芸術家ではないけれど
小さい頃はよく本を読んでいた。
教育熱心な両親の元に育ち、テレビもゲームも周りの友人が読んでいたような漫画も禁止されていたから、好きで読んでいたというより唯一の娯楽と言ったほうが近いかもしれない。
地元の中学には進まず都心の中学を受験することが決まっていたため小学校高学年になると毎日勉強漬けだったが、「図書館に行って勉強する」ことを免罪符にし近所の図書館に駆け込んでは片っ端から本棚を漁ったものだ。
図書館は私にとっての隠れ家であり、本を読むことは勉強漬けの日常からの逃避行だった。
純粋に本が好きで読んでいた訳ではなかったけれど、本を読むことである程度文章力や語彙力はついていたらしく、文章を書いて大人から褒めらることもあった。
勉強が特別出来た訳ではなかったけれど、自分が書いた文章が「そこらの大人よりよく書けてるね」と褒められ作文が賞を取ったり地元の雑誌に載ることが嬉しくて鼻高々だったのを覚えている。
むしろ周囲に勉強が出来る子どもが多く、自分が特別に褒められることが文章くらいのものだったから、特に嬉しかった記憶として残っているのは当然かもしれない。
数少ない私の幼少期の成功体験である。
中学に進み高校大学と進学するにつれ文章を書く機会は少なくなった。
本を読む機会も少なくなった。
夏休みや授業の宿題の一環で読書感想文や作文を書くこともあったがそれも頻繁ではなかったし、部活動や目の前のテスト勉強に手一杯で本を読むことも無くなった。
本が好きというより勉強から一瞬逃げる手段として読書をしていたし、文章を書くことも大人から褒めらるためのものだったから離れていってしまったのは当然と言えば当然のことかもしれない。
もう充分大人になった今、また目の前の文字と格闘している。
打っては消し、また打っては消し、海岸に寄せては返す波のように同じところを行き来している。
こんなに書くことが難しかったっけ。
子どもは誰でも芸術家と言うが、大人になった今その言葉がよく分かるようになった気がする。
小さい私に「そこらの大人よりよく書けてるね」と言っていた大人は、もしかしたら今の私のような気持ちだったのかもしれない。
ああ子どもが羨ましい。
それでも書くことは好きだと最近気が付いた。
大人になった今、誰に褒められなくとも小さい頃の自分のようにいかなくとも、自分の心の中を表出して整理出来るこの作業は自分を労わってくれる。
芸術家ではないけれど、大人になるのも悪くない。
春の風が桜の残り香も埃っぽい土も巻きあげてごうごうと外で音を立てている。気を抜くと自分まで、今書き連ねたこともどこかへ飛ばされていってしまいそうだ。
飛ばされてしまう前にここでペーパーウェイトを置こう。
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