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教員の質、対 障害児ならどう測る?※ちょっと公に言いにくいことを語ります【読書記録*「学力」の経済学】
『「学力」の経済学』
この本をご存知だろうか。
今日はKindle Unlimitedで読むことができたので、この本をレビューする。
3文で概要
教育の統計的な見方を通して、今の教育に必要な指導法や指導形態、教員のあり方について考察している。
いかに今までの日本の教育が曖昧であるかを思い知らされる。
教育の新たな見方を提案し、データを根拠にした教育改革の必要性を説いている本。
内容
人的資本への投資はとにかく子どもが小さいうちに行うべき(※人的資本…人間が持つ知識・技能の総称=しつけなどの人格形成・体力や健康への支出)
遺伝や家庭の資源など、子ども自身にどうしようもない問題を解決できるポテンシャルをもつのは「教員」
少子化による教員数増加<教員の質の向上に対する政策
教員の質の向上は、教育効果と経済効果あり。教員免許の有無による教員の質の差は小さいが、教員免許を持つ教員同士の質の差はかなり大きい。免許=教員の質を担保しているとは言い難い。
米国の事例が多い。日本は個人情報保護の観点から、詳しい調査ができない状況。
“特別支援教員”の質向上はどのようなものが考えられるか?
■ ポイント
この本の内容では、教員の質=子どもの成績
教員の参入障壁を低くするorなくす=免許制度の廃止
特別支援の場合は、成績をつけることはない。
成績をつけるならば、発達表のようなもので個人のできるようになったことの達成状況をチェックすることくらいだろうか。
そもそも、その障害の程度が個人で大きく異なるため、成績をつけること自体がナンセンスである。
私は、特別支援教員の質とは、一貫した指導ができるかにあると考えている。教員は、子どもの達成したい目標行動に対し、常に子どもの状態を把握していることが重要である。
指導力をデータ化するには、各指導項目に分けたもの(課題分析したもの)を達成できているか測る必要があると考えられる。
このように定義してデータ化された研究は数多いが、これを教育の現場でやろうとすると、校長の承認、保護者の承認、他教室の教員の理解…など困難な点が多く、研究校になっていないと実践は難しいのが現状である。
実際、研究校や大学での研究でも大変有益なデータが得られるのではあるが、本当に欲しいのは、地方の特別支援学校の状況やその子どもたちのデータである。
日本はこういうところが個人情報が…とケチをつけて研究をしないところやが、米国と違うところだったりするのではと感じるところもある。
本文で述べられていた「教員採用に関する免許制度をなくす」という考え方は、実際のデータにおいても有益であることが示され、日本でもこれに対する動きが高まってきているようである。
しかしながら、特別支援教育に関しては、特別支援免許の取得や障害者施設、療育現場での経験などが受験資格として必要であると考える。
さらに、その中でも専門があることが指導力につながると考えている(例えば、知的障害の応用行動分析です、とか肢体不自由の動作法です、とか)。
なぜなら、自分の根底になる障害者支援の考え方がしっかりしていた方が、指導の一貫性をもつという点では重要であると考えるからである。
私の周りでも、特別支援希望ではなかったが、採用試験受かったら特別支援学校/学級勤務でした!という人が多い。そして、そういう人の半分は特別支援がハマってのめり込むが、もう半分は、「きつい」「どうしていいか分からない」「普通校にいきたい」と言っている。
そして、後者は悩んだときに、特別支援の経験が長いだけで専門性のない先輩教員から情報を得るのである。これで良いのだろうか。
本物の専門性とは、何なのだろうか。
このループを断ち切るためにも、特別支援は特に、専門性を明らかにした受験資格にする必要があると考えている。
個人的な悪魔の声
” 教員免許を持つ教員同士の質の差はかなり大きい。免許を持つことが教員の質を担保しているとは言い難い。”
これは、現場で働いてみて本当に実感した。
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