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こだわりは宝であり、誰かの宝を批判してはいけない


(日曜日もあと半日で終わります。)


「乃が美」の食パンが食べたくて、日曜日なのにアラームを設定。11時の開店に合わせ一斤購入。

車中が生食パンのいい匂い。そのままかじり付き、今満腹です。


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人気のある物には理由がある。

それは「乃が美」だけではなく、洋服・家具・本・車。私たちが普段生活している道具、歩く道に存在するもの、手段、全てにそれぞれの職人の技が込められている。


職人とは職を極めた人。「これでいいや」という妥協ではなく、完璧に仕上げる人。そして受け取る私たちに本当の感動を与える人たちのことだと思う。

価格を考えるのか、こだわりをとるのか。それは人それぞれだ。経済的事情、環境の違いがあるから価値観が違うのは当たり前だ。だが、自分の中にいくつかのルールを作るべきだと思う。譲らない物ルール。



自分の譲れないものは何なのか。


私の場合は、ダイニングテーブルとチェア。家ではとにかく寛ぐことを重視している。家に合うことは大前提で、これから先も長く使えるものを探した。大量生産のコスパ重視、表面は綺麗だが裏面で力が抜けているものではなく、見えないところまで職人が目を光らせて作った意味のある物が良かった。

そしてそれに合うチェアをまた別で探し、色味やサイズ、フレームの太さ。気にいるものを時間をかけて見つけ購入したため、一般OLには少し厳しめの金額となった。


だが後悔は全くない。こんなにも綺麗なものに出会えた喜びとこれからも増え続ける愛着を嬉しく思っている。傷がついても愛おしく思っていける。そう思えるのは職人技があってでこそだ。



美しいもの、それは誰かの努力が必ず存在している。


野球選手を観て感動するのもきっと同じ理由。妥協がない、譲れない信念があの熱量となって私たちに見えるからだ。



だから私たちは、自分のこだわりを価格に翻弄され手放してはいけない。「好き」を手放してはいけない。こだわったものには、こだわった人たちの努力がたくさん詰まっている宝物だから。


そしてそれ以上に、人のこだわりを馬鹿にしてはいけない。自分にわからない価値観でも、相手には何よりも大切なことかもしれない。私のダイニングテーブルのこだわりは小馬鹿にされても十分に満足しているため何かを言われても別に構わない。だがそれは私の考え方であり、傷つく人、気にしてそのこだわりを捨ててしまう人もいる。



そうなってしまえば、宝物は宝物ではなく、「心のつっかえ」に変わってしまう。


価値観は違う。

その当たり前を忘れずに、自分のこだわりを人知れず、突き詰めればいい。









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