが往々にしてある。だから部分修理のデメリットもきちんとお伝えするようにしている」

正直で、「とりあえず治っていればいい」という姿勢よりよほど誠意を感じませんか?

取材にあたって自動車オーナーが板金工場に対し抱くことを調べると、

・清潔感がある工場なのか?
・車に詳しくなくても分かりやすく説明してもらえるのか?
・どれくらいの時間で修理が完了するのか?
・どれくらい綺麗さをキープできるのか?
・代車を借りられるのか?

といったことを気にしていることが分かりました。まあ、自分が板金工場に修理を依頼する場合でも、気になることだと思います。

一方で一般的な自動車板金工場のホームページが、ユーザーにはよく分からない修理技術の説明や設備の情報で埋め尽くされています。工場の写真はスマートフォンで雑に撮ったであろうもの。しかも、清潔感がない。

これから大事な車を直してもらうのに、清潔感がある工場とない工場では、どちらを選ぶか? ユーザーが気にする「当たり前」を当たり前に伝えている方と伝えていない方、どちらを選ぶか?

真摯に真面目に仕事をしている姿勢を見せるのと見せないのとでは、どっちが良いか?

「あなたの会社の当たり前を、ありのまま表現した方がいいのではないでしょうか?」

そう、クライアント様にお伝えすると、「うちの強みってそういうところだったのか」と気づきを得られたようでした。

当たり前にある良さは、自分では気づけないものですよね。

特に「優しい」とか「分かりやすい」とか「寄り添ってくれる」といった抽象的なイメージほど、気づけない。表現もしづらい。

でも、人が求めているのはそういうことなんです。決して知識量や技術の妙だけではない。

これもよくいわれることですが、自分では分からないことは人に聞いてみるのが手っ取り早いと思います。他人のフィルターを通して見えるものが事実です。

自分の目で見える景色は、主観でしかないことが多いし。

ビジネス用語で『先制の戦略』などと呼ばれるのですが、当たり前のことも先にいったもの勝ちなんです。たとえ業界の誰もがやっていることでも、消費者にとって当たり前ではないことはいくらでもあります。

他人にとっての当たり前を丁寧につなぎ合わせていくことは、意味のある作業です。

自分の当たり前は、決して他人にとっての当たり前ではありません。まだまだ自分が知らない自分があるのだと思います。

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