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日曜日のnote:結婚を断ってしまった日

この日曜日のnoteでは、Aセクシャルな私の悩み・経験・過程等、様々な支えと共に今、そしてこれからのことを記録していきます。同じ悩みを抱える人の目に偶然止まった時、どこか楽な気持ちになれますように、そして読んだことをすぐに忘れられるくらい優しい日常になりますように心を込めて。



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20代前半。「記念日だから」と言い、恋人が旅行に誘ってくれてルグラン軽井沢ホテルへ宿泊した時の話。まだホテルがオープンして間も無くのタイミングだったことと、彼の善意の気持ちでスイートルームに泊まらせてもらった。物凄く立派な部屋で料理も美味しくて心が浮き足立って、旅行が大好きな私は幸せを噛み締めていた。


ただ案の定、記念日ということを私の方で全く認識がなく、「半年に一度のいつものお疲れ様二人旅行」という感覚だけを持ってパッキングをしていたくらい。だから「結婚してください」と広い部屋の真ん中、真剣な表情をして言われた時「ごめん、結婚出来ない」と言ってしまったのだ。本当にどうしようもなく馬鹿な私だ。


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あの時私の状況としては、会社に入社したばかりで毎日を今以上に必死に過ごしていた。人間関係を構築している最中且つ、業務研修ばかり。そして会社を出ればセクシャルの悩み。そんな日々の息抜きとしての旅行に来たはずなのに。そこでのプロポーズは「プ」の字すら頭にない言葉だった。そして、私が恋愛感情に希薄で「それでも良い」と言って付き合ってくれていた恋人からのプロポーズに動揺し、理解されていなかったと思ってしまったということが1番の結婚を断った理由だったのかもしれない。

Aセクシャルな私は人を特別に想う感情が薄い。それでもその特別の感情を知りたくて、Aセクシャルということを公言した上で了承をしてくれる人とのお付き合いを今までしてきた。その関係性がありがたかったし、理解されていると思い嬉しかった。

でも当然のことながら、その考え方は私の独りよがりで、恋人の気持ちを無下にしているということに気がついていなかったのだ。相手はそれでも私の事を少なからず特別に思ってくれているのに、もしかしたら期待をさせるような行動言動があったのかもしれない。「それでも良いよ」という言葉の裏側を知ろうともしてこなかったのだ。だから私は勝手に傷ついて、理解されていなかったとすら思ってしまった。


本当は、私が理解をしようとしてこなかっただけなのに。


私が恋人のプロポーズを断った瞬間、彼は寂しそうに笑って「うん。そう言われるってことは分かってたんだ」とだけ言った。彼はそれ以降結婚に関するワードを一言も言うことはなかった。ゼクシィのCMが流れるたびに二人の空気感は冷めていった。


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誰かに特別に思われても、私は同じ気持ちで返すことが出来ない。でも「良いよ」と言う言葉に甘えて酷く傷つけてしまったという事実は消えない。彼の時間もお金も感情も全てが擦り減り、私は彼に何かをしてあげられたのだろうか。

「こんな彼女でごめん」。何度も何度も謝って泣いてしまうような弱い私の手を、何度も何度も繋ぎ直してくれた彼に。


Aセクシャルだから、という理由で一般的「結婚出産」と言う幸せを手に出来ないことが怖かった。周囲の波に乗れなくなること、訳あり女として見做されること、最後に一人で死ぬことが怖くて怖くて、出来もしない恋愛にしがみついてきた。得たものは多い。優しい人たちに恵まれ愛情でなくても「大切」の感情を理解できるようになったけど失うものはそれ以上に多い。それは自分の中にある「何か」ではなくて相手の心の中にあるものばかりで、気がついた時にはもう遅いのだ。


一人でいたい訳じゃない、でも誰かを傷つけ悲しませてしまうのであれば、私は一人を選択する。あるか分からない運命にかけるよりも、目の前の人たちを大切にしたいと、今は深く思う。いや、本当はまだまだ踏ん切りがつけられない。胸のトキメキや嫉妬や、嬉し涙、愛情、憎しみ。そう言ったものを理解できる日が来るかもしれないという淡い期待を捨て切れないでいる。でも私が周囲のために出来ることはそれではないとは理解しているのだ、これでも。


わかってる、わかっているんだけどね、うまくいかない。

あれから何年が経っただろうか。変われない私は今もここにいる。


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