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Apple Watchが牽引したAppleの書体“San Francisco”

Appleがロゴやシステムに使っている書体 “San Francisco”

Apple Watchのディスプレイに使われている書体はSan Francisco

意外に?Appleがシステムやロゴに使っている書体に注目されることはあまりないように思います。グラフィックデザインやユーザーインターフェースデザインに関わる人くらいじゃないでしょうか? 使っているのに気にしたことがない……としたら、それは書体デザイナーとしては、本望な結果かもしれません。なぜなら、多くの書体デザインの狙いは「違和感なく、気づかれないこと」だから。

さて、2022年現在、AppleがiPadの背面に“iPad”と表示したり、Apple Watchのディスプレイに使ったりしている書体は、San Franciscoという、Appleが独自に制作したものです。Appleは、この書体を2015年から遣い始めています。2015年は、初代Apple Watchがリリースされた年です。

San Francisco source: https://typographica.org/typeface-reviews/san-francisco/


Helveticaと似ている?

書体にちょっと詳しい方なら、このSan Franciscoという書体が、すごくHelveticaという書体に似いていることに気づくかもしれません。Helvetica(より正確に言うとHelvetica Neue)は、2013年からiOS7のシステムフォント(iPhoneに表示される書体)として導入された書体です。Helveticaという書体に関しては、こちらの記事でちょっと詳しく解説しました。

Helveticaは、1957年にデザインされた世界中で人気の書体です。iOSなどのAppleのプラットフォームの書体が、この書体からApple独自の書体、San FranciscoにApple Watchのリリースとともに変更されたわけですが、なぜ変更されたのでしょうか?

San Francisco vs Helvetica Neue. Image source

ごらんのようにSan FranciscoとHelveticaはすごーく似ています。大文字のG、R、Q、O、小文字のe、数字の1、7が比較的わかりやすく違います。


Apple WatchにとってのHelveticaの問題点

わたしたちは、気づかないままにApple Watchで、ものすごく小さな文字を読んでいます。https://www.wired.com/2015/06/apple-abandoned-worlds-beloved-typeface/

Helveticaは、1983年にHelvetica Neueに生まれ変わっています。Helveticaはもともとは活版印刷を前提とした書体でした。それをデジタル用に再デザインされたのがHelvetica Neueです。パソコンなどのモニタ上での読みやすさを向上し、高さと幅のセットが構造的に統一され、句読点が太くなり、数字の間隔が広くなっています。しかしHelveticaは、Apple Watchのディスプレイのようにここまで小さく使うことを前提として作られた書体ではありませんでした。Helvetica Neueでも小さくすると数字の3と8が似て見えてしまったり、多くの文字をみせるには、文字幅がちょっと広かったりして、不都合が目立ってきました。

小さくするとHelveticaは読みづらくなっていく source

こういったHelveticaの小さいディスプレイにおける欠点を補うようにしてデザインされたのがSan Franciscoです。

San Franciscoという書体の秘密

San Franciscoには、いくつかのバージョンが(太さの違いではない種類違い)あります。SFは、iOS、MacOS、Apple TVで使われており、Apple Watchでは、「SF Compact」という文字幅が狭いものが使われています。

上がSF。下がSF Compact。Source

最大の違いは、「SF Compact」は縦線がフラットなため、文字間に余白ができ、デジタル画面で、隣り合う文字がつながって見えにくくなり、読みやすくなっています。o、e、sのような丸い形状の文字で、この効果を実感していただけます。この辺は、HelveticaよりもDINという書体に近くなっています。

DIN Nextという書体 Source

またSan Franciscoという書体は、使う文字の大きさによって文字の太さが変わるようにできています。20 pt(ptは「ポイント」といって文字の大きさを示す単位)以上になるとDisplayという文字の太さになり、それ以下だとTextという種類の文字の太さになります(こういった切り替わりを「ダイナミック」と呼びます)。

文字の太さによってファミリーが切り替わる Source

ちなみにAppleは、WWDC 2015(WWDCとは、Appleが毎年開催しているWorldwide Developers ConferenceというタイトルのmacOSやiOSの開発者向けのイベント)から、ステージ後ろのディスプレイやスタッフのジャケットにSan Franciscoを使い始めています。


Apple Watchは名刺の住所よりずっと小さな文字を表示している

名刺のデザインにおいて可読性は重要で、年配の方でも見えるようにするためには、ある程度の大きさを確保する必要があります。しかしそんな名刺上での文字の大きさより、ずっと小さな文字をわたしたちはApple Watchで認識しています。これが、AppleがHelveticaからSan Franciscoに書体を変えた大きな理由でもあります。

まとめ

このようにユーザーとしては、さらさら知る由もない変化が、プロダクトのデザイン上で起こっていることがあります。パッケージや請求書などの紙の質、パッケージの形状、ウェブサイトで使う書体などなど。書体は、哲学や方向性の提示にとても便利なツールであり、サインですが、こういった知識がないブランドは、気づくことがないままに、ビッグブランドと大きな差をつけられてしまいます。

こういった差は、「香り」に近いものがあります。「香り」は目に見えず、そして誰も声に出さず、誰も教えてくれないのに、階層の差を明確にする恐ろしい要素です。誰も「あなた、ちょっと臭いよ」とは教えてくれない。常識でもないこの差は、ある階層では、暗黙裡に共有されています。怖い話です。この怖い話をばっちり映画にしたものがあります。それは韓国のポン・ジュノ監督の映画『パラサイト』です。

「え!?どこが?」という興味が湧いたなら、ぜひ一度、ご覧になってください。また観たけど、気づかなかった、という方は再度観てみるときっと気づくと思います。

香りとブランディングについては、こんな記事も書いています。


参照


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