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イヤミかチビ太か

ちょっといいのが書けたと思ったらこれは世には出してはいけない、と言われることがちょこちょこある。書いたのがバレると傷付く人がいるとか、あの人を敵に回すと厄介になことになるという理由らしい。

指摘を受けるとすごすごと作ったものを自分の懐へ差し戻す。色んなしがらみがあるから仕方ないけれど、作品として出来上がったのに読んでもらえないのは文章がかわいそうだと少し思う。暗闇に佇む、墓場まで持って行くようなものをまた拵えてしまった。

ゴシップが好きとか、誰かを傷付けたくて書いたことは一度もない。結果的にそうなってしまうことはあるかもしれない。

昔、おそ松くんで、売れない小説家か漫画家だったか忘れたが、に扮したイヤミかチビ太は大変貧しい暮らしをしていて、下宿先のおそ松一家にとても親切にしてもらうというアニメを見た。

イヤミかチビ太は一家の優しさに涙ぐみながら制作活動に精を出し、やがて世間に評価され一躍時の人となる。一家は彼の成功を家族のことのように喜んだ。
しかし彼の作品の中では事実とは全く異なる、おそ松一家の極悪非道のエピソードが語られていた。
それを知った一家はブチ切れ、イヤミかチビ太を集団リンチ。六つ子とその父母は激しい土埃を立てながら暴行を加え、気が済むと捨て台詞を吐いて立ち去った。
倒れたまま動けずにいる傷だらけのイヤミかチビ太は、恩を仇で返してはいけなかったと反省して物語は終わる。

自分は時々この話を思い出す。イヤミかチビ太が悪人に見えるだろう。しかし作家であるイヤミかチビ太が感謝する一方で、そんな作品を作り上げてしまうのは、恩義や善悪の問題ではなく、作品に呼ばれて書かずにはいられなかった、という作家の性についての話かもしれない。

そして不意に、まだ貧乏だった頃のその作家のヨレヨレに伸びた靴下が思い浮かんだ。「シェー」と言ったから、作家はつまりイヤミだったということになる。

と、ここまで書いてから少し調べたところ、「売れっ子小説家イヤミ大先生」(テレビアニメ第12話)のイヤミ大先生は一家だけでなく、懇意にしてくれた赤塚台の人々の悪口を書いてボコられたようだった。
ニコニコ動画で動画を見ようとしたところ、大規模なサイバー攻撃を受けていてサービスが止まっている、ということだった。誰かのXで原作の4ページがアップされていた。イヤミは優しくしてくれた人々を取り憑かれたように悪く書き、書いているうちに本人も悪人に成り果てた。文学がそうさせたと言うより金や権威に喰われて化け物になったんだろう。

私の場合は、事実とは全く逆の悪人を書き表すことはない。他人からいただいた恩がさほどない。悪人は悪人のまま。

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