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日曜日のnote3月28日:初めての恋人の話


この日曜日のnoteでは、アセクシャルな私の悩み・経験・過程等、様々な支えと共に今、そしてこれからのことを記録していきます。同じ悩みを抱える人の目に偶然止まった時、どこか楽な気持ちになれますように、そして読んだことをすぐに忘れられるくらい優しい日常になりますように心を込めて。


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高校1年生の冬、始めて恋人が出来た。「連絡先教えて。」彼にそう言われ断る理由は一つもなく名前が登録された時「フルネーム、漢字でこう書くんだ」なんてことを思った。他校の野球部だった彼は少しだけやんちゃな雰囲気を漂わせながらも伸びかけの坊主、究極のタレ目で可愛らしい印象、何よりもいい匂いがしていた。


まずこの時点で一点。

連絡先を聞かれてもトキメキは微塵なく、淡々と交換した私は当時から恋愛レーダーが薄かった。漫画のような「男の子と連絡先交換しちゃった!キャー」或いは「私のこと好きなのかな、ドキドキ」みたいな高揚した感情は皆無で、その後「好きです付き合ってください」と言われた日、私は「好きがよく分からない」となんともまあ正直な返事をしたくらいだ。その時はまだ、恋愛未経験者だからその感情が分からないだけだと本気で思っていたのだけれど。


「じゃあ試しでいいから一緒にいてよ」その言葉で私達は形は恋人になった。一緒にいれば特別になるかもと思ったし、情みたいなものが湧いてきてそれが愛に変わると信じて疑わなかったのは、まだ16歳の子供だったから故なのかもしれない。とにかく幼過ぎて、ただ恋人という事実に浮遊感を感じていた。部活帰りにバスで私の実家の近くに来て、1時間だけ話をして帰っていく姿を見て私は「毎日来なくてもいいよ、大変でしょ」と言っても「全然大変じゃない」と彼は笑っていた。でも寂しそうで、その顔をさせてしまっているのが自分だと気がつき申し訳なく思っていた。

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「好きだよ」「可愛い」「また明日ね」

嬉しいはずの言葉を掛けられるたびに胸が切なくなる。時間を割いてくれてストレートに気持ちを伝えてくれる相手に私は同じ言葉をひとつも返せない。「それでもいい」とその言葉に身を委ねすぎて愛情を渡せないことに罪悪感だけが増える日々。手を繋いでもキスをしても心は動かず、その行為の意味が分からなかった。よく「好きだから〜したい」というフレーズを聞くが、どうして好きだとそうしたくなるのか私には今でも分からない。「抱きしめたい・愛おしい」と思う日にまだ出会えていない。

〜〜〜

「俺じゃダメだったか、付き合わせてごめんね、ありがとう」

最後の日、泣きそうな顔をしながら笑って私を抱きしめた彼は初めて会った時と同じ様にいい匂いがした。その匂いに包まれた時が、私は「普通とは違う」という確信を持った瞬間だった。こんなに優しい人を傷つけている自分に少なからず驚いた、でも彼と会えなくても寂しいと思う瞬間はなく、更には彼のことを思い焦がれる時間すらなかった。どうやら自分には感情が欠如している。恋愛話をして盛り上がる友人を羨ましいと思っていたし、恋人という存在に憧れていたのに。


自分はおかしい、普通になりたい、

恋愛って何?どの感情のこと?


そんな私に気がついていたはずなのに、私を一度も責めることがなかった彼。本来なら怒ってもいいことだ、だって彼だけが頑張っていた恋人関係は結果として彼を傷つけるだけで終わる関係にすぎなかったのだから。にも関わらず彼は「ありがとう」と私に言い、あの日から一度も会っていない。


〜〜〜


あれから10年が過ぎそれでも懲りずに愛情を求め続けてきた。その感情を理解したいと思い続けたし、もしかしたら変われるきっかけに出逢えるかもしれないという淡い希望を捨てることが出来ない私は、ウワベの「好き」を言えるくらい汚れて狡賢くなってしまったけれど、”特別”と認識出来たことはない。たくさんの人を騙してきた。その人のことを眠る前思い浮かべることもなければ、恋愛ソングと気持ちがリンクする経験もない。誰かのために生きるという感覚も知らないままだ。そうこうしているうちに、周囲が家庭を持ち始めて落ち込む日がたまにある。周囲にとって当たり前でなんてことない経験・日々・感情を味わえないことへの切なさ、そんな感じで今生きている。


年月が流れ彼の連絡先も手元になくなっていたけれど、友人の繋がりでInstagramのフォロー申請が届いた。「久しぶり。元気にしてる?」というその一文を見て、彼は相変わらず優しくて暖かくて、きっといい匂いのする素敵な男性のままなんだと思うと、心の底から「良かった」と何故か安堵した。


初めての恋人が彼で良かったと本当に思っている。彼は本当は私からの愛情を求めていたけれど、それが出来ない人間だということに薄々感づいていたと思う。それは経験不足とかそういう類のことではなく、肩を抱き合うことが出来ないことに対して「寂しさ」すらの感覚が薄い人間だということ、誰かのことを愛おしく思う機能が人よりも鈍いことを。それでも真っ直ぐ一生懸命に向き合ってくれた初めての人だった。16歳の時「おかしい」と責めることなくこんな私を丸ごと大切にしてくれていたのは伝わっていた。こっちの方が「ありがとう」なのだ。


私はあの頃と変わらずに今も自分のことがよく分からなくて苦しい時もあるけれども、幸い彼をはじめとし多くの人達がこんな私の存在を否定しないで大切にしてきてくれたから、なんとか普通の生活を送ることが出来ている。

あの短い期間、彼を幸せにしてあげることは出来なかったから、私の知っている制服姿ではない素敵な彼と穏やかそうな彼女との笑顔のツーショットに、幸せになって欲しいと強く思った。


初めての恋人へ

私と付き合ってくれてありがとう

あなたの幸せを願っています

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